母親に本気でイライラするに至ったエピソード8つ

イライラ

50歳。女性。離婚歴、死別歴ありのバツ2。シングルマザー。心理カウンセラー。幼少期から、母の面倒を見る立場にあり、相談相手もいなくひとりで考えて決めるというクセがつきました。そのころからの経験で、親を信頼する、安心して暮らすという感覚が麻痺して、なんでも自分ひとりで抱え込むようになり、うつ病になったこともありました。波乱万丈な人生ですが、現在は経験をいかして人の役に立ちたいと思えるようになりました。

 

 

母親に本気でイライラするエピソード1.同じ話をなんどもする母

サークル

 

私の母は、面倒見はよく優しい性格の人でした。

昭和の一桁生まれで、祖父母と親戚が漆塗り職人をしている家で育ったのです。

 

奉公に出されたり、学校に行かずに弟や妹の世話させられたとのことで、子ども時代の話をよく聞かされました。

また、第二次大戦中の防空壕や東京空襲、疎開先での苦労の話、父と結婚してからの苦労話も聞かされました。

 

今思うと発達障害か、メンタル疾患(うつ病)があったのではないかと思います。

しかし、子どもの私にはそんなことはわからないので、耳にタコができるほど、繰り返される話にイライラしていました。

 

母親に本気でイライラするエピソード2.話が伝わらない

寸断

 

母は、片耳が聞こえない人でした。

そのため、きちんと話が伝わらないことが多かったです。

 

もしかしたら、聞いても100%理解できていなかったのかも知れません。

とんちんかんな答えが返ってきたり、的確な母親らしいアドバイスなどが返ってくることはありませんでした。

 

私は、学校や友だち間で起こった嫌なことや、悩みなどは一切話さないようになりました。

そして、自分の心のなかにストレスがたまり、頼りにならない母に対してイライラがつのるようになったのです。

 

母親に本気でイライラするエピソード3.車で酔ってめんどくさい

バス

 

母は、車酔いする人でした。

そのため、バスに乗ると必ず吐いてしまうのです。

 

幼稚園のころから、私はそのたびに運転手さんから、バケツや雑巾などを借りて掃除したり、介抱しなければなりませんでした。

幼いながらに、そんな母を見ていてなんだか情けなくなり、イライラするようになりました。

 

また、母は胃腸が弱かったのか、家でも外でもよくお腹をこわすことが多かったのです。

幼稚園の遠足は、母も一緒に行きましたが、動物園に着くなり下痢を起こして、トイレに間に合わなく漏らしてしまいました。

 

私にとっては、まったく楽しくない遠足でした。

「親同行でなければいいのに」と、思ったほどです。

 

母親に本気でイライラするエピソード4.要領が悪い

イライラ

 

私が小学校1~2年のころだったと思いますが、母とふたりでとなりの駅に住む、叔母の家に遊びに行ったことがあります。

しかし、叔母は留守でした。

 

通常なら、すぐに帰るなりしますが、なん時間も外にあった空き地で待っていたのです。

それも、冬で冷たい風が吹くとても寒い日に。

 

私は、空き地にある木から落ちた枯れ葉を拾ったり、あちこちにばら撒かれていたタイルを拾ったりして、遊んでいました。

しかし、内心は母に対してイライラしていました。

 

叔母が帰ってきて、私たちを見つけると、びっくりしていました。

本当に、母の要領の悪さにイライラします。

 

いまだに、なぜ、事前に連絡してから家に行かなかったのか、不思議に思います。

 

 

母親に本気でイライラするエピソード5.悩みを話してくる

悩み

 

前述でも触れましたが、母はきちんとした会話が成り立たない人です。

そのため、自分の妹や弟からも疎外されている部分がありました。

 

兄弟の結婚式などでは、いとことして、紹介されていたようです。

家に帰ってくると、その話を私に聞かせては、泣いていました。

 

はじめのうちは、かわいそうだと思いましたが、数がかさなるとイライラするようになりました。

 

母親に本気でイライラするエピソード6.金銭感覚がおかしい

お金

 

私の家では、家計は母ではなく、父が主導権を握っていました。

理由については聞いたことはありませんでしたが、金銭感覚がズレていたのでそれが原因でしょう。

 

物の値段の相場が、母のなかでは昭和初期から中期のままなのです。

常識から考えると、一桁違うような感覚。

 

そのため、なにを見ても高くて買えないというのです。

あるとき、私が慢性鼻炎になり、母と一緒に耳鼻科に通っていました。

 

その帰りに、洋品店のコートを見て「これいいな」と、言っていたのです。

結局、1時間近く、買うか買わないか迷い、「どうしようかな。ほしいけど高いしな」と、つぶやいていました。

 

私は、買うならサッサと決めて買うか、買わないならあきらめてサッサと帰るかしてほしくてイライラしました。

 

母親に本気でイライラするエピソード7.人が良すぎる

人が良い

 

私が小学校3年のときに、いとこの赤ちゃんを半年ほど預かったことがありました。

いとこが育休があけて、職場復帰したからでした。

 

保育園に預ける予定が、空きがなかったということで、うちで預かることになったのです。

通常なら、自分の親に預けるのが当たり前と思いますが、叔母がみれないため母が選ばれたのです。

 

預かっている間はとくに問題もなく、私や父も手伝って世話をしました。

1歳になり、保育園に入れることになりましたが、その1年後に小児麻痺にかかってしまったそうです。

 

原因の7割は、親戚間での結婚のため。

しかし、ご主人のほうが納得せず、うちで預かっていたときに、暴力でもふるったのではないかと疑われました。

 

それ以来、そのいとこ夫婦とは交流がなくなりました。

ところが、下の子が生まれると、またうちで預かってくれないかと連絡がきたのです。

 

あれだけ嫌な思いをしたにも関わらず、母は「いいよ」と返事しました。

結局は、叔母が保育園に入れるようになるまで、働かずに自分で世話するよう説得してくれました。

 

私はやってもいないことで疑われたこと、腹が立ったことは忘れてはいませんでした。

いとこ夫婦もどうかと思いますが、また預かろうとした母を馬鹿じゃないかと思いました。

 

母親に本気でイライラするエピソード8.急にパニックになる

ストレス

 

母は、私が中学3年のときに自ら命を絶とうとしました。

原因は更年期うつでした。

 

仕事が休めないという父に代わって、私が学校を休んでそばについていました。

リストカットだったため、外科で手当てを受けましたが、精神科へはどうしても行きたくないというので、家で療養することに。

 

ですが、毎晩、夜中に起き出しては急にパニックになり、「お金がない」と言って、ワンワン泣くのでした。

生活費がある場所から取り出して見せるのですが、お金だと認識できないのか、納得せず泣き続けるのです。

 

そんな母をかわいそうだと思う反面、疲れでだんだんと嫌気もさし、イライラするようになりました。