部活を途中入部して大成功したエピソード3編

陸上競技

32歳男性。趣味はマラソン。

中学のときに、さえない野球部から、陸上部に途中入部し、市陸上大会で優勝しました。

県中学陸上大会で、準優勝。

 

その後、陸上推薦でインターハイ出場校に入学します。

しかし、怪我により、インターハイ出場ならず。

 

その経験を生かして、現在は本業の事務職をしながら、地元の児童たちのスポーツインストラクターも務めています。

 

 

部活を途中入部して大成功したエピソード1.途中入部前

軟式野球

 

当時、中学生だった私の中学校では、全校生徒数が100名以下。

そんな小規模中学校でしたので、部活動は種類豊富ではありません。

 

男子は、おおむね軟式野球部。

女子はバレーボール部か吹奏楽部、そして、もう一つあったのが陸上部でした。

よその地区のスポーツ少年団に入っている特殊な子どもを除いて、なんの部活動にも所属しない子は稀なほどです。

 

小学生のころから、ソフトボール少年団に入っていた私。

なので、中学生になり、なんの疑問もなく、そのまま軟式野球部へ入部しました。

 

これはソフトボール少年団から、軟式野球部に入る児童が多く、親もそれを勧めていた背景があります。

もちろん、中学生になり、非行に走る子もいますから、「なるべく、馴染みのある野球部に入って欲しい」という、親の願いもあったのでしょう。

 

私は身長も大きくなく、体も華奢でしたので、とくにさえるほうではありません。

「人より、走る力と俊敏性だけは自慢できるかな」という程度。

 

打撃もあまり得意ではなく、どちらかといえば、守備練習のほうが好きでした。

万年補欠で、唯一試合に出れるときは、決まって勝負がついている試合の最後の打席くらいのものです。

 

中学生になって、軟式野球部に入ってからも、顔なじみの先輩たちの練習相手をする日々。

裏方の仕事を主にやっていた記憶がたくさんあります。

 

「たまに試合で勝てれば、嬉しい」

「みんなで練習し、応援して、野球活動しているということが重要であり、試合の結果にこだわらない」

 

今思うと、野球部の運営自体も、そんな競争意識の低い運営方針だったように思えます。

 

部活を途中入部して大成功したエピソード2.入部後

優勝

 

そんな私が中学2年生になるころに、友人が所属している陸上部顧問の先生から呼び出しをうけました。

その顧問は体育の先生だったので、「またなにか、体育の準備を手伝わされるのかぁ」と思いながら、顧問の部屋を訪ねたのです。

 

部屋に入ると、その顧問は神妙な面持ちで話しかけてきました。

「今度の市陸上大会で、男子800m走に出場を予定していた生徒が怪我をしてしまったので、代わりに出てくれないか?」

意外な問いかけで、びっくりしたことを今でも覚えています。

 

その後、その顧問と野球部の顧問で話しをつけたらしく、こう言われたのです。

「野球部の練習の合間に、陸上の練習も少しやってくれ」と。

 

さっそく、その日の夕方から練習がはじまりました。

野球の練習で、走ることは基本。

なので、陸上部のみんなとウォーミングアップで、ランニングをすることは、ちっとも苦になりませんでした。

 

出場種目である800m走は、100mや200mの短距離走とは異なります。

800m走の場合は、スピードとスタミナの両方が必要とされる、心臓破りの種目です。

 

はじめての挑戦でしたが、陸上部顧問がタイムを計測して、実際に800mを走ることになりました。

慣れないクラウチングスタートで、少しつまづいたもののゴール。

すると、そのタイムを見た顧問が興奮した様子で、こちらに走り寄ってきました。

 

「陸上大会で、表彰に入れるかもしれないぞ!」

聞いてみると、出場予定だった生徒のベストタイムよりも、早かったようです。

 

そこから、大会が近づくにつれ、野球の練習はそっちのけで、陸上部の練習が中心に。

一番苦労したのが、クラウチングスタートかもしれません。

何度やっても、周りよりスタートがうまく切れず、いろんな方法を試して、なんとか人並みにスタートが切れるようになりました。

 

そして、迎えた陸上大会の日。

市の陸上競技場には、20校以上の出場生徒たちが集結していました。

 

正直、野球の試合に出るときよりも、かなり緊張しましたね。

いつもは大人数のなかの1人ですが、陸上の場合、闘うのは自分1人だけです。

 

慣れない陸上大会でしたが、午前中に男子800m走の予選が行われ、無事に予選を通過。

そして、午後から決勝が行われました。

 

結果は、優勝。

一番びっくりしたのは、自分自身です。

 

それまで、勝負にこだわらない野球部員だった自分。

しかし、陸上大会で優勝したときは、嬉しさと興奮といろんな気持ちが、心のなかで渦巻いていました。

 

 

部活を途中入部して大成功したエピソード3.その後

陸上競技

 

優勝してから、学校に初登校すると、先生たちがやけに騒がしかったです。

校長室に呼ばれ、激励の言葉をもらったり、友だちからも称賛されました。

 

とてもいい気分に浸っているのも束の間、陸上部の顧問から呼び出しが……。

すると、「陸上部として、本格的に練習してみないか?」と、相談されたのです。

 

陸上大会の決勝で出したタイムが優秀だったので、運営本部が県の陸上大会の候補として、名前を挙げたようで……。

市にバックアップを呼びかけて、いつの間にか、体制づくりが内々に動いていたようでした。

 

走るためのマイシューズすら持っていなかった自分が、借り物シューズでたまたま出た陸上大会で優勝。

そのことが、周りには衝撃的だったようで、どこかの地元新聞の地域欄にも、載せていただいていたようです。

 

それから、県中学生陸上大会でも決勝戦で2位という成績を出し、その後は陸上の推薦で、地元のインターハイ出場校に入学。

そして毎日、練習に明け暮れ、大会でも結果を出し続けました。

 

しかし、高校3年生のとき、インターハイ出場前に怪我をして、出場できないまま、卒業となってしまったのです。

 

まとめ

「怪我をしていなければ!」と、今でも考えてしまうことがあります。

しかし、これまで勝負ごとに縁がなかった、さえない野球部員の私。

そんな私が、たまたま出た陸上大会で優勝したことで、こんなにも周りを取り巻く環境が変わったのです。

 

そして自分のなかでも、「1番になりたい」という気持ちが芽生え、それが今の人生でも生かされている、大変貴重な経験でした。