今でも辛いことがあると、この出産のことを思い出す、42歳の主婦です。
「あのことに比べたら、頑張って乗り切らなくては」と、自分に言い聞かせています。
最近では、子どもがだんだんと反抗期になってきたので、「いつこの話をしようか」と、思っている私です。
35歳以上で妊娠し、出産したエピソード1.妊娠まで
30代後半になったころに、2人目を妊娠しました。
1人目もギリギリまで働いていたので、「2人目もそうしよう」と考えていた私。
しかし、ときどきお腹が張ったりしていたので、検診のときにそのことを伝えると、先生から、こう言われたのです。
「早産と子宮破裂のリスクがあるので、長期入院」と。
しかも、「絶対安静なので、外出も外泊も禁止」と言われ、目の前が真っ暗になりました。
35歳以上で妊娠し、出産したエピソード2.妊娠してから
1人目は無事に産むことができたので、「2人目も、何事もなく無事に産める」とばかり思っていました。
それなので、まさか、自分が長期入院になるとは思っていませんでしたね。
しかも、外出も外泊もできなくなるなんて、いくらお腹の赤ちゃんのためとわかっていても、すごく辛いことでした。
私のあまりの落胆ぶりに、看護師さんもこう言います。
「4ヶ月半も入院で、外出や外泊もできないなんて、あまりにも大変だよね」と。
妊娠から、6ヶ月過ぎたある日のこと。
先生から、突然、「2週間に1度は、大きな病院で診てもらうことになった」と伝えられました。
そのときだけは、母に付き添ってもらい、外出できることになったのです。
入院中、2週間に1度の外出が、「長い入院生活を頑張ろう」という励みになりました。
大きな病院で、お腹の状態を診てもらえることも、そう思えた理由の一つです。
外出先での検診のあと、コンビニで好きな雑誌を買ったりしました。
その際、好きなデザートを1つだけ買うことができるのが、外出時の楽しみでしたね。
8ヶ月に入ったころ、珍しく主人が休みだったので、検診に付き合ってもらい、外出しました。
赤ちゃんも、すくすく大きくなっていて、帝王切開の予定だった私。
「あと、1ヶ月ちょっとで出産」と言われ、「いよいよだな」と思っていました。
そのとき「1度だけ」と思って、お腹の赤ちゃんには、申し訳なかったのですが……。
妊娠してから、食べたくて仕方なかった、行きつけのラーメン屋さんに行きました。
目の前に、あんなに食べたかったラーメンがあるのに、自分の予想とは違って、3分の1ほど食べたところで、お腹がいっぱいに。
その様子を見た主人も驚いていました。
病院での食事制限で、胃がだいぶ小さくなっていたみたいです。
しかし、久しぶりに食べたラーメンは、やはり、すごく美味しかったですね。
そうこうしているうちに、あんなに長いと思っていた入院生活も、残り少なくなってきました。
そして、9ヶ月に入って少し経ったところで、帝王切開で産むため、大きな病院に。
病院に行ったのが、手術の1日前だったので、明日の手術のことについて、いろいろと説明を受けました。
わかっていても、やはり次の日のことを考えると、なかなか怖くて眠れません。
「お産というのは、やはり、何度経験しても怖いものだ」と思いました。
お腹のなかでよく動いて、しゃっくりをしていた2人目の赤ちゃん。
このときもよく動き、しゃっくりもしてくれて……。
まるで、「明日、頑張って産んでね亅と、お腹のなかからメッセージを送ってくれているようでした。
35歳以上で妊娠し、出産したエピソード3.出産
朝になり、いよいよ手術になりました。
ストレッチャーで運ばれ、主人や1人目の子どもが「頑張ってね」と、手を振ってくれます。
手術室に着くと、麻酔を背中に打たれました。
「この痛みを覚えてる」と思っていると、ベットに寝かされた私。
1人目のときは、麻酔がよくきいていて、赤ちゃんを産んだときまでは覚えていましたが、そのあとは熟睡していました。
しかし、今度はぼーっとしてはいるのですが、先生たちの声も聞こえるし、意識もしっかりしています。
しかも、麻酔があまりきいていないのか、痛みが強くて、すごくきつかったです。
あとで先生から聞いたのですが、このときの強烈な痛みは、お腹の癒着が原因だったようで……。
それでも、「元気な赤ちゃんを産まなくては」という気持ちが強かったので、痛みにも耐えていました。
そのとき、ふと上を見ると、ミラーのようなところに、私のお腹のなかの状態が、はっきりと写っていたのです。
「見てはいけない」と思いながら、どこか冷静だった私。
そのあと、血だらけのお腹のなかに先生が手を入れて、穴のようなところから、2人目の我が子を取り出す瞬間をバッチリこの目で見たのです。
「こんなふうにして、生まれてくるなんて」と、心底驚きましたね。
大きな産声をあげ、元気に生まれてきてくれました。
すごく嬉しくて、一安心。
しかし、先生方も赤ちゃんを取り出すと安心したのか、私のお腹の処置の最中、なんと世間話をしはじめたのです。
もしかして、1人目のときもそうだったのかもしれませんが、熟睡していたので、どんな状況だったのか、分かりませんでした。
「子どもの受験がどうだ」とか、「どこの高校がいい」とか、たわいもない話です。
しかし、話しながら、私のお腹をちゃんと処置してくれているか、不安になりました。
しかも、痛みがだんだん強くなって、しんどくてしんどくて仕方がなかったのです。
唯一、麻酔科の先生が耳もとで、「大丈夫かな」と、たびたび声をかけてくれたことが、唯一の救いに感じました。
なんとか手術も終わり、ストレッチャーに乗って、病室へ帰るときです。
なんと、またそこでも、世間話がはじまりました。
しかも、私の体の状態を気にするわけでもありません。
その内容が「新婚旅行はどうでしたか」、「旅行先のバカンスはどうだった」というもの。
私は、はらわたが煮えくりそうな状態でした。
「こっちは、こんなに痛くて痛くて、どうにかなりそうなのに」
そう思って、許せない気持ちでいっぱいに。
「元気になったら、絶対、この病院の苦情箱に、このことを書いてやる」と思いましたが……。
結局、落ち着いたら、そんな気持ちもなくなっていました。
夜は夜で、痛み止めもまったく効かず、痛みのせいで、10分も眠っていられない状態。
また、朝から飲み食べしていないので、喉もカラカラでした。
ですが、手術のその日は、「水も飲んだらいけない」と言われ、本当に辛くて、どうにかなりそうでしたね。
みかねた看護師さんが、「うがいなら大丈夫」ということで、ガラガラと喉を潤してくれました。
この日は結局、痛みと足につけているうるさい器具の音のせいで、一睡もできなかったです。
今でもこの日のことは、はっきり覚えているくらい、私の人生のなかで一番大変で、しんどい日となったのでした。
まとめ
2人目の出産は、突然の長期入院や帝王切開手術で、とても大変でした。
その後も、ものすごい痛みで、一睡もできなかったりと、いろいろあった入院生活。
けれども、無事2人目を産むことができて、本当に良かったと思います。
「いつか、子どもが反抗期になったとき、この大変だった話をしよう」
私はそう、考えているところです。