37歳女性会社員で、職種は事務です。
女子校を卒業している割に、友だちが一人もいないうえに、同性にもまったくモテない女。
卒業後に、街で偶然同級生に会い、「同窓会やろうね、女子会飲み会やろうね」と言われても、社交辞令で終わる。
誘われることもなく、友だちのいないまま、ついに37歳に。
趣味もなく、会社には年配者しかいないため、いわゆる女子トークというものも知らずに、友だちゼロ歴を更新中です。
見出し
30代で友だちいない女の孤独なエピソード1.女同士で、温泉やランチなど、女子会の機会がゼロ
30代女性ともなれば、既婚組と独身という、カテゴリーに分かれていくことがあります。
それでも友だちであれば、先に結婚し、集まる頻度が減るということはあっても、交流は続くもの。
女の友だち同士で、温泉に行ったり、ランチをしにいったりといったことをしますよね。
実際に、街でもよく見かける光景です。
独身でも、独身者同士でのお友だちとか、既婚者やママ友同士の集まりなどの、お付き合いがあるもの。
しかし、私には一切、そういうことがありません。
友だち同士で、ワイワイ楽しんで食事をしている風景は、ランチタイムの街中でも、頻繁に目にすることがあります。
私は、友だち同士で楽しそうに食事をしている、人混みのなかでも孤独です。
一人ポツンとしながら、自分の用事のためだけに、その場をそそくさと、通り過ぎていく日々。
必要以上に急いでいるオーラを出しつつ、現場を去っていきます。
なぜなら、友だちが一人もいない私は、自分がいたたまれなくなってしまうからです。
本当は、友だち同士の会話というものにも、興味津々な私。
しかし、友だちゼロで悲しいのと、立ち聞きは変態ぽいので、素早く立ち去るようにしています。
温泉好きな私は、私と同年代の見た目の人たちが、女友だち同士で旅行していたり、遊びにきている様子を見ることがあります。
みんな楽しそうに過ごしているなか、私は一人寂しく着替え、温泉に浸かることが定番です。
その際、友だちと一緒に移動する人たちを見ていると、このように思うのです。
「いいな……。私も女同士の話をしてみたいな」と。
そう思いながらも、これまで、そのようなこととは、無縁な生活でした。
友だち同士で行くような場所に一人でいるので、状況によっては、悪目立ちすることもあります。
最近では、温泉によっては、女子会プランも増えているようで……。
一人でいる私は、ちょっと浮いた存在になることも、しばしばあるのです。
それでも、友だちがいないことは事実なので、どうしようもありません。
友だちがいれば、日々の生活も楽しくなるでしょう。
それに、人間関係も広がっていく可能性もあるので、人生が豊かになるとは思います。
でも、ないものをねだっても、しょうがないのです。
だから私は、黙々と自分の現状を受け入れて、毎日の生活を過ごしています。
「友だちがいない」という現状を、自分でしっかりと受け入れている私。
そのため、友だちがいないことに関しては、変なこじらせ方をしていないつもりです。
自分が独身だということもあるので、孤独には慣れているつもりですが……。
現状をきちんと受け止めているのかもしれないです。
ただ、たまに「自分は、なんで生まれてきたんだろう」という、疑問がわいてくることもあります。
でもきっと、それは友だちがいなくて、暇だからなんでしょうね。
退屈だから、哲学的なことのようでいて、友だちがいるような普通の人が、考えなさそうなことに、ネチネチと思いをはせています。
30代で友だちいない女の孤独なエピソード2.電話で話す人がいない
女性同士の友だちといえば、電話で話をして、盛りあがることも多いように見受けられます。
ですが、なにしろ私には友だちがいないので、電話で話をする人がいません。
かかってくることがない携帯を、毎日持ち歩いています。
ですが、連絡用という携帯の本来の枠を超えて、私の場合は完全に緊急用の携帯です。
女性同士は話をすることで、ストレスを解消することもありますよね。
話が盛りあがっている友だち同士の会話を、見聞きするだけで羨ましくなります。
ですが、友だちがいない私には、できない真似です。
友だちがいないのだから、LINEをしてみたり、メールをしてみたり、なんてこともありません。
なので、バッテリーの持ちも良好ですが、悲しい現実です。
書いていて若干、泣きが入りそうになってきましたが、「これが私」ということで、納得している私。
なので、辛く寂しく感じることがありつつも、その現状を淡々と受け入れながら、味気ない生活を送っているのです。
人生37年生きている私としては、「どうにもならないこともある」ということを理解しています。
30代で友だちいない女の孤独なエピソード3.仲間うちで、家飲みや鍋パーティーや焼肉ができない
同性異性問わず、友だちがいる人は、いろいろな付き合いがありますよね。
仲間うちの誰かの自宅で、飲み会をやったり、鍋パーティーをしたり、焼肉やバーベキューをしたりなど。
ところが、私はそういった機会に、たった一度さえも恵まれません。
友だちがいないので、当然といえばそれまでですが、せっかく独身なのに、寂しい現実です。
友だちがいる人たちは、「○○の家で飲み会をして~」という、楽しそうな話を聞かせられることがあります。
それを聞くたび、「羨ましいな」と思って、仕方ないですね。
近隣から聞こえてくる、友だち同士の飲み会や移動を見ていると、こんな寒いことも考えることがあります。
「どうやって、友だちをつくるんだろう」と。
