30歳 女性 主婦。
結婚を機に仕事を辞め、主婦になるが、今までの自身のキャリアを活かすチャンスや自己実現をまだ諦めておらず、現在いろいろな可能性を模索している。
夫婦生活において、自己の存在意味がわからなくなり、うつ状態になる経験を持つ。
夫と妻の関係の平等性において研究。
ブログなどで、同じ境遇の女性に向け発信していくことを目指す。
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夫との不仲が改善したエピソード1.夫の幼児化
顔も身体も性格も、基本的にはすべて、私のタイプの夫。
今時の男性には珍しく、肉食系で、しっかりと自分を持っています。
そんな彼の男らしさに惹かれ、「彼についていけば、一生大丈夫!」と、結婚を決めました。
そんな男性と結婚し、幸せな新婚生活を送るはずでしたが……。
その後、私が夫を受け入れられず、スピード離婚までも考えてしまう事態に、発展していくのです。
結婚してから、交際していたときよりも、夫が甘えてくるように。
「夫婦になったのだし、仕事で疲れた夫を癒してあげたい」と、最初はまったく抵抗なく夫を受け入れ、できる限り甘えさせていました。
最初は膝枕や、いい子いい子など、少しの甘えで済んでいたものが、行動は日を追うごとにエスカレート。
仕事から帰ってくると、まず猫なで声で私の名前を呼ぶのです。
すると、「俺ひとりじゃご飯食べられな~い」「着替えさせて~」など、身の回りのことをして欲しいとねだってきます。
なにを言う、するにも、声は終始甘えた猫なで声。まるで家のなかに幼児がいるようです。
しまいには、夫婦の営みもすべて、受け身の甘えん坊モードに。
「疲れた夫を受け入れ、自分にできることをしてあげたい……」、この一心で、夫の要望に応え続けました。
しかし、私の心のなかでは、葛藤と夫に対する嫌悪感が、少しずつ大きくなっていったのです。
夫との不仲が改善したエピソード2.義母との関係
義母との関係は、とても良好でした。
とても気さくな優しい方で、私のことも受け入れてくれています。
ひとつ懸念したのは、義母が自分の息子を溺愛していること。
息子(私の夫)も、熟年離婚した自分の母に対し情があるため、双方の思い入れが非常に強いということでした。
簡単にいえば、精神的な親離れ・子離れができていない状態です。
その懸念は、的中しました。
以前より、夫と義母の間で、電話やメールのやりとりを頻繁に行っているのは知っていましたが、結婚後、その頻度が増え、毎日のように電話が掛かってくるようになったのです。
話している内容は日々のなんでもないことですが、夫が義母に自分の生活の一から十まで報告するので、私との不仲についても筒抜けでした。
ある日、義母から直接私に電話があり、私は義母の話を聞いて、凍りついてしまったのです。
「最近、○○(息子)の仕事が忙しいみたいよね。疲れて帰ってきたのに、最近あなたの態度が冷たいって悲しんでたわよ? あなたは専業主婦でずっと家にいるんだから、ちゃんと外で戦っている夫を支えてあげないと」
夫の無理な要望にも必死で応えていた私を、夫はそんな風に義母に漏らしていたのです。
それになにより、夫婦の問題を義母に相談し、間接的に言及させる夫の行動に、私は失望しました。
たまらなくなり、このことを夫に告げると、夫から衝撃的な言葉が。
「俺と母さんの間には、昔から隠すことなんてなにもない。事実を伝えているだけなのに、どうしてお前に、そんなこと言われなきゃならないんだ」
このできごとから、私は夫を受け入れられなくなるのです。
夫との不仲が改善したエピソード3.拒否反応
夫を受け入れられないと分かってからの生活は、まさに地獄。
朝起きてから夫を会社に送り出すまでの間、お弁当や朝食の支度で忙しいふりをして、なるべく顔を合わせないようにしました。
帰ってくる時間が近づくと、次第に気持ちが重くなり、あの猫なで声を思い出すと、頭痛がするまでに。
必死につくり笑いをし、トイレでひとりになったときしか、本当の自分に戻れないという状況です。
また、拒否したい本心とは裏腹に、夫に要求されたことをすべて受け入れることしかできなくなり、自分の意志を殺すことだけを考えるようになります。
夫から義母に話され、二人が敵に回るのが怖いからです。
自身の拒否反応を必死に抑える毎日、強迫観念に押しつぶされそうな日々が、数ヶ月つづきました。
「離婚」の文字が、私の頭をよぎりましたね。
夫との不仲が改善したエピソード4.希望の光
夫からも理解されず、信頼していた義母にも夫の肩を持たれてしまった私は、心身ともに疲れ切っていました。
そんなとき、私の母が訪ねてきたのです。
母はすぐに私の異変に気づいたようでしたが、親に心配をかけたくなかった私は、「疲れているだけ」と言い張り、どうにかその場をしのごうとしました。
しかしあるとき、張り詰めていた糸が、プツンと切れてしまったのです。
母の手を握り、大号泣した私は、すべてを母に話しました。
「もう耐えられない、離婚したい」ということも。
そのとき、帰ってくるはずのない時間に、夫が仕事から帰ってきたのです。
私は驚きと恐怖で絶句。
夫はこの状況に驚いていましたが、静かに横に座り、私を抱きしめました。
「ごめん……。俺がなにもわかっていなかった。辛い思いをさせて、ごめん」
そして、なんと、私の母にも、頭を下げて謝罪したのです。
私が落ち着くと、母が、ゆっくりと口を開きました。
「○○(夫)さんに連絡をしたのは、私よ。お義母さんから、すべて話は聞きました」
なんと、義母が私の母に連絡をとり、すべてを話していたというのです。
義母は、息子の言う一方的な話を鵜呑みにし、ことの真相を把握せずに、私に注意するようなことをしてしまったそうです。
電話で話す私の声に、覇気がなくなっていることにも気づいてはいた義母。
しかし、息子の可愛さと、これまでの双方の関係から、どうしていいのかわからなくなり、救いの手を私の母に求めてきたということでした。
母は、それからすぐに夫に連絡を取り、問いただしたそうです。
そして、娘がどういう状況なのかも伝えたうえで、仕事を早あがりさせてまで、家に帰らせたのでした。
夫は、私の横でただ涙を流していました。
「お前の優しさに甘えてばかりいた。母さんとのことも、お前の気持ちも考えずに、申しわけない。嫁いでくれたお前に、ひどい思いをさせて、本当にすまなかった……。これからは、夫婦二人で向き合って、なんでも話し合っていこう」
そのとき、わたしは出会ってはじめて流す夫の涙を、不思議と、愛おしく感じることができたのです。
夫との不仲が改善したエピソード5.幸せな日々
それからというもの、夫の幼児のような態度は徐々に減り、私の意見や要望も、受け入れてくれるようになりました。
今では、休日に家事を手伝ってくれたりと、私との平等な時間を大切にしてくれています。
以前のような拒否反応は消え、新婚時代以上に夫婦仲良く過ごしているふたり。
義母からも、その後謝罪の電話があり、和解。
最近は、たびたび家に遊びにきては、息子に対し、自身の熟年離婚の失敗をもとに、夫婦生活におけるダメ出しをするまでになりました。
夫はタジタジです。
まとめ
一度は離婚まで考えた夫との関係。
原因は、夫婦でキチンと向き合い、話し合うことができなかったことにありました。
結果、自分の母に余計な心配をかけることになってしまうことに。
大好きで結婚したあのときを思い出し、勇気をもって、平等な夫婦関係を築いていくことが、夫婦円満の秘訣なのかもしれません。