現在38歳の女性。シングルマザーで、ウェブディレクターをしています。ホッと癒されるのはアロマを炊いた寝室で、息子の寝顔を見ているときです。仕事は在宅なぶん、責任も作業量も多いけど、子どもとすごせる時間を最重要視しています。
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幸せになるまでのエピソード1.離婚直後は幸せでいっぱい
私の離婚は、元夫の精神的虐待が決め手でした。
調停離婚で離婚できたときは、幸せホルモンが一気にあふれ出て、踊り出しそうになりました。
これから、どんな苦労が待っているかなんて想像もできず、息子とふたりでお祝い旅行に出かけたほど。
ふたりで美味しいものを食べ、USJではしゃぎまくり、「自由って最高」なんて、うれし涙を流したほどでした。
幸せになるまでのエピソード2.仕事が思いのほかハードで、疲れ切る
「仕事は絶対に在宅で」と、決めていたので、正社員に気持ちが揺らぐことはありませんでした。
それは、ひとえに子どものため。
子どもが、ひとりでお留守番をするのを想像したら、絶対に怖いしどんな事件に巻き込まれるかわかりません。
そして、在宅でウェブディレクターの仕事をゲットし、お仕事を開始しました。
しかし、ハードすぎて最初は、睡眠時間が平均4時間ほど。
仕事は楽しいし、時間を忘れて没頭します。
でも、子どもを保育所に預け、自転車で急いで帰ってき仕事。
デザインから、売り上げ目標、社員さんのノルマの設定まで私が決めます。
胃が痛くなることも、しばしば。
そして、胃潰瘍になりました。
幸せになるまでのエピソード3.泣きながら仕事をした。負けなかった
どんなに辛くても、仕事は病気以外で休まなかったです。
「子どもが熱を出して」なんて理由で、休まないのが在宅だと思っていました。
私は、子どもの看病をしながら仕事をし、通院、自分はキッチンで立ったままご飯をかき込みます。
そう、赤ちゃんのときの忙しさと同じです。
立ったまま、卵かけごはんを食べていて、「ああ、あのころと同じだ」となつかしさで涙、辛さでも涙。
「自分は、病気なんかしていられないんだ」と、必死で体調管理しました。
稼いでなんぼの、シングルマザー。
幸せになるまでのエピソード4.子どもを柔道のお教室に入れたら
子どもは、小学生の低学年になっていました。
かなり手もはなれ、「ママ、ママ」と、追いかけてきていた保育園児時代がなつかしい。
あのころ、もっとかわいがって、相手をしてやれば良かったと、本当に今さらながら思います。
そんな後悔も抱えながら、息子が万が一イジメや事件に巻き込まれたときを考えました。
やはり、わが身を自分で守れるよう、武道を習わせようと思いました。
あがったのは、極真空手でしたが、近所にお教室がない。
剣道は、剣がなければ負けるかも知れない。
近所には柔道教室があり、評判がいいため柔道教室へ入れました。
そこで出会ったのが、今の彼です。
彼は、私より18歳年上で、最初は男性として見ていませんでした。
そのうちに「あれ、この人なんかすごいセクシーオーラだ」と、ドキッとしたのがきっかけでした。
自分から、彼に声をかけるなんてできなかったのですが、自然とメールでやりとりがはじまりました。
自然とお茶に誘われ、展開するときはあっという間です。
よく、「子どもの習いごとで、奥さんが浮気する」っていいますが、私には別世界の話だと思っていました。
その姿勢が、彼にとてもほめられました。
「化粧もしないで、子どものことを思っている君が好きだ」と、言われました。
そういえば、私は在宅というスタイルに甘えて、化粧なんてしなくなっていませんでした。
食べるのも面倒なので、結婚していたときより8キロも痩せて、貧相なオバサンだったかも知れません。
幸せになるまでのエピソード5.私たちらしく
そんな貧相で、化粧っ気のない私を綺麗にしてくれた彼には、感謝の気持ちでいっぱいです。
今では、仕事のオンでもオフでも、化粧をする習慣ができました。
彼とは、順調にデートを重ねています。
今は、子どものことを考え、同棲などはせずにお友だちと彼氏の中間くらいのスタンスです。
ふたりらしく、のんびりお付き合いをしています。
子どもと3人でご飯を食べたり、旅行にも行きます。
ふたりだけで映画に行ったり、旅行に行ったりと、まるで自分が20歳も若返った気持ちです。
子どもが、私たちを祝福してくれる年齢になったら、晴れて入籍する約束になっています。
それまでは、のんびり小さな幸せ探しをするつもりです。
まとめ
まず大切なことは、自分の子どもの幸せを最優先して走ること。
それに、つきると思います。
まわりのシングルマザーで、再婚を焦った人で幸せになった人はいません。
まずは足元をしっかり固めて、子どもをまっすぐ育てることに専念すること。
それをやった人の元には、自然と素敵な男性がめぐりめぐってくるようです。