37歳女性。
現在は所有している薬剤師資格を活用し、ドラッグストアでの調剤担当として勤務。
22歳のときに、当時の同級生と結婚し、翌年には子どもを出産しました。
しかし、元主人との間の生活の不一致などから、26歳のときにはじめての離婚を経験。
以後、仕事と家庭を両立しながら、男の子を育てるシングルマザーとして活動中。
見出し
部活を転部して大成功したエピソード1.最後まで結果が出せなかった、テニス部での活動
中学生のころから、某テニスの少女漫画がとにかく大好きで、それがきっかけでテニスをはじめた私。
しかし、どうやら私にはまったく才能がなかったようで、いわゆる下手に横好きてきな感じで、続けてきました。
当然ながら、実力がまったくないので、選手として大会に出た経験がある的な、華々しいエピソードがあるわけでもありません。
ただ、「テニス部に在籍している」という意識だけで、自己満足してしまっている状況です。
中学の公式テニス部でも、補欠扱いにようやくなれたのが最高でした。
また、高校で入ったテニス部でも、球拾いや先輩の道具のあと片付け係など、本当に簡単な雑用係に終始していたんです。
それでも、やっぱりテニスが大好きだった私。
大学に進学してからも、テニス部に真っ先に入部して、練習に邁進していました。
ですが、さすがにこのころにもなると、自分の実力のなさも、はっきり分かっています。
なにより、「このまま続けても、意味がないよなぁ」と、思うように。
そのため、大学2年生になったころには、1年間所属して頑張っていたテニス部を退部することにしたんです。
部活を転部して大成功したエピソード2.チアダンスとの出会い。そして入部へ
テニス部を退部したばかりの私は、しばらくの間、勉強とアルバイトに邁進することになりました。
ただ、下手の横好きだったとはいえ、身体を動かすこと自体は昔から大好きです。
なので、勉強とアルバイトだけだと、どうしてもフラストレーションがたまってしまうんですよね。
それが、自然とストレスになってしまうこともありました。
そのつもりもないのに、友だちや親に、当たり散らしてしまったこともあったくらい。
そんな私を見るに見かねたのか、大学でとくに仲よくしてくれていた女友だちから、さりげなく勧められたものがあります。
それは、彼女自身が1年のころから、入部して邁進していた、チアリーディングだったんです。
実は、私が通っていた大学は、全国的にも有名なチアリーディングの強豪校。
その事実自体は、私自身も知っていたのです。
しかし、チアリーディングに対して、スポーツという印象をどうしても、見いだすことができず、はなから対象外とみなしていました。
それでも、私を心配してまで、おすすめしてもらった友だちに対する感謝の気持ちが、背中を押したのでしょう。
「とにかく、練習だけでも見てみよう!」
そう思い、チアリーディング部の練習場へと、足を運ぶことになりました。
大学の講堂内で練習している、チアリーディングの練習風景を見た瞬間、私のなかでふつふつと、ある感情が湧いてきたんです。
それが、「私もこれをやってみたい!」という、意外なものでした。
自分が練習を見た瞬間に、そんなふうに感じたことに対して、なによりも私自身が、驚いてしまったくらい。
けれど、チアリーディングの練習風景を通じて、なぜかやり甲斐を感じてしまったのも、また事実なんですよね。
結局、私はその場で、チアリーディング部へと途中入部することになったんです。
部活を転部して大成功したエピソード3.みるみる上達する技術と増す存在感
どうやら、私にはチアリーディングというスポーツに、適正があったようです。
入部してからは、周りからも「見違えた!」と言われるくらいに、生き生きしたようになっていたらしく……。
私自身もまた、チアリーディングの練習が、とにかく楽しくて、仕方なかったぐらいなんです。
実際のところ、練習は非常に厳しいものでした。
二年生という、中途段階で途中入部した私は、同級生の部員よりも、技術面でかなり劣っている存在。
けれど、私には持ち前の、負けん気があります。
