50歳。女性。心理カウンセラー。壮絶な体験を幼少期から数多く乗り越え、自身もうつ病を経験し心理家運セラーになりました。経験値の豊富さから、人の心に寄り添えるセラピスト、カウンセラーとして一人でも多くの方のお役に立てたらと、願いつつ、日々精進しております。
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仮面夫婦状態から離婚を決意したエピソード1.当初からすでに仮面夫婦
私は20歳から同棲して、22歳のときに最初の結婚をしました。
仮面夫婦になったのは、結婚当初からです。
いや、それ以前に同棲時代から不協和音はあったんです。
同棲が相手の親にバレて、義父に言われるがままに結納、結婚と勝手に進められたのが本当の流れでした。
私たちは、25歳をすぎてから結婚しようと話していたんです。
でも、義父から「子どもでもできたら大変だから、結婚しなさい」と、言われてしまったんです。
私たちの話は、まったく取り合ってもらえませんでした。
彼は彼で、義父逆らうこともできずに、ただうつむいて黙ったまま。
帰宅してからも「親父がああいうなら、そうするしかない」と、言うだけでした。
仮面夫婦状態から離婚を決意したエピソード2.結婚式で彼を嫌いになる
私たちは、結婚式を会費制のパーティー形式でする予定でした。
しかし、義父に完全拒否され、義父の言うままに派手結をすることになってしまいました。
私の親戚や友人は、都内または東北に住んでいたので、せめて中間地点でやりたかったのですが、取り合ってもらえず。
結局、彼の実家の近くのホテルで行うことになりました。
ドレス選びも、彼とではなく、なぜか義母と行ったんです。
私の親戚や友だちは、なんの文句も言わずに参加してくれました。
交通費や宿泊費は、すべて私の父が出してくれました。
式の参加者は彼側のほうが多く、内容もすべて義父が決めたのですが、なぜかここは折半。
交通費や宿泊費を足したら、折半どころではありません。
それでも父は、なにも言わずに支払ってくれました。
彼からは父に対して、一言のおわびも、お礼の挨拶もありません。
私は、彼の人間性がさらに嫌いになりました。
すぐに離婚を考えなかったのは、結婚式費用で父に負担をかけたことや、遠方から来てくれたみんなのことを考えたからです。
愛情は、すでにまったくありませんでした。
仮面夫婦状態から離婚を決意したエピソード3.結婚とは墓場と実感
結婚式後のこと。
二次会は、家ですることになりました。
私は化粧落としも、髪結いもとかぬまま、台所の手伝いをさせられました。
彼は、同僚や友人と飲んでいて、知らんぷり。
早朝からなにも食べられないままで、お腹が空いて仕方がありませんでした。
となりで、彼の叔母さんがおむすびを握ってくれました。
私にだとばかり思っていたら、「〇〇くん(主人)に、持って行ってあげて」と。
おむすびの件もですが、誰も化粧落としもしていない私のことなど気にかけてはくれません。
座る暇もなく、ひたすら台所の手伝いが続きました。
途中で、私は疲れからめまいを起こしてしまいました。
私の親友カップルが休んでいる部屋に行き、ワンワン泣きました。
親友はあちらの身内の手前、声をかけられずにいたそうです。
そして、引き出物の赤飯と鯛の包みを開いて「食べな!」と、差し出してくれました。
結婚初夜にも関わらず 、私は彼のいる部屋に戻ってからも、一言も口をききませんでした。
結婚とは墓場とは本当だなと実感していました。
仮面夫婦状態から離婚を決意したエピソード4.妊娠中の大事故
結婚後、彼の妹や両親から「子どもはまだか?」と、年中聞かれました。
嫌気がさしていましたが、なんとか夫婦生活はありました。
そして、半年後に懐妊。
ところが、妊娠6ヶ月のときに彼の居眠り運転が原因で事故を起こし、大事故に。
普通なら、責任ある彼がすべての手続きをするのが当たり前です。
しかし、怪我1つなかったのに、頭を抱えて 「どうしよう」ばかりつぶやいて、動きもしないのです。
仕方なく、お腹の大きな私がすべて行いました。
帰り道、1時間近く歩いたことや、気がぬけたこともあり、急にお腹痛くてたまらなくなり座り込んでしまいました。
しかし、彼は「大丈夫?」の一言もなく、「なにしてんの?道の途中でみっともないな」と、言ったんです。
私は、ひとりでタクシーで帰りました。
彼を憎いとさえ思いました。
仮面夫婦状態から離婚を決意したエピソード5.彼の優しさの欠如
長男は難産でしたが、ぶじに生まれました。
しかし、彼はまったくうれしそうではありません。
陣痛が来た日の朝も、「ちゃんと布団をたたんで、自分で運転して病院に行って」と、言われました。
産後も、両親が主人を呼びに行ってくれたのですが、眠そうな迷惑そうな顔で出てきたそうです。
両親が「一緒に行こう」と言っても、「まだ眠いから、あとから行きます」と、ドアを閉めてしまったそうです。
退院後、すぐにお正月休みに入ったのですが、彼の叔母が「泊まりにおいで」と言い、彼はそそくさと出かけてしまいました。
彼に対しても、叔母に対しても「思いやりも優しさの欠片もないんだな」と、なかば投げやりになりました。
私は、結局、息子とふたりで正月をすごしました。
手伝いに来てくれた母がその状況を見て、本当に怒っていました。
あきれるをとおり越して、涙も出ませんでした。
仮面夫婦状態から離婚を決意したエピソード6.「親は捨てろ」発言
私は養女で、親の老後を見ないといけない立場です。
結婚しても、私の両親が住む街から近い場所に住むことが条件でした。
彼の実家は民宿を経営していましたが、ご両親は元気で、民宿を継ぐとしたら、私の両親が亡くなってからと話しました。
結婚前には、彼も承諾してくれていたんです。
ところが、息子を連れて帰省したときのこと。
あちら側の親戚もいる目の前で、義父は酔って怒り出し「結婚したら、こちらに帰る約束だったはずだ」と、言いだしたんです。
私は両親のことを話しましたが、「ウチに嫁にきたのだから、親は捨てろ」と言われました。
そのとき、彼はどうしていたかというと、座布団を頭からかぶり寝たフリです。
部屋に戻ってから、大ゲンカになりました。
「この人は、自分の家族を守ろうという考えすらないんだな」と、心が凍りつくような想いでした。
仮面夫婦状態から離婚を決意したエピソード7.ようやく離婚
その後、義父から電話がきて「田舎に帰って来い」と、言われました。
彼もこのときばかりは、義父を説得しましたが、口論の末、縁を切るとまで言われたんです。
その夜 、私たちは話し合い、私の実家と彼の実家の中間地点に住むことにしました。
これまで、仮面夫婦を続けてきましたが、このときは彼を少し見直し一からやり直そうと思いました。
しかし、「肩が痛い」と仕事を休んでから、仕事に出てこない日が続きました。
私は息子を背負ったり、管理人さんに見てもらったりしながら働いてたのに。
このとき、もう限界だなと思いました。
そして、ある休みの日に、私は息子を連れて実家に向かいました。
まとめ
その後、私は重い鬱病にかかりました。
医師からは、「回復までは、離婚を決めるのは良くない」と、言われましたが離婚を決意しました。