35歳男性。現在は、東京都内のIT企業に勤務。仕事に、無責任な態度を取り続けていた管理本部長が左遷されたり、周囲の注意をきかずに無謀な自転車運転を続けた近所の主婦が大怪我をするといったこと柄を見てきて、世の中に因果応報は存在すると確信する日々をすごしている。趣味はロードサイクリングと読書と株式投資。
因果応報な話1.会社の管理本部長が左遷された
私は、東京都内のIT企業の経理部門に勤務しています。
最近になって、管理本部長が交代しました。
取締役が、兼務することになったのです。
これまでの管理本部長は、ほとんどの仕事を部下に丸投げする人物でした。
経理だけでなく、ほかの部門の社員から評判の悪い人物でした。
たとえば、会計規則が改正に対応して、社内の経理規程を改正しなければならないと意見したことがありました。
管理本部長からは「じゃあ、キミがやってくれ」と、指示されました。
この指示は、理解できるのです。
問題は、確認作業をしない点にあります。
改正作業をすませた案を提出すると、「取締役にチェックしてもらってくれ」と、上司に作業を丸投げするのでした。
ほかの社員に聞いても、同じようなことが、多くありました。
給与データは、管理本部長がチェックすることになっています。
人事部が提出すると、同じように「これは取締役に」と、丸投げです。
このようなことが相次いで、管理本部長は、管理部門の社員からは批判の対象となりました。
ところが、管理本部長は敏感な人物で、自分に対して批判的な部下を丸め込もうとします。
ランチをおごってくれたり、打ち合わせと称して、喫茶店でコーヒーをおごってくれるのです。
そこで「キミのことは、頼りにしてるよ」などと言ってきて、親しみを見せてくるのです。
この話を同僚にすると、約半数の社員が、同じような経験をしていました。
私の会社は、大企業ではありません。
管理本部長についての悪い評判は、社長に伝わったのです。
社長は密かに、仕事ぶりを見ていたようで結局、左遷されることになったのです。
これこそ因果応報だと、社員みんなが思いました。
因果応報な話2.近所の主婦が自転車で大怪我をした
近所に住んでいる主婦が、自転車に乗っていて、出会いがしらに乗用車と激突して骨折をしてしまったことがありました。
この主婦は、つねに左右確認や一時停止をしないで、自転車を運転することで、有名な人でした。
しかも、左側を通行しないで、右側をスピードを出して運転することもしばしばありました。
私もなんどか、この主婦と正面衝突しそうになったことがあります。
町内会でも、話題となっていました。
地元の長老格の人が、一度注意をしにいったことがありました。
ところが、この主婦は「私は、誰にも迷惑をかけていませんし、怪我をさせていませんよ」と、逆ギレしてきたそうです。
近所の人は、この主婦に対しては困りきっていました。
そんなある日、まさに因果応報というべき事故が発生しました。
この主婦が、いつものように左右確認もせずに、減速することなく右へ曲がりました。
そのとき、出会い頭に乗用車と激突してしまったのです。
この主婦は、乗用車によって飛ばされてしまい、アスファルトに叩きつけられてしまいました。
そして、左腕を骨折してしまいました。
本来、このような事故が起きると、町内会としてお見舞いに行きます。
しかし、このときは誰も、見舞いに行きませんでした。
因果応報だと思ったからです。
因果応報な話3.横柄な態度をとっていた親戚が孤独な死にかた
私は、もともと栃木県で生まれ育ったものですから、親戚の家の多くは栃木県内にありました。
都会とは異なり、田舎では地縁や血縁がいまだに強い影響力を持っています。
私の親戚関係でも、本家と分家の区別が、いまだに厳格となっていました。
私の家は分家にあたります。
当時住んでいた、栃木県の自宅から車で10分程の場所に、本家がありました。
同じ苗字で、血筋をたどっていくと、私の曾祖父が本家の次男なのです。
この本家の当主という人が、たまに私の家にやってきては偉そうな態度をとっていました。
また、親戚が集まる法事や、結婚式などでは、偉そうに指図するのです。
ほかの親戚からも、「時代錯誤もはなはだしい」と、悪口を言われていました。
その本家の当主が、あるとき病気で倒れてしまい、寝たきり状態となってしまいました。
私の家族も含めて、分家にあたる親戚は、見舞いには行こうとはしませんでした。
この人物を嫌っていたからです。
根拠もなく、偉そうな振る舞いをとる人間には、天罰が下るのだと思いました。
まとめ
ひごろから、偉そうな態度をとったり、仕事で無責任な態度をとったりする人。
日常生活で、周囲に迷惑をかける人間というのは、世間には多く存在します。
しかし、これらの人間は、気持ちに油断を持っていたり、仕事上で能力以上に偉そうな態度をとっていることが多いです。
人生の、いずれかのタイミングで、足元をすくわれるのだと思います。