小鳥に癒された。うつ病の完治のために私がしたこと5つ

診断

51歳男性、既婚子供あり。元大企業勤務。うつ病をきっかけに退職後現在は自分で会社を運営。健康に関することに関心があり、フィットネスクラブに通いながらストレス発散をする。若い頃にしていた英会話を再び学んでいる。

 

 

うつ病の完治のために私がしたこと1.自分でうつ病だとわかったこと

健康診断

 

突然体が動かない朝がやってきました。

金縛りにあっているのかと思うくらいに、体が鉛のように重たくなって、ただベッドの上に横たわっていました。

 

自分でなにが起きたかわからず、昨日までの自分とは違っていました。

なんとか一生懸命にこの仕事を頑張らならければ、私がやらないといけないという思いで、夜中すぎまで毎日働いていたのです。

 

1月1日から人事異動であるプロジェクト責任者に任せられ、「いやだ」と言えない私はその責任を受けました。

毎日毎日一生懸命に働いて、夜中まで家族とも会話をする時間もないくらい大変な時間をすごしました。

夜中に家に帰って、朝も5時に家を出るという生活が4か月続きました。

 

自分ではすべてを犠牲にしながらやっているつもりでしたが、家族からの支援もなし。

職場では上司の指示に従いながら、ただひたすら任務を遂行する日々でした。

 

自分の身体に気を遣うこともなく、夜中は目も覚めてあまり寝ることができず、休みもなくひたすら働き続けていました。

4か月がすぎた5月のはじめに、さっき書いたように体が動かなくなってしまいました。

そして、急に「死にたい」という言葉が自然と出てきました。

 

妻にも「死にたい」となんども言いながら、自分が自分ではないように感じました。

妻からは「死なないで」と言われながら、どうしていいのかわかりませんでした。

 

しばらくそのような日が続いて、ベッドにずっと横になっていました。

職場にも行けず、休みを取りました。

 

どうなったのだろうかとネットで検索していると、うつ病チェックというのがありました。

なにげなくその項目をチェックして回答をみると、「うつ病」だと結果が出ました。

 

私ってうつ病なんだと気づきました。

まずは、自分で自分が病気だとわかることが、うつ病完治への大きなカギです。

 

うつ病の完治のために私がしたこと2.職場を離れて一人でゆっくりする

森林浴

 

精神科もある病院にかかりました。

精神科の先生に「頭がすごく割れるくらいに痛い」と訴えると「まずはMRIを取りましょう」と言われ、MRIを取りに行きました。

 

でも、ガタンガタンと機械が揺れる音が激しく、とてもその中にいることができないと思いながら、不安でしょうがなかったです。

なんとかMRIの検査を終え、うつ病の質問票のチェック検査を受けました。

正直な自分の気持ちを選択しました。

 

自分でも大変だなあと思いながら、一つ一つチェックしました。

しばらくして、検査の結果がでて、「脳の問題はないけどうつ病ですね」という診断がくだされました。

抗うつ薬ともらって飲みながら入院をはじめました。

 

このままどうなってしまうのだろうか、という思いが頭の中でいっぱいでした。

心配した妻はうつ病に関する本を、何冊も買ってきてくれました。

 

うつ病の本によれば、まじめな人がなりやすいということが書いてあって、まさしく自分もこのような人間だなあと思いました。

「まじめで人から頼まれると断ることができない」性格。

 

さらに今回の場合は、すごく責任が重大で、その重荷をせおうことができなかったのだと思います。

すぐに、職を離れて、自分の時間をすごしました。

 

うつ病の完治のために私がしたこと3.小鳥の声が新しい命を運んでくれた

小鳥

 

入院すると死んだようにずっと眠り続けていました。

1週間くらいすぎたある日のこと、突然小鳥のさえずりが自分の耳に入ってきたのです。

 

「チュンチュン」と鳴いている鳥の声がとても新鮮に感じました。

小鳥って生きているんいるんだ。

なんだかすごく今までとは違った感覚でした。

 

なんだか今まで忘れていたことを思い出すことができました。

本当にそれまでは上司の指示に絶対的で仕事一筋でした。

自然などまったく忘れていました。

 

薬が効いているのか激しい頭痛も治まり、ベッドの上でうつ病の本を読みながら自分を振り返っていました。

しばらくして退院できました。

 

 

うつ病の完治のために私がしたこと4.家族と向き合う

家族

 

ストレス度のランキングに関する項目があって、配偶者を亡くす、というのが一番高くて離婚や夫婦別居と続いていました。

私の場合は、仕事も大変でしたが、家族からの支援がなかったのでもっと大変でした。

その職場を離れ、家族ともう一度向き合うことができました。

 

あまりにも忙しくて、メモでしか夫婦や親子のやり取りができなくて、家族がすごく不満に思っていたのです。

自分としてはただがむしゃらに働いたのに、どこがいけないのだろうと思いつつ、家族で一切どこにも出かけることない期間でした。

 

とくに、夫婦の会話がまったくなかったことが、夫婦関係をこじらせてより大変になったのだと思います。

こんなに大変になる前に、なんとかできなかったのかと思うのですが、必死で職務をまっとうしようと思っていた私には、そんなことを考える余裕もありませんでした。

 

もちろん絶対的な権力で人を従わせる職場も悪かったのですが、そのような職場で、自分も犬のように服従していたのがもっと悪かったです。

今となっては大いに反省しています。

日本の会社は大なり小なりそのような気質はあると思います。

 

うつ病の完治のために私がしたこと5.カウンセリングとストレス発散

 

 

カウンセリングもなんども受けながら、自分の思いを吐き出しました。

はじめて臨床心理士と話をして、簡単な心理学の本も読みました。

我慢してきたことを話しました。

 

たぶん、なんどもなんども同じような話をしたのではないかと思います。

そうすることで、それまで、自分の心の奥底にためていたものが、うみのように出てきて、すっきりしました。

 

これまで人前で、つらい思いをぶつけることはなかったので、それが外に出てきたんだと思います。

部屋で突然、大きな声を出して家族に心配されたこともありました。

でも、自分でストレスの発散できる方法を学んでいくようになりました。

 

まとめ

うつ病は誰でもかかるカゼのようなものです。

断ることができない性格で、仕事を受け入れていると最後に自分がつぶれてしまします。

 

自分のできる能力をしっかり見極めながら、まわりと付き合うことが必要だと学びました。

うつ病の人がいるとお互いに、気持ちを分かち合うこともでき、今となってはよかったなあと思います。