母親が入院したときの辛いエピソード4編

27歳女性。イラストレーター、自営業。体の弱い母を残して結婚し、家を出てしまったため不安がつのり、母に晩婚の婚活パーティーをすすめ中。まんざらでもなさそうな母を見て、一安心。「将来は、体の強い人と結婚するぞ」と、息巻いて選んだ旦那は、超アウトドア派のスポーツマン。

 

 

母親が入院したときの辛いエピソード1.昔から体に持病を抱えていた母

マスク

 

私が小学生2年生のころのある日、母が自分の食べていたものや飲んでいたものを私に与えなくなりました。

1度でも口をつけた飲み物や、フォークなどを私に触れさせないのです。

 

疑問に思いながらも、なぜなのかを聞けなかった私。

レストランに行ったときにも、母が頼んだものが美味しそうで「ちょうだい」と、言ったのですが断られました。

 

それまで、そんなことはなかったのに突然の母の冷たい態度に、ショックを受け悩みました。

じつは、母はそのころにC型肝炎にかかってしまっていたことが、あとになってわかったのです。

 

私が中学生に入ってから、母から教えてもらいました。

C型肝炎は同じ肝炎でも、B型などとは違い治りにくく、国からも難病指定されています。

 

すぐに容態が悪化する病気ではありませんが、その病気の特性上、唾液や粘膜からも感染する可能性が高いのです。

そのために、私がまだ小さいころはできるだけうつらないように努力していたようです。

 

母親が入院したときの辛いエピソード2.新薬実験のために入院

新薬

 

そんな母が、私が成人したころに入院することとなりました。

入院の理由は、新薬での治療と治験です。

 

難病認定されているC型肝炎は、新しい薬が開発されたときの実験として、患者が格安でそれを受けることができるのです。

その被験者に「当選」した母は、とても喜んでいました。

 

それも、そのはずです。

C型肝炎患者の全員が、その実験に参加できるわけではないのです。

 

一般的な集中治療の入院は非常に高額で、裕福ではないわが家からすると、それはまさにおどろきだったのです。

「これで、病気が良くなるかも!」と、喜ぶ母。

 

私は、表面上では一緒に喜びましたが、心のなかには少しかげるものがありました。

確かに、格安で最先端の治療を受けられることは喜ばしいのですが、まるで母がモルモットにされているような気がしたんです。

 

そんな暗い気持ちを口に出せるわけもなく、入院の日は間近に迫っていました。

母の入院は、約3週間。

 

父がいないので、家の経済状況としてはかなり大きな期間です。

母は、決意を胸に病院へ向かいました。

 

 

母親が入院したときの辛いエピソード3.治療とともにやつれていく母

入院

 

入院の内容は、とてもシンプルでした。

決まった時間に決まった薬を飲み、体重や血圧などを計るだけです。

 

新薬なので、多少の副作用があるかもしれないとは、母も聞いていたようです。

しかし、それ以上に病気の改善が見込めるならと、腹はくくっていたとのことでした。

 

ですが、その副作用はとても深刻なものでした。

吐き気や下痢などが1日中続き、私が行っても母はあまり笑わず、辛そうにしている時間がどんどん増えてきました。

 

どんなに吐き気があったとしても、飲んだ薬を吐き出すわけにもいかないので、じっと耐えて我慢するしかないのです。

そして、もっとも深刻な副作用は脱毛でした。

 

副作用の可能性としては、最初から言われていたのですが、元から毛質自体が弱めだった母には大きすぎる代償でした。

ねこ毛であり、量も少なく細い母の髪は、ちょっとした副作用にも敏感に反応してしまったのです。

 

会いに行くたびに、母の顔は少しずつこけて顔色は悪くなっていきます。

それだけではなく、髪もどんどん抜けていって、おばあさんのような見た目になってしまいした。

 

おしゃれやファッションが好きで、チャーミングな母が好きな私は、その姿に衝撃を受けました。

結局、肝臓数値のわずかな安定は見られたものの、根本的な解決にはなりませんでした。

 

母は大きく落ち込み、すぐに仕事に復帰できる状態になく、母をなぐさめる日々がしばらく続いたのです。

 

母親が入院したときの辛いエピソード4.また元気な母が見たくて

かつら

 

1度抜けた髪の毛は、すぐに生えてくるわけではありません。

母は制服の決まっている接客業でしたので、頭部を見せることに抵抗があり、軽いノイローゼになってしまったようでした。

 

母を元気付けられるのは、娘である私しかいないと感じ、あるものを探しに街に出かけました。

私が買ってきたのは、カツラです。

 

母の髪型と髪色に近いものを探してきて、人毛に近い自然なものをプレゼントしました。

母にそれを渡すと、涙ぐみながら喜んでくれて、「1番辛かったのは、間違いなく母だったのだ」と、改めて思ったのです。

 

大事な人が入院したり、落ち込む姿を見るのは誰でも辛いものです。

ですが、「もっとも辛いのは、本人であることを忘れてはいけない」と、改めて思いなおしました。

 

母の入院中は、弱っていく彼女を見て私も心底辛い気持ちでしたが、それでも支え続けていかなくてはと思ったのです。

 

まとめ

いかがでしたでしょうか。

入院というと、怪我や病気などのためにすることがほとんどです。

 

しかし、私の母の場合は、治験や実験の目的が大きいものでした。

効くかわからない薬のために、疲れていってしまう母を見るのは辛いものです。

 

いつか、不治の病を呼ばれる病気たちに、特効薬が生まれることを願うきっかけとなりました。