35歳女性。専業主婦。5歳と1歳の子どもの母親。第一子出産後からうつになり、でも第二子もあきらめきれずに不安の中で出産。
一人の子どもでも育てる自信はなかったが、子どもに私の事情で一人っ子にするのが辛く、二人目を何とか産んで、うつ病が悪化して育てられなくなったら
夫に任せて自分は消えようかとも思っていた。こんな母親なので上の子に妹か弟がいたら頼もしいかなと思った。
結果として二人目を出産後、それをきっかけにしてうつ病が少しづつ快方に向かっているのを感じている。
今も月2回心療内科に通院をして、抗うつ薬、抗不安薬、睡眠薬の内服が欠かせないが、何とか育児をして子どもを成人させる、そして自分の完治をすることを
目標に頑張っている。
見出し
うつ病の私が育児をしていて辛いこと1.子どものお世話をすることが辛い
うつ病だったときに感じていたことは、自分が起き上がったり、自分自身の活動をするのもしんどいのに加えて、子どもの身の回りのお世話をすることが辛く感じていました。
第一子の産後すぐにうつになってしまったので、自分がお世話をしないといけない赤ちゃんが側にいる、でも自分の体が鉛のように重たい。
心に関しては辛いしか感じないぐらい、辛いというような状況に絶望感を感じました。
でもこの赤ちゃんを守れるのは自分しかいない、母親は私だからしっかりしないといけない、という気持ちでなんとかお世話をしていました。
しかし、一日が終わるとほっとして、そしてまた翌日一日がはじまるのを怖く感じて、ただただ寝ていたいと思いました。
赤ちゃんのお世話は24時間365日続くのですが、休みたいときに休ませてもらえない、うつ病なのになぜこんなことをしないといけないのか、無理だと思いました。
でも逃げ出すこと、投げ出すことができないのが育児ですし、なんとかそれをやり過ごして耐えました。
うつ病の私が育児をしていて辛いこと2.子どもの相手をするのがしんどい
赤ちゃんは生後、半年以上すると動き出すようになり、1歳をすぎると歩くようになります。
公園に連れて行ったり、おもちゃで関わったりするのが増えてくるのですが、それをするのが義務的に感じて笑顔で接することが辛かったです。
心の中は絶望感や重苦しい感情で埋め尽くされていて、子どもに対してもっとニコニコして笑顔で接してあげたい、子どももそれを求めているとわかっているのに。
できない自分に対して母親としてどうだろうと思っていました。
その気持ちが影響してしまったのは、うつ病の中で育ててきた第一子は、人見知りが強い慎重な子どもでしたし、神経質であまり人前ではのびのびできない子になっていました。
子どものそういった様子を見ては、私のせいかもしれない、私が母親じゃなかった方が良かったと思いました。
うつ病の私が育児をしていて辛いこと3.まわりの人と接しないといけない
うつ病を患っているときは、母親でない場合には家にこもっていて、療養するということもできます。
しかし子どもがいると、どうしてもほかの人と関わらないといけない理由がでてきます。
子どもと接したいと思う義理の両親と関わったり、児童館などに連れて行く用事があったり、幼稚園になったら幼稚園に送迎をしたり。
いろいろなところで子どもを介した関係ができてきて、うつ病だけれども、本当は誰とも話したくないぐらいの気持ちであったとしても、母親としての役割を果たすためには、そういったところが避けられません。
本当は寝ていたいという自分の気持ちとは裏腹に、うつ病でもしないといけないことの1つが人とのコミュニケーションでしたし、娘のために仕方がないかなと思って、できる限りのことをしていました。
ただ笑顔などは出ませんでしたし、周りの人から見たらやはり不自然な様子だったかもしれません。
うつ病の私が育児をしていて辛いこと4.まわりの理解が得られない
うつ病の際の育児には、普通の人以上に育児のフォローをまわりに期待したくなってしまいます。
しかし夫は、うつ病に対して理解がまったくない人で、私がしんどいときにもそれをこなすのは母親として当たり前、甘えているという風にしかとらえられず、うつ病の人として気遣ってくれることはありませんでした。
実母もそういった病気に理解がない人で、話すだけ無駄ということはわかっていましたし、フルタイムの正社員で働いていたので、頼ることもできませんでした。
義両親は私がうつ病というのは隠して接していて、夫が「話して理解をされるものではないから、言わないように」と口止めをされていました。
そのために、うつ病の中で育児をしている自分に対して、誰も力になってくれない、孤独感を感じてつのらせていきました。
あのときに、しんどくて仕方がなかったときに、誰かが寄り添ってくれたら。
夫が気持ちを受け止めてくれて、「そういった時期もあるけれど必ず良くなる。そのために協力をするから」と言ってくれたら。
そうすれば、快方に向かうまでの期間はまったく違っていたと思いますし、それをしてくれない相手といたことが、かなりしんどかったです。
うつ病の人はが多くいる世の中になってきていて、心療内科もあちこちで見かけるという実感をしています。
しかしまだまだ、心の病に対する偏見は減っていなくて、身近な人にさえ寄り添ってもらえないんだなということが一番辛かったです。
育児のしんどさと、うつ病のしんどさを両方一人で抱えて、その重みでつぶれそうになっていて、消えたら楽になるだろうなと思いました。
でも娘にとって私は必要、だから消えられないという責任感もあり、どうしようもないということで悩み続け苦しみ続けました。
最後に
うつ病の中で子育てをするのは、普通の人が子育てで感じるしんどさの何倍にもなってきます。
どこに救いがあるのだろうか、そもそも治るのだろうかという強い絶望感の中にいた私は、今すこし快方に向かっている状態がくるとも信じられませんでした。
人生の中で一番しんどかった時期でした。