多額の借金で無職から新社長、セレブの金持ちになったエピソード4編

お金持ち

24歳の男性。職業は会社員

趣味は、インターネットビジネスです。

 

元暴走族総長が多額の借金を抱え無職となり、どん底の人生から一転。

過去の失敗から学び身に付けたノウハウを生かし、23歳にして次なる新社長、そしてセレブへと昇格していく。

 

 

無職からお金持ちになったエピソード1.どん底のフリーター借金まみれの生活

最低の人生

 

19歳の当時、実家の自営業を継ぎたくなかった私。

そのため、ロックバンドのボーカルをしていたのですが、反抗期がきたときに暴走族のチームを立ちあげ、高校を中退しました。

 

その後、アルバイトを続けフリーターとなったときに、誰でも借り入れをすることができるカードローンに、手を付けてしまったのです。

結果、多額の借金を抱えることになりました。

 

借金返済のために続けていたアルバイト先でもトラブルを起こし、解雇処分。

その後、警察にもお世話になり、免許も失効されバイクも手放し、無職になったのです。

 

友人の紹介ではじめた物流企業でのアルバイトは毎日夜間作業で、自宅から勤務先までの距離は、片道徒歩5時間以上かかる距離でした。

借金まみれで、自転車すら買うお金もなかった私は、毎日約10時間かけ、歩いてアルバイトに通っていたのです。

 

私が担当していた作業内容は、スーパーマーケットへ輸送される食品の仕分け。

毎日夕方5時から翌朝4時まで非常に低温の室内での肉体労働だったので、冬場は通勤を含め、たいへん過酷なものでした。

 

通勤中は偶然会った知人に、「なんでこんなところを歩いてるんだ」と笑われ、勤務終了後の帰り道は、重労働のあとの体にきつい、寒い一本道。

長時間の徒歩で日が登るころ、やっと地元まで戻ってきた時点で、両足の感覚は麻痺して、まともに歩くことができません。

泣きながら、地べたをはって、帰ったこともあります。

 

毎日過酷なアルバイトを終えたときに「いつか綺麗な車に乗って、綺麗な彼女を隣に乗せて、美しい夜景を見せてあげたい」といつも思っていました。

しかし、なんども願いながらも、生きる希望さえなかった私は「このまま死にたい」と考えることもあったのです。

 

無職からお金持ちになったエピソード2.相棒との出会いSNS

sns

 

それから、母と離婚して、離れて暮らしていた父からの一本の電話で、私の人生に転機が訪れました。

もともと私の実家の自営業と、同じ業種の会社の社長だった父のもとで、働くことになったのです。

 

しかし結局、私の生活の都合で父の下へ訪れることはありませんでした。

しかし、その一報が私が今まで拒絶して逃げ続けてきた、実家の企業へ就職するきっかけになるのです。

 

自動車免許を持っていなかった私は、家族の援助のお陰で合宿教習に行くことができたのですが、そこで出会ったのが現在の私の相棒になります。

元暴走族や無職といった素性や一切の現状を隠し、同じ教習生と2週間の生活をともにしていた私。

そんな私と、教習後の寝る前に、毎晩自室でお酒を飲んでいたのが相棒なのです。

 

相棒も学校を中退し、借金も抱えながら警察にもお世話になって、当時は無職であり、おたがい通ずる点が多かった二人。

自動車運転免許取得後、実家の企業へ就職を決意していた私は、相棒に「私の家の会社に就職しないか」と提案をしたのです。

 

その提案に相棒は同意。

一緒の職場で働くことになった私たちは、免許取得後すぐに二人で実家の会社の扉を叩いたことで、人生が大きく変化していくのです。

 

当初は自営業といえど、ベテランの社員との対立も絶えない日々。

まったく経験のない業種で、アルバイトすら務まらないレベルの仕事しかできなかった私は、2年間毎日雑用ばかりしていました。

 

 

無職からお金持ちになったエピソード3.SNSで人生が変わる

sns

 

それからというもの、はじめて登録した誰でも無料で利用することができるSNSが、私の人生を変えるひとつの大きなきっかけとなりました。

 

誰からも認められることがなかった私にとって「どうすれば他者を認めさせられるか」一番の悩みでしたが、SNSのシステムを知ったときに、私はあることをひらめいたのです。

それは、株取引の応用でした。

 

多くのものが株価が上昇すると判断した企業こそ、実際にそのとおりになるという法則をTVで見たときに、私は自分を企業に置き換え、自分が望む「認められること」を実現させようと考えます。

 

そこで本名や写真を公開できるSNSを利用した私は、まず地元の旧友や身の周りの知人の目に映る範囲で「私が某企業の新社長だ」と投稿。

私が無職となり転落した生活をおくっていたことは、知人の誰しもが知っていた反動もあり、その投稿は周りの人だけでなく、私自身にとっても大きな影響を与えたのです。

 

無職からお金持ちになったエピソード4.いよいよ次期社長に決定

社長になる男性

 

それからというものベテランの社員との対立もなくなり、自分の望む結果をすでに形付け、他者へ認識させることによって、外部から内部へとあっという間に認識されるように。

その結果、就職しわずか3年で、次期社長は私へと決定。

 

ですが社長就任が決定された以上は、いい意味で叔父や祖父の目も厳しくなりました。

しかし、毎日早朝から深夜まで仕事に専念し、23歳にして企業同士の交流会に代表して出席するなど、大きな変化も訪れながら、必死の思いで友人を集めに努めたのです。

その地道な努力が功を奏し、少人数経営の自営業から、正式に企業へと完全な組織化の実現を成功させることができました。

 

今でも私は、実家の企業の仕事の内容はまだまだ分からないこともたくさんあり、現在社長である私の叔父には頼ってしまうことも多々あります。

ですが、24歳にして市内の会員制ラウンジで、唯一20代の常連客となれたことや業界でもたくさんの方々に名前を覚えていただけたことなど、成し遂げたこともたくさんあるのです。

 

まとめ

借金まみれの無職から新社長へと挽回を遂げ、少なからず企業さまの方々から「セレブにのしあがったな」と言っていただけるのは、過去の多大な失敗があったからこそだと、現在は胸を張って言えます。

「生きてて良かった」

 

これからは今を生きる若ものたちにとって、大きな支えとなれるいい大人であり続けたいです。