高校卒業後、反対を押しきり、歳の差結婚。
現在結婚10年目、子どもはなし、中年男性を夫に持つ。
実の家族とは一時期相当こじれたが、現在は良好な親子関係を築けている、27歳働くアラサー。
「またまだ、性格には難がある」と自覚あり。
見出し
性格が変わったエピソード1.性格が変わる前の暮らし
私はことあるごとに、他人のせいにしてばかりの子どもでした。
父は偏屈で厳しい人間だったので、しつけとしての折檻は容赦なく行う人でした。
母は高齢で、兄と私を産んだため、どうしても子どもが可愛くて仕方ないようで、私もたいそう可愛がられましたが、私より兄を溺愛。
そのため、兄は物心ついたときから、気に入らないことがあると駄々をこね、ことあるごとに癇癪を起こす子どもに成長しました。
やがて、兄が中学校にあがるころともなると、その癇癪は家庭内暴力へ。
夜中に暴れて母から金をむしり取っては、出かけていくことが日常的に続くようになったのです。
当時小学校中学年だった私は、家庭内の状況に段々と疲弊していきました。
父はその状況に向き合うことはなく、ただ折檻のみ。
母は頭を悩ませていましたが、考えていることはすべて兄のこと。
なんどえ、私の生活環境については見向きもされず、改善されることはありませんでした。
発育がとても良かったために、ちょうどそのころに、かなり早い初潮を迎えた私。
心身の成長のバランスが取れていない状態に、学校での人間関係や家庭環境のストレスが重なっていました。
しかし、両親に頼ることを許されない雰囲気のなか、人間性を育む一番大切な時期に、明日になんの希望も持てずに、毎日うらぶれていったのです。
悲しみや苦しみが、ぽっかりと抜け落ちてしまった私の性格。
「上手くいかないのは兄のせい、親のせい」と転嫁するべきではない責任も、他人のせいにする性格は、このころにできあがっていったのではないかと思います。
性格が変わったエピソード2.変化のきっかけは家出だった
そんな毎日が繰り返されながら、数年の月日が経ったある日。
兄の家庭内暴力はひどくなる一方で、母と2人外の物置で眠るのが当たり前になってきたころのことです。
街で知り合った、家に馴染めない女の子と遊んでいて、そのまま門限を破って家に帰らず、その夜繁華街で、一晩を過ごしたできごとがありました。
大してお金を持っているわけでもなかったので、友人と2人で繁華街のなかにある公園で、夜が明けるまで過ごしただけにすぎません。
ただ、ベンチに座ってどうでもいいお喋りをしながら、夜の街を眺めていたのです。
目の前で揉めごとが起きたり、逮捕されていく人がいたり、昼間の街にはいない、まったく違う毛色の人たちが行き交っていきます。
それらを見て、いろいろ考えました。
「世のなかは広くて、まだまだ知らないことしかないということ」
「私が暮らしている世界が、世界のすべてだと思っていた場所は、世界の本当に小さな一部分でしかないこと」
「これ以上、両親に期待をしても無駄だということ」
今まで考えたことのないことを、いろいろなことを考えた夜でした。
なにしろ、家に帰らないなんてことは、はじめてのこと。
なので、見るものすべてが新鮮でドキドキして、なんだか心に活力が湧いてくるようなひとときでした。
しかし、今から考えれば、そのできごとが私の性格を変える、ターニングポイントになったのだと思います。
性格が変わったエピソード3.自立して生きていく
そんなプチ家出からほどなくして、私は家を出ることにしました。
あの夜に感じた、「知らないことを知りたい」という欲求を抑えることができなかったのです。
親に行き先は伝えず、友人の家や、24時間営業のコインランドリーなどを転々する日々。
アルバイトをしながら生計を立てる、親から完全に離れての生活がはじまりました。
自分で選んで自分で決める、自己責任のうえでの暮らしは、責任を押し付けられる相手がいません。
ですので、不思議と他人のせいにばかりしていた性格が、いつの間にか、自己批判ばかりする性格に変化していたのです。
性格が変わったエピソード4.自分ルールに縛られる
すべては行動は自己責任のうえで行い、また訪れた結果はすべて「自分の招いたこと」と、思いすぎるような性格に。
その結果、行動のすべてを、自身がつくった自分ルールで律するようになりました。
「人間完璧な生き物ではない」とは思いつつも、「こうあるべきだ」という考えが、段々と自分の意思を支配するように。
そのため、ルールに沿えなかった自分を、できないと責めるようになりましたね。
そのころ両親と話し合い、高校は受験させてもらうことにして、学費を稼ぐために相当無茶な働き方をしていました。
なので、精神的にも少しおかしくなっていたようです。
「無事に高校に入学してからも、学業とバイトを両立させなくてはいけない」
高校生活の3年間は、友人たちと心おきなく会話をすることもなく、ただ忙しく過ぎていきました。
卒業後、すぐに結婚。
反対を押し切っての年の差婚は、想像以上に上手くいかないことだらけ。
そのうちに、今度は自分だけではなく他人に対しても、自分ルールを用いて「理不尽や不正がないか」と、目を光らせるようになった私。
異常なまでの潔癖主義と化した私は、よどみがあると判断したら容赦なく、批判的に責め立てるようになり、再び性格が大きく変化していきました。
性格が変わったエピソード5.年齢を重ねるごとに良い諦めができる
誰にでも噛み付く性格は、20代半ばまで続きました。
後半はそんな自分自身を情けなく思っているのに変わることができず、どうすれば良いのかまったくわからないまま、とても苦しい日々でしたね。
しかし、20代も後半に差しかかってくると、「人には、いろいろな思いがある」ということを改めて確認する機会が増えました。
許せなかったできごとに対して、覚悟と「まぁ仕方ない」という、いい諦めが同居できるように。
「この歳になってはじめて、バランスが取れてくるものなんだな」と、ブレていた性格や心がしっかりと定まったようで、腑に落ちたような気持ちの変化がありました。
まとめ
人間は一生のうちに、何度自分を変えることができるのでしょうか?
「ときは流れ続け、刻一刻と状況は変化していくのに、自分自身だけがまったく変わらないなんて、ありえない」と、私個人は思うのです。
「そのときに、一番新しい私で、一番楽しい」と思えたら、いいと思いませんか?