37歳女性。
現在は所有している薬剤師資格を活用し、ドラッグストアでの調剤担当として勤務。
22歳のときに当時の同級生と結婚し、翌年には子どもを出産しながらも、元主人との間の生活の不一致などから、26歳のときにはじめての離婚を経験。
以後、仕事と家庭を両立しながら、男の子を育てるシングルマザーとして活動中。
見出し
貧乏の子育てで辛かったこと1.離乳食さえ買えない辛さ
子どもを出産した後、離婚したシングルマザーとして、女で一つで子どもを育ててきた経験がある私。
離婚した直後は、本当に貧乏な状態のなかで、子育てを強いられていました。
そのため、まだ物心が付いていない時期だったとはいえ、子どもには本当に辛い思いをさせてしまったと思います。
母親として一番心苦しかった、貧乏の子育てで辛かったこと。
それは、子ども用の満足な食事を用意してあげられなかったという点です。
ご存知のように、出生後からまだそれほど経過していない子どもに、大人と同じ食事を与えてはいけません。
なので、子ども用の柔らかく食事を与えないといけませんよね。
それに、徐々に離乳食を与えながら、普通の食事にも慣れさせる必要があります。
しかし、この離乳食を入手するためには、結構なお金がかかってしまうのです。
スーパーや薬店などで販売しているメーカー製の離乳食といえば、1食あたり200円程度。
しかし、当時はそれさえも満足に購入できない日もあったほど、貧しい生活を送っていました。
小さな子どもの子育てをしつつ、なんとかできるパートタイマーでの仕事をしていた私。
月収換算で手取額100,000円という、わずかながらの収入でした。
自分の食事を切り詰めて、子どものための離乳食を買っていたこともあります。
それに、おつとめ品で販売されていた安い野菜や果物を買ってきて、それを使った離乳食を自作し、与えたことも。
金銭面でもちろん辛かっただけでなく、親心としても本当に切羽詰まっていて、辛い時期でしたね。
貧乏の子育てで辛かったこと2.子ども用の服が買えず、着飾ってあげられない辛さ
一度でも小さなお子さんを育てた経験のある方なら、皆さんご存知だと思うのですが、子ども用の服って意外と高いんですよね。
少しの生地しか使っていない小さな衣類なのに、物によっては、大人用衣類の何倍も高い価格で、売っていたりすることも。
とてもじゃないですが、貧乏な時期の私には、絶対に手が出せないアイテムでした。
でも、親心としては、可愛らしい子ども用の洋服を着せて、愛らしい姿を写真に残してあげたい。
なによりも、子どもが風邪を引いたりしないためにも、子ども用にちゃんとつくられた衣類って大切なんです。
そんなこともあってか、子ども用の衣類を入手するために、親としても結構、苦労した経験があります。
なかでも、一番辛かったのが、お金がないためにしなければならなかったこの作業。
それは、うちの子どもよりも少しだけ成長の早い子どもを持つ方のところに行って、お古になっていらなくなった、子ども用の衣類をもらってくることです。
うちの事情を知ってか、快くお古を分けてくれる方もいらっしゃいました。
しかしその一方、貧乏な私をさげすむような目で見ながら、ようやく分けてくれる方も。
そういう方にお願いするときは、心のなかでグッと我慢していたことを覚えています。
ただ、私はタダでいただく側の立場。
ですので、決して文句を言うわけでもなく、ただただ感謝の言葉を伝えながら、お古をいただいたものです。
しかし、「貧乏じゃなければ、新品の綺麗な衣類を子どもに着せてあげられた。自分がここまでプライドを捨てなくても行動できたのかな?」。
このように想像すると、思わず泣きたくなってしまうほど、辛い瞬間がたくさんありました。
今から振り返ってみても、「当時の状況に、よく自分は耐えられたな」と感心しちゃうほどです。
貧乏の子育てで辛かったこと3.子どもに訪れる貧乏への中傷
安定した収入や高額な収入を得ているわけでもない、貧乏な状態の親だった私。
そんな私が、子どもを育てるうえで一番辛かったこと。
それは、子どもに対する貧乏への中傷行為でしたね。
子どもというのはある種、残酷な部分もある存在。
貧乏がゆえ、子どもがそれを理由に、周りからなにかを言われたりして落ち込んでいる姿を見たこともあります。
しかしながら、親として心のなかでただ、「ごめんね」という言葉を言うしかなかった時期がありました。
なので、今でも子どもに対して、罪悪感を感じてしまっているほどです。
ちょうど、うちの長男が小学校への入学を果たしたころのこと。
当時、ようやく子育てと仕事の両立が、できるようになりはじめた時期です。
それまで手取り100,000円ほどしかなかった収入も、200,000円ほどはもらえるくらいの働き方ができるようになりました。
ただ、いきなり収入が増えたからといって、すぐに身の回りの環境が整うというわけではありません。
たとえば、子どもに用意してあげた衣類ももらい物だし、ランドセルだって新品じゃなくて、近所のリサイクルショップで購入した中古品。
周りの子どもたちは皆、新品の品物をもって喜んでいる環境です。
それに対し、うちの子どもが身につけている品物は、見るからにくすんでいたり、デザインも古いものばかりなので、誰が見ても、中古品とすぐ分かるほどでした。
それが原因で、同級生の男の子の何人かに、からかわれてしまった長男。
それを聞いたとき、親としては申しわけない気持ちで一杯になってしまいました。
うちの長男は比較的、身体も心も強い子です。
なので、中傷してきた同級生に対し、あっけらかんとした感じで反論をしました。
それ以後はイジメなどに発展することもなく、とくに何事もなかったのですが、親としてとても辛かったことを、今でもしっかりと覚えています。
「まだ年端も行かない子どもに、経済的な部分で悪口を言わされてしまった」と。
しかし、逆にそういった辛いできごとがたくさんあったからこそ、今の自分があります。
その後、自分のスキルと資格を活用して、がむしゃらに働き、現在ようやく安定した生活を送ることができるようになったのです。
当時のその辛さが、原動力になったといっても決して過言ではありません。
自分はどれだけ辛くても、自業自得なので仕方ないこと。
ですが、「せめて子どもにだけは、幸せな生活を提供してあげたい」と思うのは、親として当然の想いなのです。
まとめ
母親として、「子どものためになら、自らのプライドや身を投げ出してでも守りたい」と思うのは当然のこと。
けれど、貧乏がゆえに大切な子どもにまで、苦しい生活を強いてしまったことが、なによりも大きな後悔でした。
そんな私にとって、「子どものすくすく成長する姿が、唯一の励ましだった」といってもいいかもしれません。