27歳女性。自営業。
社交場自体は嫌いではないが、ご近所付き合いは、やや希薄なほうが、気楽で過ごしやすいと思っているタイプ。
とは言いつつも、土着愛はあるので、地域のお祭りやイベントなどには積極的に参加しています。
人との距離感を大切にする性格で、在宅ワークはある意味天職。
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田舎の人間関係を嫌に感じたエピソード1.都会からきた母をよく思わない村民
私は過去に、中部地方の田舎の村に住んでいた時期があります。
主に物心が付いたころから、15歳くらいまでの期間でした。
その期間に子どもながらに感じた、田舎特有の人間関係の面倒臭さに関してのエピソードをいくつかご紹介します。
私は医者の父と母の3人で田舎に住んでいて、父が医院を開業するまでは、その土地は無医村でした。
なので、父の開業により村は少し活気付き、父は村の人たちからいつも「先生、先生」と呼ばれて、親しまれていましたね。
ですが、その父のパートナーである都会育ちの母のプレッシャーは、大きかったようです。
もちろん、母を「都会からきた奥様」と仲よくしたり、媚びてくる村民の人々もいました。
ですが、なかには田舎コンプレックスをこじらせて、よく思わない人もいて……。
母が少しでもミスをすると、「これだから、都会のお嬢様は」と、嫌味ったらしく言うのです。
私はそんな意地悪な人たちが許せなくて、母に「なんで言い返さないの?」と聞くのですが、そのたびに母は困った顔をしていました。
今思い返せば、下手に母が強気に出てしまうと、村八分まがいなことになる可能性も。
そうなると、村ぐるみで父の医院を使用することを、止められてしまう可能性もあったのでしょう。
村の噂と悪口のネットワークの速さは、尋常ではありません。
噂が噂を呼んで、あっという間に広まってしまいます。
そうすると、自営業である父の収入は乏しくなり、家族の生活に致命的なダメージが。
なので、母は嫌なことを言われても、グッと耐えて、我慢しなくてはならなかったのです。
田舎の人間関係を嫌に感じたエピソード2.突然訪れるご近所さんへの対応
私が住んでいた田舎では、歩いていける範囲のご近所さんのほとんどが農家。
規模の大小はあれども、ほとんどの人が自分の畑の土地を持っていて、作物をつくっていました。
医者である我が家には、よく村民が訪れ、まるでお布施のように農作物をいただきます。
ですが、これは嬉しい話かと思いきや、その対応が非常に面倒なのです。
いつ突然訪れてくるかも分からない、ご近所さんたちのために、あることをしなければなりません。
それは、常に、その場でお渡しできる、お返しの品を家に用意しておくこと。
ジュースでもお菓子でもなんでもいいので、その場で手渡してから、帰っていただかなければなりません。
そうしないと、悪い噂を流されてしまう危険があったのです。
「手土産を持って行ったのに、あそこの家(嫁)はなんの気も使えやしない」と。
「アポもなにも取らないで、突然くるのは向こうなのに?」と思いますよね。
家の押入れには、ご近所さんへの手渡し専用に箱買いされた、飲食物のスペースが用意されていました。
私は父に「この箱のなかからだけは、絶対に食べたり、飲んだりしてはいけない」と厳しく言いつけられたものです。
田舎の、その人間関係のあまりの面倒臭さに、当時の母の心労がうかがえます。
田舎の人間関係を嫌に感じたエピソード3.謎の建物の正体と父の威圧理由
私が小さいころに、父と母に「今からお出かけするから、これに着替えてね」と、やや小奇麗な洋服に着替えさせられました。
どこに行くのか聞いても、詳しくは話してもらえないまま、車に乗せられた私。
不思議がっている私に、父が運転席からこう言いました。
「今からお父さんたちはある建物のなかに行って、ある人の名前を書くからね。」
「○○(私)も一緒に行くんだけれど、もしもお父さんが書いている文字が見えたとしても、絶対に、絶対に口に出してはいけないからね。約束できる?」
怒鳴ってはいませんが、ただならぬ威圧感を持つ父のその言葉に、私は「はい」としか言えませんでした。
そして山のなかにある建物に着き、家族でそのなかに入ると、村長さんがいらしたので家族でご挨拶。
そして、そばにあった台のうえで、父と母は私が聞いたこともない人の名前を書きはじめました。
実際に見えていましたが、私は約束通りに黙っていて、書き終えた父と母が書いた紙を、ポストのようなもののなかに入れてから、建物をあとに。
車に戻った瞬間、父は私を「いい子だな~偉いぞ!」と褒め、豪華な外食に連れて行ってくれました。
子どもにとっては、わけの分からないできごとだったとしか、言いようがありません。
大人になってから分かった事実なのですが、あの日は選挙の投票日だったのです。
家族で入った建物は村の投票会場で、父が私に口止めをしていた理由は、「村が推している立候補者の名前を書いていなかった」から。
田舎では現在でも、地域ごとの組織票が存在することが多いと聞きます。
あの日も、もともとは村ぐるみでの投票が、暗黙の了解で決まっていた立候補者がいたのでしょう。
そして、もしも私がそれを口にしてしまった場合、父と母は村長さんから大目玉を食らい、村八分状態に真っ逆さまだったに違いありません。
だからといって、村で唯一の医者である父が、娘である私を家に置いてくるわけにはいかなかったのだと思います。
「思想の自由を許されているこの国で、なんて閉鎖的で陰湿な風習なのであろうか」
田舎特有の、人間関係のドロドロさをしみじみと感じました。
まとめ
私は、田舎自体が嫌いなわけではありません。
静かな生活や溢れる自然など、田舎にしかない魅力はたくさんあります。
ですが、ハッキリと「都会より田舎のほうが好き」だと公言できない理由は、やはり特有の人間関係の面倒臭さがあるからなのです。