叔母とその旦那からのいじめエピソード6編

ショックを受ける女性

52歳の海外在住の主婦。

親戚関係が複雑で、幼いころから人間不信、人間嫌いな面を持つ。

 

父は去年他界。

母がひとり暮らしのため、なにかあっても、すぐに駆け付けられないもどかしさを感じている。

 

親戚からのいじめを体験し、世のなかの理不尽さを知ることに。

 

 

叔母とその旦那からのいじめエピソード1.差別のようないじめをされる

呆れる女性

 

私と私の両親は、父の妹に当たる叔母、そしてその旦那さんからいじめを受けてきました。

それは母が父のもとにお嫁にきたときから、はじまったのです。

 

当時その叔母は高校生、家族は5人いました。

母を含めると6人です。

 

狭い間取りの家で、母の新婚生活は開始。

私が生まれたころ、叔母はお嫁に行き、家を出たそう。

幼いころの記憶はあまりありませんが、なぜかその叔母さんとおじさんが好きではありませんでした。

 

幼い子どもは自分を好いてくれる人には懐き、嫌いな人には嫌な感情をストレートに出します。

そのため、叔母さんが私を好きではなかったせいで、叔母さんに会っても嬉しくなく、「差別を受けている」と感じたのだと思いますね。

 

姉が盲腸で入院したころ、叔母さんがお見舞いにきてくれましたが、挨拶をせず、無視したことを記憶しています。

小学校のまだ3~4年生のころでした。

 

叔母とその旦那からのいじめエピソード2.一緒のところに移り住んできていじめ再開

イライラする女性

 

その叔母さんが私が高校のころに、実家の敷地内に移り住んできました。

 

叔母さんが嫌いな私は反対。

しかし私の気持ちなど無視され、家を建てて、移り住んできたのです。

 

そのころから予測していました。

今後叔母さんが隣に住むことで、叔母さんにいじめられていた母、私にとって良くないことが起きると。

父は障害を持っているので、うまいこと言いくるめられて、利用されることもありえるということも。

 

私たち家族は当時祖母を含めて、6人が住んでいました。

新しく家を建てたのに、祖母と父だけがときどき行くことを許され、私と母、姉妹たちは一度も家に招待されることはなかったのです。

 

叔母とその旦那からのいじめエピソード3.挨拶はしないのに訪ねてくる

仲良くない

 

父の兄弟は6人。

叔母さんに招待される親戚は、ごくわずかでした。

 

隣に住むというのにまったく無視され、他人のように過ごし、私が大人になってから道で会っても、挨拶も無視されるのです。

体をぐるっと回して、わざと見ないふりをされました。

一緒に話をしていた近所の方は唖然としていましたね。

 

叔母さんとおじさんは、それでも我が家にはときどき訪れました。

おじさんが挨拶をしても無視。ぎこちない大人の関係が大嫌いでした。

 

「なぜ大人たちは仲良くできないのか」

「なぜ私は隣の親戚と、敵対関係のような状態でいなければならないのか」

「なぜ母はあることないこと、近所に悪口を言われなければならないのか」

 

考えても答えは出ませんでした。

 

 

叔母とその旦那からのいじめエピソード4.実はものを盗まれていた

自宅のタンス

 

去年父が亡くなって、母から隣の親戚から受けてきたことをはじめて聞きました。

 

父が家に滞在していても、裏口がいつも開けっ放しになっていた我が家。

そこから、かつて私や姉妹が使っていた部屋に侵入して、私の持っていたものなどを盗んでいったそうなのです。

調べてみると、年金手帳がなくなっていたり、小中学の卒業アルバムがなくなっていたり、ほかにもいろんなものがなくなっていました。

 

実家になん年かに一回帰省する私には、細かいものがなくなってもなかなか気づきません。

しかし、父の死後、父の形見の写真がスーツケースからなくなっていたことで、隣の親戚が侵入して盗んでいったことがわかりました。

 

それだけではなく、家の金庫もなんども探られて、母は金庫の場所を常に変えていたそうです。

しかし、その金庫も結局、鍵をこじ開けられて、家の図面を盗まれてしまいました。

 

母は外に出るときは全財産を持ち歩き、隣の親戚からの嫌がらせに、ひとり耐えていたのです。

 

叔母とその旦那からのいじめエピソード5.盗難発覚後に警察へ

警察

 

その事実がわかってから、その次の帰省のときは、隣に挨拶に行きませんでした。

「お葬式のときに打ち解けて話せるようになったと思ったのに、もう関わることはできない」と思った私は、無視を決め込んだのです。

 

おそらく、それが気分が悪かったのでしょう。

私が外出すると、家に鍵がかかっていても侵入して、スーツケースを荒らしていきました。

 

明らかにいじられて、実印がなくなっていたことに気づいた私は、警察に通報。

結局実印は出てきましたが、私が服用している薬の袋のなかから出てきました。

誰かが故意に入れなければ、ありえないことです。

 

実印が出てきたことで、警官の方たちは帰って行きましたが、そのあと周囲から怒鳴り声が聞こえました。

静かな田舎にひびく大声の主は、おそらく隣人だと思います。

 

その後、もう一度警官の方にきてもらうことになりました。

私が部屋の入り口に透明のガムテープを貼り付け、部屋を暗くして、侵入してくれば、指紋が残るようにしておいたのです。

 

そのため、指紋はしっかり取れました。明らかに私の指紋ではありません。

しかし、証拠としては不十分で、事件にしたいのか、まず聞かれました。

 

私は「今後このようなことが起きてほしくない」と言ったのです。

 

叔母とその旦那からのいじめエピソード6.嫌がらせの原因

築70年の実家には家屋としての価値はなく、警官の方にも、「この家に価値はあるんですか」と言われ、理解してもらえない悔しさを味わいました。

 

家屋の名義は父ですが、土地の名義が祖母であるため、隣の親戚は兄弟6人のひとりですから、6分の1の権利を主張。

それが彼らの主張どおりにならないことを知って、私たち家族に嫌がらせをしてきたのです。

 

土地の相続人は10人ほどいて、私もそのなかのひとり。

彼らに一番嫌われている私は、彼らのターゲットでした。

 

そのほかにも彼らが嫌う親戚のハンコもなければ相続できませんが、それも、もらうのはむずかしいでしょう。

彼らの日ごろの行いが、結局は自分の首をしめる形になりました。

 

隣に引っ越してきて30年近くなりますが、その間、ずっと祖母名義の土地を狙ってきたのです。

今後も実家に帰れば、嫌がらせを受けるでしょう。

 

しかし彼らも高齢者です。

なにかをされても、今後は警察に訴えるつもりはありません。

土地関係のことは複雑で、誰のものにもならないだろうし、売ることもできないまま、静かに埋もれていくと思います。

 

まとめ

こんな形で嫌がらせを受けて、精神的に相当まいってしまいましたが、もう今後は一切関わるつもりはありません。

会っても、知らんふりをしたほうが身のためだと思います。

 

彼らのやってきたことは許せませんが、世のなかにはこういう人たちもいるのだと知り、お金のある人たち、財産を持っている人たちの、苦労の一端を垣間見た感じです。