44歳女性。
派遣社員として働いています。
夫がまだ働けないので、妻である私が家計を支えている状況。
夫が病気になり、それをきっかけに夫の実家に同居していました。
今は夫婦二人で生活しており、落ち着いた毎日を送っています。
平日は会社勤めをして、土日は夫とゆっくり過ごす毎日です。
経済的には大変なところもありますが、「心の平安が一番」ということが分かっているので、毎日がとても楽しいですね。
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ムカつく姑にキレたエピソード1.夫の父親にあることないこと言われて怒鳴られた
夫が体調を崩したことが理由で、姑に頼まれて、夫の実家で同居をしていた私たち夫婦。
しかし、たった2年間の同居生活のなかで、姑にされたこと、そしてムカついたことは山ほどあります。
最初のうちは我慢していましたが、「それでは図に乗るばかり」ということを次第に理解。
それからは、こちらもキレて、反撃するようになりました。
自分の思う通りにいかないと、あることないことを夫の父親である舅に言う癖があった姑。
姑は虚言癖があり、本当に見事なまでに「嘘八百」を並べるのです。
小さな嘘から大きな嘘までいろいろでしたが、ある朝、私が台所で洗剤を置く場所を別のところに動かしたときのこと。
置き場所が気に食わなかったらしい姑は、なんと舅の職場に電話して、「私が物を投げつけた」と言いつけたのです。
当時、専業主婦をしていた私の携帯に、急に舅からメールがあり、「近所の親戚の家に○○時にこい!」とのことでした。
携帯には「どうして呼び出されるのかは、自分で分かっているだろ!」という、激しい剣幕のメールが。
私は、まさか「物を投げつけた」と、嘘をつかれていたとは思いませんでした。
ですが、姑の今朝の様子を思い出して、「多分、台所での会話が気に入らなかったんだろう」と、察しがついた私。
言われた時間より前に、指定された親戚の家に出かけたのです。
そこの家の人から、姑が「私が物を投げつけた」と言っていることを聞きました。
今まで我慢していましたが、そこで私のなかで、なにかがプツンと切れてしまったのです。
それで思わず、親戚の方々に「どうしてあの人はそういう嘘をつくんですか!?」と、マジギレしてしまいました。
すると、親戚の人が「あの人は、お嫁にきたときから、なにかと嘘をつくんだよ」と言われてしまい、ますます激昂。
そうしている間に舅が到着して、「どうして呼び出されたか、分かっているんだろうな!」と言うので、その場で姑に電話。
「私が! いつ! なにを投げつけましたか!」と、怒鳴り散らしてしまいました。
もちろん、そんな事実はないので、しどろもどろな状態になる姑。
その場は親戚の方々が間に入って、とりあえず家に帰りましたが、まさに「腸が煮えくり返る」という思いでしたね。
親戚の方々も舅も、まさか私がマジギレして、姑に電話して問い詰めるとは思わなかったらしく、茫然としていました。
姑にされてムカついたことは、山ほどあります。
ですが、物を投げたと嘘をつかれることが、ここまで腹が立つとは思わず、自分でも驚きましたね。
当時夫は病気で治療中でしたが、我慢がきかず、夫にも本気で怒り狂いました。
私のそんな状態を見たことがなかった夫は、借りてきた猫のような状態に。
うまく会話をするのが難しくなってしまったので、夫は姑に文句も注意も言うことができなかったです。
「夫がかわいそう」という気持ちと、姑に対しての怒りで、毎日が地獄のようでした。
ムカつく姑にキレたエピソード2.私の病気の母に文句の電話をかけた
姑は、さまざまなムカつくことをしでかしてきましたが、段々と周りの人を巻き込むようになりました。
以前から気に食わないことがあると、「あんたの実家に言わなきゃならない」と言って私を脅そうとします。
なので、今までは私も、適当にかわすようにしていたのです。
しかし、段々と執拗になってきて、「言う通りにしないと、言いつける」みたいな発言を繰り返すように。
私もスルーしてしまいましたが、今度はそれが気に食わなかった姑。
なんと、当時病気で寝込んでいた母に電話をして、文句を言ったのです。
私の悪いところをさんざんあげつらって、そして私の母親に「『姑の言うことをすべて聞くように』と言え」と強要。
しかし、母は賢い人だったので、「これは母親だけの話にしておきましょう」と言って、電話を切ったそうです。
体調が悪いのに、1時間以上も電話に付き合わされたので、その後、母の体調は悪化。
そのことを、実家の父親から聞いた私は、本当に腹が立ちました。
ムカつくを通り越して、殺意まで覚えたほどです。
私が母に電話して、詳しいことを聞いたあと、そのまま姑のところに行き、激しい口調で抗議しました。
「病気の母を長時間電話に付き合わせて!」と。
姑は「あんたが言うことを聞かないから……」と、明らかに恐れおののいています。
そのあと、私はその場で「こんりんざい、あなたを親とは思いません!」と宣言してしまったのです。
