29歳女性。フリーライター。
小さいころから、動物が好きで、犬も猫も飼育経験あり。
今でも犬を見ると、無条件に近寄って行くほど。
しかし、猫は昔飼っていた猫を思い出し、いまだに泣いてしまうため、見たくもなく、猫に関しては、「近寄らないで」という態度を無理矢理とって、自己嫌悪に。
見出し
猫を大嫌いになったエピソード1.はじめて猫を飼った
私がまだ小学生のころ。
休日に釣りに出かけていた父親と一緒に、痩せ細って目がギョロっと出た、薄汚い猫が帰ってきました。
魚が釣れずに、釣り場で寝そべっていた父親のお腹の上に、いつの間にか「ぐーすか」と寝息を立てていたと言うのです。
その猫は父親が帰ろうとしても、足もとからずっと離れずに、父親のことをジーッと見つめて、もともと動物好きな父親は置いて帰れずに、その猫と一緒に帰ってきたそう。
当時、犬は飼っていた我が家。
私にとって、猫を飼うことになるのは、はじめてでした。
本当に痩せ細っていて、お世辞でも可愛いとは言えなかったのですが、私はとても嬉しかったのです。
猫を大嫌いになったエピソード2.アジと名付けられた猫
本当に体が汚れていたので、母親と一緒に猫をお風呂場で、洗ってあげることに。
「みゃー、みゃー」と騒いで暴れまわりましたが、どうにかキレイに洗うことができました。
ドライヤーで、丁寧に乾かしてあげると、真っ白な毛が!
汚れていてよくわかりませんでしたが、本当はキレイな真っ白な毛をしていたのです。
目やになども取ってあげると、ようやく猫らしくなりました。
猫の名前を決めようと母親と話し合い、父親が鯵釣りに行ったときに拾われた子なので、「アジ」と名付けました。
アジはそれからキャットフードをたくさん食べ、自宅の裏の畑で走り回り、日向ぼっこをし、すくすくと成長。
痩せ細っていたアジは、すっかり立派な猫になったのです。
私たちがお風呂に入ると、風呂場に入ってくるアジ。
手を湯船にちょっとだけつけたり、手についたお湯をペロペロと舐めたりするのが、好きでした。
猫の可愛さと、自由奔放さに、私はメロメロ。
アジのごはん係りは私に任命され、朝と夕方アジがキャットフードを食べる姿を見ては、うれしく思っていました。
猫を大嫌いになったエピソード3.発情期がくると家に帰ってこなくなった
自宅はど田舎だったので、アジは外飼いでした。
車もあまり通らず、近所の家も50メートル先くらいに一軒あるだけ。
猫にとっては、幸せな環境だったのではないでしょうか。
アジに去勢手術も受けさせていなかったので、発情期がくると、ごはんの時間になっても、帰ってこないことが増えました。
私は朝、夕方とアジを探すのですが、アジはいません。
二週間ほど家によりつかず、フラッと帰ってきたと思ったら、何事もなかったかのように、キャットフードを食べるアジ。
そして、気分が向いたら、お風呂場でお湯をペロペロと舐めたり、日向ぼっこをしたり……。
十分リラックスをしたら、また家出をするアジ。
最初は、帰ってこないアジを一生懸命探していましたが、もともと野良猫でしたし、発情期は家に帰ってこないものとして、考えるようになりました。
猫を大嫌いになったエピソード4.アジが死んだ
アジが家にきてから約2年が経ったころ、いつものように家出をしていたアジは、車に跳ねられて死にました。
車はほとんど通らない田舎でしたが、アジが道にいきなり飛び出したのかもしれません。
アジの死体を発見したのは私。小学校からの帰り道でした。
「なにか横たわってるな…」と気付いて、「あ~猫かなぁ、また跳ねられたのか……」と思っていたのです。
しかし、その横たわっている猫の毛の色が白だと気付いたとき、私の頭のなかも真っ白になりました。
「違う、絶対に違う!」と思うのですが、近づくにつれ、短いしっぽ、父親が買ってアジにつけた、キレイなグリーンの首輪。
「違う、違う」と独り言を言いながらも、私はその猫がアジだと確信していました。
私はアジの死体を足もとにして、しばらく呆然としていたのを覚えています。
そこに近所のおばさんが通りかかって、一緒に家に帰ってくれたのですが、おばさんになんて声をかけられたか、なにを話したかも覚えていません。
両親により、アジの死体は自宅に引き取られ、アジを自宅の庭に埋めることに。
私はそのときになってやっと、「嫌だ! 埋めないで! アジはまだ生きてるよ!!」と両親に飛びかかって、泣いたのです。
両親は、そんな私をなだめていたのですが、母親も父親も泣いていました。
アジは静かに土をかけられ、うめられたのです。
猫を大嫌いになったエピソード5.もう猫なんて大嫌いだ
アジを失ったショックで、私はしばらく食事も取れませんでした。
眠るときも目をつぶれば、アジのふわふわの毛や、エメラルドグリーン色の目、私にごはんを催促するときの鳴き声が、鮮明に頭のなかに浮かぶのです。
「私たちがアジを外飼いにしなければ、車に跳ねられることもなかったのに!」と、両親にヒステリーを起こして、困らせてしまいました。
「アジに、もう一度会いたい」、「アジが湯船に手を入れる姿を見たい」、「アジと一緒に、日向ぼっこがしたい……」、そう願ってもアジは二度と帰ってきません。
アジが家にきてから、猫が大好きになった私。
でも、アジが死んでしまってからは、外で野良猫を見ても、アジを思い出しては泣き、スーパーに売られているキャットフードを見ては、アジを思い出して、泣きました。
「アジがもういない……」
悲しくてどうしようもなくて、私はアジが死んでから1年ほど、アジのことを「思い出しては泣く」を繰り返したのです。
猫を見ると泣いてしまうので、「私は猫なんか嫌いだ、見たくもない!」と、思い込むようにし、野良猫がいても、見なかったことにして通り過ぎるようになりました。
「猫なんて自分勝手に家出して、死んじゃうバカだ!」と思うことで、アジのことを忘れようとしていたのです。
今でも私の脳裏には、道路に横たわっているアジの姿が浮かびます。
本当に可愛かったアジ。
本当は私は猫が好きなのでしょう。
でも、あの姿を思い出すたびに、悲しさとアジを守ってやれなかった悔しさが、こみあげてくるのです。
まとめ
大人になった今でも、猫が大嫌いです。
猫を見かけるたびに、アジが道路に横たわっている姿が、いまだに頭から離れません。
そんなときは天国のアジに、「アジのせいで私、無理矢理自分から、猫を大嫌いになってるんだから!」と呼びかけます。
アジはその私の心の声を日向ぼっこしながら、聞いてくれている気がするのです。