私も「たまにはバカ騒ぎをして、ストレス解消もしてみたい」という、願望が出ることもあります。
とは言っても、自分の年齢を考えれば、仮に友だちが今できても、そういったノリにはついていけないでしょう。
それに、「これまで友だちのいなかった私は、浮くかもしれない」と、マイナス方向に考えて、諦めてしまい……。
一人で、自分の心を納得させています。
30代で友だちいない女の孤独なエピソード4.季節のイベントやテーマパークに行く機会がない
ニュースで流れてくる、友だち同士と楽しそうに過ごしている光景には、さまざまなものがあります。
シーズンごとでいえば、キャンプ、海、河原でバーベキュー、花火大会、紅葉、登山、雪まつり。
ほかには地元のお祭りなど、挙げればほかにも、まだまだたくさんあるのが、季節のイベントです。
例のごとく、そんな楽しげな動画がテレビから流れてきても、私には一切縁がありません。
ディズニーランドはかろうじて行ったことがありますが、それもなんと、子どものころに行ったきりです。
幼少期に親と行って以降は、ディズニーランドも、ディスニーシーも行ったことがありません。
行ってみたいところがありますが、友だちがいないので、行くことができないのです。
ですが、このもどかしさは、何度も経験してきました。
友だちの数が多い人は、これらのイベントにも、グループとかで行きますよね。
私は友だちがいないので、季節感を満喫できるようなことにも、参加できません。
それに、行楽地に行くことも、まるでない状態です。
世間に取り残されている感覚に包まれながら、屋内で季節を感じ取っているだけの人生です。
さらに歳を重ねれば、女性同士の友だちと、旅行や食事に行く人がますます増えます。
でもこうなったのは、自分の性格がそういう質だからなのであって……。
「性格が、いい悪いという問題ではないはずだ」
そう自分を言い聞かせ、人生を消化させています。
なぜなら、「人の輪が好きであれば、きっと根本から違っていたはずだし……」と、考えられるからです。
これは、言い訳でしょうか?
「人にはそれぞれの器があって、自分の性質に適している人生になるはず」
「だから、私は友だちがいない人生が、自分にとってベストな状態なのだろう。本当は自分がそう望んだのかもしれない」
このように、負け惜しみのようなことを思ってしまうのです。
友だちがいる方は、とうてい考えそうにない人生観といえます。
しかし、そんなことを考えながら、現状を受け入れている私なのです。
なんだか、アドラー心理学のような話になってしまいましたが……。
「友だちがいないと暇なのか? 哲学とは? 人生とは?」といったようなことに、頭を使うことがあります。
「友だち」という、人間関係を保っている生活を送っている人には、浮かばないようなことばかり。
そんなことで、時間を消費しつつ、自分を受け入れて、向き合っています。
しかし、それにしても「なんか重たいな」とは、自分で思うこともあるのです。
「もっと気楽に生きられたらいいな。友だちがいなくても」と、ますます暗く考えることもあります。
友だちがいる人からすれば、笑ってしまう話なのかもしれませんね。
30代で友だちいない女の孤独なエピソード5.悩みごとがあっても、相談にのってくれる人がいない
異性であっても、同性同士でも、友だちがいることは、いろいろとメリットがありますよね。
性別問わず、友だちがいれば、悩みごとがあったときに、相談にのってもらうことだってできます。
話をしているだけでも、元気が出ることだってあるでしょう。
それに、場合によっては、いいアドバイスをくれることもあると思います。
友だちがいない私は、一人で物ごとを解決するしかない境遇です。
悩みのことについて、調べるなり勉強するなどして、知識を増やしても、やはり人間。
「自分で気が付くことができないこと」ということは、どうしてもあるものです。
「友だちだから、本当は知っていること」や、「アドバイスできること」というものもあるでしょう。
しかし、私にはそのような機会もないのです。
だから、あらゆることに対して、一人よがりな人生になりがちな気がしています。
友だち同士で相談している風景を見かけると、自分のコミュニケーション能力の低さにがっかりする私。
でも、コミュニケーション能力が低いのは、「社会性にも欠ける」という面もあるでしょうね。
ですが、それはそれで、私の個性。
「コミュ力が低いのにも、メリットだってあるはず!」と、思い込むようにしています。
たとえば、極端に人を避ける性質ゆえ、メリットもあります。
詐欺師や勧誘に引っかかりにくいとか、「お金貸して!」と言われることもありません。
保証人をお願いされることもありませんね。
要するに、「人間関係から起きるトラブルに、巻き込まれることもない」といったようなことです。
少し極端な例になりましたが、友だちがいないということは、最初から失うものがありません。
なので、私はこのように、プラスに思い込むようにもしているのです。
「常にゼロ地点にいることは、ストレスのようでいて、実は自由なことなのかもしれない」と。
まとめ
友だちがいないと、人と一緒に出かけて、感情を共有する機会もないです。
退屈な日常を送ることは多いですが、感情を乱されることなく、自分主体で人生のときが流れていきます。
そのため、「自分だけのために、時間を使える」という、側面があるのも事実です。
資格取得や勉強したいことがある方は、あえて友だちと、疎遠になるのも手かもしれません。