本当は「バカ野郎」とか「ぶったおしてやりたい」という言葉が、頭のなかをぐるぐる回っていた私。
ですが、口がきけないほどの怒りを覚えていたので、そういう言葉を言うことはありませんでした。
ただ、全身から怒りのオーラが出ていたので、姑も怖かったと思います。
それからますます、姑のことを嫌いになり、信用もできなくなりました。
ムカつく姑にキレたエピソード3.夫の障害年金を取られていた
私と姑との関係が、決定的に破綻したできごとがあります。
それは、夫の年金を取られていたことが判明したときのことです。
夫は病気で障害者となりましたが、障害年金の手続きを姑が「私が代わりにやっておく」と言ってきたので、任せていました。
「あんたは忙しいから」という姑に、マヌケなことに感謝までしていた私。
障害年金はなかなか降りずに、姑が代理で申請してから1年半ぐらいで、ようやくもらえるようになりました。
「いろいろな審査が厳しいのか」と思っていたので、とくに疑問にも思っていなかったのです。
ですが、あるとき用事で市役所に行き、年金というのはいつくらいまでもらえるのかを確認した際のこと。
なんと1年半も前から、障害年金が支給されていたのが発覚したのです。
たまたま市役所の担当者と「最近ようやく年金が下りるようになって……」と話していたら、担当者が一言。
「以前から、支給されていますよ」
そう言われて、事実が判明しました。
それはかなり重要なことだったらしく、市役所の人が何人もやってくる事態に。
書類をチェックしたり、私たちに聞き取りをしていました。
「誰が支給申請をしたのか」、「どの銀行口座に入れるよう、指示したのか」。
この二点から、姑のポケットに入っていることが分かったのです。
そのときの気持ちは、今思い出してもなんとも言えません。
たしかに虚言が多い人ですが、「まさか身内のお金まで取るとは……」と、本当に目の前が暗くなりました。
そのとき隣に夫もいましたが、夫は黙って涙を流していましたね。
「キレるというのは、こういうことなんだな」と思ったのは、その日家に帰ったあとです。
私たち夫婦は、姑に向かって文句を言うことはありませんでした。
黙って自分たちの部屋を整理して、数週間後に賃貸物件を契約し、なにも言わずに夫の実家を出ていったのです。
姑は「息子大好き」な人なので、私はともかく、夫が出て行ったことに相当なショックを受けた様子。
私は事前に自分の実家に連絡して、事情を話しておりましたので、私の家族は姑からの電話が鳴っても、誰も出ませんでした。
念のため、地元の警察には連絡して、詳しく説明しておいた私。
すると、その夜警察から連絡があって、やはり姑から「息子が嫁に誘拐された」と、ばかげた連絡があったそうです。
姑は夫可愛さと、私を召使のように扱いたかったのかもしれません。
それで一生の同居を希望していましたが、私たちは本気で怒っていたので、もう口をきくこともありませんでした。
「心底ムカつくというのは、言葉さえ出てこなくなるのだな」と、はじめて知りましたね。
とりあえず家を出たので、ムカつく姑の顔を見なくてすむようになり、一安心。
その夜2年ぶりに、ようやくゆっくりと眠ることができました。
ムカつく姑にキレたエピソード4.裁判に訴えられて、追い詰められた
姑にあまりにムカついたので家を出た私たちですが、姑の暴走はまだまだ止まりませんでした。
警察で相手にされなかった姑は、なんと私が夫を誘拐したということで、裁判所に訴えてきたのです。
裁判所から書類が届いて、私たちは仰天しました。
こういう場合は裁判に出ないと、自動的に原告の言い分が通るということで、弁護士を依頼し、裁判をすることを決意。
この裁判のせいで「時間が取られること」、そして「弁護士費用がかかること」で、姑に対して本当にムカつきました。
ムカつきすぎて、とうとう、めまいがしたくらいです。
そんな私がさらにムカついたのは、先方が出してきた「裁判用の資料」です。
いかに私が「悪い女性」ということを述べるため、「これでもか」というくらいの嘘が書かれていました。
それを読みながら「ああ、姑らしい」と思ったほど。
その一つをあげると、同居は姑の希望なのに「生活できないから、嫁が無理やり押しかけてきた」というふうに書かれていました。
思わず夫婦で「いい加減にしろ!」と、叫んでしまったほどです。
心底姑にムカついた私は、反論の資料をこと細かにあげて、裁判所に提出しました。
もちろん、年金が取られていたことも、しっかりと記載。
本当は、裁判所で怒鳴りつけてやりたいくらいだったのですが……。
提出したこちらの反論の資料が読みあげられるうちに、姑は立場をなくしたようで、小さくなっていましたね。
まとめ
裁判の結果は、姑の敗訴でした。
それ以来、プライベートで姑には一切会うことがありません。
息子ラブな姑でしたが、その息子からも絶縁された姑は、今なにを思っているのでしょうか。
どうしてあそこまで、平気で嘘をつけるのかは分かりませんが、きっともう二度と会うことはないでしょう。
今はともかく、「夫婦仲よく、平和な毎日を送りたい」と思っています。