仕事で失敗して死にたいと思うまでになったエピソード4編

悩む

53才。男性。

職業は会社員です。

 

ホテル関係の仕事を20年近く勤め、40代で思い切った転職をし、はじめての営業職につきました。

ことのほか、営業成績をあげることができ、気がつくと管理職に。

 

趣味のアウトドアを満喫するべく、「さらに仕事を頑張っていこう」と考えています。

 

 

仕事で失敗して死にたいと思ったエピソード1.突然の異動

エリートサラリーマン

 

40代前半での転職で、まったくの異業種だったため、とにかく最初の1年は、無我夢中で仕事を覚えることに専念していました。

自分より、年下の先輩に敬語を使いながら、頭をなんども下げましたね。

 

そこまで必死になったのには、理由があります。

なぜなら、前職での苦い経験があり、意図せずに転職することになったからです。

また、まだ1歳になったばかりの一人息子のことを思うと、なりふり構っていられない状態でした。

 

人間は必死になると、余計なことは視界から消えていくものです。

今やらなければならないことに、集中できるということがわかりました。

 

そのおかげで、40代の新米営業マンがいつの間にか、支店で1位から2位の成績を行ったりきたりするように。

もちろん、それでも「自分のなかではまだまだ」というのが、実感としてありました。

しかし、突如会社から移動命令が出て、横浜方面の支店の副支店長に抜擢。

 

副支店長という立場上、かなりハードな仕事になるということを会社からは告げられた私。

ですが、「チャンス到来」と思い、会社の指示も含めて、単身赴任での異動となったのです。

 

単身赴任どころか、一人暮らし自体がはじめてなので、ワクワクする気持ちがありました。

ですが、ものすごい不安もあり、なんとも不思議な心境で、知らない戦場に乗り込んで行くことになったのです。

 

仕事で失敗して死にたいと思ったエピソード2.失敗の経緯

座って考え込んでいる社会人

 

転職での入社以来、ほかの支店との接点など、まったくありません。

なので、赴任した横浜の支店では、誰一人として、知っている社員はいませんでした。

 

もちろん、新任の副支店長がきたということもあり、それなりに気を使ってくれます。

ですが、一年少しとはいえ、慣れ親しんだ異動前の支店との、雰囲気の差が凄かったですね。

また、単身赴任での不慣れな生活もあり、内心のテンションは下がりっぱなしでした。

 

また、こともあろうに、その支店は支店長が不在。

エリアマネージャーが統括して、見てはいるものの、1週間に一度くらいしか顔を出しません。

 

そのため、実質私が支店長のような状態だったのです。

そんな私は、右も左もわからない状況でも、頑張るしかありませんでした。

 

今までソコソコの実績をあげたとはいえ、営業の個人プレイヤーとして、数字が出せていただけ。

支店レベルの数字管理など、まったくの素人同然で、コントロールなどできません。

 

しかし、私の赴任した支店は、会社内でも神奈川方面の大事な拠点。

数字も、全社的に注目を浴びていました。

 

ここで私は、大きなミスを犯してしまいます。

それは、赴任2ヶ月目の11月の売りあげ数字で、目標値に5%近く届かないのをいいことに、月末の売りあげのツメをしなかったのです。

 

私の認識では、目標値は会社が見ているとしか思わずに、大事な前年比という数値に着眼しなかったこと。

目標値は、前年比数値よりも、少し多く組んであるわけです。

 

月が変わって、本社からの電話がかかってきたときのこと。

「前年比99.89%とは何事だ‼︎」と上司に言われ、ことの重大さに気付いたのは、そのあとでの説明のときでした。

 

ここの支店は過去10年間、毎月前年を割ったことがないというのです。

赴任後の疲れと相まって、呼吸すらできないような状態になりました。

 

 

仕事で失敗して死にたいと思ったエピソード3.失敗後

ショックを受ける男性

 

もしかすると、意識し過ぎていたのかもしれませんが、社員からの冷たい視線が凄かったです。

自分でも、あまりにも勉強不足で、ただ頑張っていただけということが情けなく、後悔する毎日。

アパートに帰っても、ろくに食事も取らずに、布団をかぶって泣いていました。

 

仕事の失敗だけではなく、不慣れな単身赴任生活の疲れや、家族に会えない寂しさなど、さまざまなことがマイナス要因に。

いまさら、「もとの一営業マンに戻して欲しい」などとは、言い出せません。

 

このまま会社をやめれば、楽だったと思います。

ですが、まだ小さい一人息子のことを思うと、前に進むことも、後ろに下がることもできない状態でした。

 

このころの自分は、支店の社員から見ても、最悪だったと思います。

仕事の覇気のなさは、自分でも鏡を見て分かるほど。

ただ早くアパートに帰って、布団に潜りたい一心でしたからね。

 

布団に潜って考えたことは、子どもが生まれたときにかけ増ししておいた、生命保険の死亡保険金のことです。

契約から1年以上たっているので、「自殺でも保険金は出るな」と、本気で考えました。

 

この布団に潜っての自殺妄想は、半月くらい続けたように記憶しています。

 

仕事で失敗して死にたいと思ったエピソード4.その後

腕を組む男性

 

その後、年末に向けて別の意味で忙しくなり、気がつくと数字の失敗を忘れてしまったように、年の瀬も迫ってきました。

押し迫ったころに、「会社の営業の組織体制が変わる」との知らせがあり、外部からの営業本部長が、1月から指揮をとるとのこと。

 

そんな暮れのバタバタで、その年を終えました。

年が明けて、営業の新体制がスタートすると、思ってもみなかったことが。

 

私の着任している支店をはじめ、いくつかの前年割れの数値をたたいた支店にとっては、新体制の指揮官が怖くて仕方ありませんでした。

しかし、新しい営業本部長は過ぎた結果に対して、とやかく言うことがない人だったのです。

「会社全体の営業の改革をしよう」と考えているようで、なんとなく肩透かしをくらったような感じでした。

 

新体制のもとで、気を取り直して、ひとつづつ仕事を積みあげていた私。

その結果、半年後には自然と結果も出ていて、さらに大きな支店の支店長に昇進することになりました。

 

まとめ

転職から一年数ヶ月で、奇しくも管理職になれたのは、必死に仕事をしてきた結果だと思います。

さらに飛躍のつもりでいたときに、ぶつかった大きな壁。

その際、本気で死を考えましたが、今考えれば、愚かなことでしたね。

 

暗闇は、必ず明るくなるものです。