47歳女性、パート勤務。
高校2年生の娘と、3人家族です。
「人生みな平等じゃない!」と、痛感しつつ、気づけば4度目の年女。
劣等感をパワーに変えて、日々奮闘中です。
「劣っているんじゃない! 違っているだけ」
「その違いをみんなが認められるような、平和な世界になって欲しい」と、密かに願っています。
子どもが部活で補欠で辛かったエピソード1.なんのために、部費を払っているの?
私の娘は、高校生になって、バドミントン部に入部しました。
バトミントンの経験も、運動部の経験もありません。
その年の一年生の女子部員は、とても多くて15人ぐらいました。
そのうち半分ぐらいが、中学のときにバトミントン部です。
バトミントンは個人戦と思われがちですが、団体戦もあります。
団体戦は、シングルスとダブルスで合計8人が選ばれ、その人たちがレギュラーという感じです。
それ以外のメンバーは補欠ですね。
中学でバドミントンをやってなかった子が、レギュラーになれる可能性はすごく低いと思います。
1年生がレギュラーになると、2,3年生の補欠の人との関係が微妙に。
私の娘は、レギュラー争いとはまったく無縁のレベルで、「楽しく運動ができればいい」という感じでした。
別に、自分が万年補欠メンバーであっても、そこで落ち込むことはないように見えたのです。
部活のトラブルでありがちなのは、レギュラーとそれ以外のメンバーの仲が、悪くなってしまうことですよね。
そして、それは保護者の仲も悪くしてしまいます。
でも幸いに、高校のバトミントン部では、レギュラーや補欠メンバーの間に、壁がありませんでした。
そのため、和気あいあいと楽しく、部活をやることできていた状態です。
ただ親のほうは、「子どもが補欠で辛いなあ」と、思うことがあります。
たまに、学校に行ったときとかに、部活の練習を覗くことがある私。
自分の娘がコートに入って、シャトルを打っている姿をほとんど見たことがありません。
声出しや試合の審判、落ちた羽を拾うなどで、部活が終わるといった感じでしたね。
「格差社会」とでもいうのでしょうか?
「スポーツの世界は、実力第一主義だな」
そう感じざるをえない状態でした。
試合で勝つためには、どうしてもレギュラーメンバー中心の練習メニューになります。
「それも仕方がないかな」とは思うのですが、問題は部費です。
みんな同じ金額の部費を払っているので、なんだか納得いかない部分がありました。
バドミントンで使う羽、シャトルは鳥の羽を使っていて、意外と高価です。
そしてシャトルは、とても繊細なので、打ち方がまずいとすぐに羽が折れて、使い物にならなくなります。
なので、部費のほとんどが、シャトル代で消えていく感じです。
バトミントン部の部費は、一か月3000円と、ほかの部に比べて高くなっています。
なのに、補欠のメンバーは、「新品のシャトルを、ほとんど使わせてもらえない」という辛い事実。
レギュラーメンバーが新品のシャトルを使って、羽がかけたりして、使えなくなったものを補欠のメンバーが使います。
そう思うと、「同じ金額の部費を払っているのに……」と、なんか切ない気持ちになるのです。
娘も、「新しいシャトルで、練習したいな~」とよく言っています。
だからでしょうか、練習試合が大好きです。
練習試合は、補欠メンバーもコートに入れます。
相手の学校の補欠の子と、試合ができるのです。
そして、念願の新しいシャトルを使うことも、もちろんできます。
「試合よりも、新しいシャトルを使うことのほうが緊張する~」と言っていました。
「補欠あるある」とでもいうのでしょうか?
その話を聞いて、辛いけれども、なんだかちょっと笑えましたね。
子どもが部活で補欠で辛かったエピソード2.試合の応援で、文化祭に出られない
女子バドミントン部では、同学年に1人、とても強い子がいました。
いつも団体戦で、結構いいところまで勝ち進みます。
バトミントンの大会があると、試合の応援で、土日が潰れることが多いです。
補欠メンバーも、自分たちは試合に出ないけれど、応援だけのために、遠くの高校に行きます。
荷物を持ったり、試合のスコアを記録したり、ほぼ雑用係でしたね。
1年生のときに、大会の団体戦で勝ち進み、高校の文化祭の日に、試合の日程が入ってしまいました。
顧問の先生と部員で話し合った結果、補欠メンバーも含め全員で、応援に行くことに決定。
これには、本人もかなりショックを受けていました。
高校に入って、はじめての文化祭で、楽しみにしていましたからね。
しかも、自分が試合に出るわけではないので、なおさらです。
「その分、文化祭の準備のほうで頑張る!」と言って、連日夜遅くまで、学校に残って、頑張っていました。
落ち込んだり、疲れ切った娘の姿を見るのは、本当に辛かったですね。
自分が辛いときとは、別の部分で、胸が痛みます。
親子って、そういうものですよね。
その年はたまたま、試合の日程が、文化祭にかぶってしまったそうです。
「学校行事と部活、どちらが優先なのか?」という疑問もあります。
試合の応援で、学校行事に出られないということに関しては、部活の保護者会でも議論になりました。
文化祭に出られないことは、レギュラーメンバーも同じです。
でもその辛さは、やはり補欠メンバーや保護者にしか、分からないものがあると思います。
こういったレギュラーと補欠の関係は、日本独特のものかもしれませんね。
まとめ
レギュラーか、補欠か。
このような格差は、社会にもたくさんあります。
「レギュラーになれない」という現実は、自分の力では変えることができません。
でもそうなったときに、自分がどういう行動をとるのかは、自分の力で変えることができます。
高校の部活動が、いい思い出になるかどうかは、結局、自分次第ですね。