勉強とアルバイトの合間を見つけては、チアリーディングの練習に足繁く通い、必死に練習しました。
結果、その努力が実ったんでしょうね。
入部して半年を過ぎたころには、競合と言われる大学のチアリーディング部のなかでも、正規選手として指名してもらえるほどに。
小さいころから身体を動かすことが大好きだったので、柔軟系の運動も得意だった私。
それが、チアリーディングというスポーツには欠かせない、重要な要素でもあったことも、上達が早かった理由だと思います。
普通の人だと、なかなかできないようなアクロバティックな演技も行え、それがすごく重宝されたんです。
最初は「ベース」という、力が求められるポジションとして採用されました。
しかし、その後、アクロバティックなジャンプや演技が求められる、「トップ」というエース的なポジションに指名。
そのとき、自分のなかで、「チアリーディング部に入ってよかった」と、心から思いました。
部活を転部して大成功したエピソード4.大会への出場を通じて、やり甲斐はMAXへ
大学3年へと進級したころには、私も見違えるように。
すでに、チームのなかでも、エースに当たるポジション選手として、活躍することができるまでに成長。
必然的に、さまざまな大会やイベントへの出場も、当たり前のようになりました。
あんなに憧れて、大好きだったテニス部のころには、絶対にできなかったであろう、正規選手としてのチームへの参加。
それが、まさかチアリーディングという、当初は認めてすらいなかったスポーツで、実現できるようになるとは……。
自分でも、本当に信じられなかったくらいでした。
けれど、そうしたマイナスの思いを一気に覆す結果となった当時は、常に上を目指していた私。
なので、チアリーディングに対するやり甲斐は、否応なくMAXの状態でした。
一時期は、長年続けたアルバイトも辞めて、専念したくらいです。
そして、チアリーディングという競技に惹かれ、邁進した私にようやく訪れたのが、全国大会への出場でした。
部活を転部して大成功したエピソード5.惜しくも優勝を逃しながらも、青春を彩る思い出に
私が全国大会へと出場した年は、例年になく、ほかの出場校も実力が非常に高い年で、実力伯仲のなかでの出場となりました。
ただ、不思議と自分のなかでは、緊張や不安といった感情は一切なかったですね。
ただただ、やり甲斐と充実感に満たされた状況です。
これまで、勉強やアルバイト以上に、チアリーディングの練習に打ち込んできた私。
そのことが、自分に対する自信へと、つながったからかもしれませんね。
それに、チアリーディングという競技自体が、チームワークを非常に重視する競技。
練習を通じて、まるで姉妹のようにつながったチームメイトとの協調性の高さも、私に不安を感じさせなかった理由かもしれません。
大学の練習施設とは、まったく違う広い競技場で、多くのライバル校が集まるなか、行われた全国大会。
チームメイトのなかには、極度の緊張感からか、いつもの実力を発揮でなかった子もいました。
また、合図を聞き漏らして、思うような動きができなかった子も。
その結果、最終的には全国大会5位という結果で、私の選手生活は終了となりました。
卒業と就職のための活動があるので、私の大学の部では、3年が選手生活最後の年。
本心をいえば、優勝という結果で有終の美を飾りたかったんですが、それでも私のなかには、まったく後悔はなかったんです。
なぜなら、選手として、全国大会にも出場できたから。
それに、「信頼できる仲間とたくさん出会えた」という結果を手に入れられたからです。
おそらく、いつまでも憧れだけで、テニスに執着していたら、こんな充実感は絶対に得られなかったでしょうね。
まとめ
小さいころからの憧れだったテニスを捨てた瞬間は、とても後悔したことを今でも覚えています。
しかし、それでも、大学を卒業するころには、「チアリーディング部に転部して、本当に良かった」と、心から思えたのです。
もちろん、それは20年以上経過した今でも変りません。
当時のチームメイトとはどんなに離れていても、おたがいに連絡を取りあったり、近況を報告し合ったりしているので、私にとって大切な存在となりました。