36歳 男性 職業 会社員。
元妻のことで人間不信になりましたが、いまは日々明るい未来のためにがんばろうと前を見て進んでます。
自由と孤独は紙一重。いろいろ経験してわかったこと、日々人生は勉強です。
支えてくれるまわりの仲間に感謝。
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妻が憎く、許せないエピソード1.25歳におたがいを知らずに結婚
妻といっても元妻の話になるのですが、友だちの紹介で知り合い遠距離恋愛を1年してから、結婚いたしました。
結婚って憧れが強く、結婚したら「一人前の大人」としてみられるって思いが昔から強く、「25歳までしたい」って思っていたので、25歳に結婚しました。
結婚生活の話しになるのですが、まず遠距離恋愛をしていたせいか、正直おたがいのいいところしか見ていません。
共同生活の部分に関してはまったくおたがい知りませんでした。
妻が憎く、許せないエピソード2.驚きの生活
結婚してはじめて一緒に暮らすようになり驚きの連発でした。
まずは朝食。朝からお菓子がだされたのです。
私たち夫婦は結婚する前に1つの約束をしておりました。
「それはおたがいの悪いところは言わない。おたがいの文句も言わない」という約束です。
もちろんその約束を守るために朝食からお菓子を出されても文句の1つ言わないでいました。
妻が憎く、許せないエピソード3.まだまだつづく驚きの生活
一緒に暮らしていくうちに、どんどん私には考えられないことの連続でした。
まず「野菜を切るのが嫌」と言って、フードプロセッサーを買い、それを購入しても「洗うのがめんどうだから」となかなか使わない。
使うなら使うで、フードプロセッサーを1回きりで使うことがなくなり、揚げものをするときに「コンロでしたら危ない」と言い、電気フライヤーを購入。
買ってきてそれで料理するも「温度が低いから、あまり揚げものがうまくできない」と言って、1回きりで使うのをやめる。
つくるのが面倒だから、揚げものはお店の惣菜でまかなうことにし、魚を焼くのにも「コンロが汚れるから」と言い、魚焼き機を購入。
もちろん、それも1回きりで使うことをやめ、魚もお店の惣菜でまかなうことに。
なにを考えてるのかさっぱりわからなく、無駄に浪費も激しく驚きの連続。
もちろんお昼のお弁当はすべてを冷凍食品。妻がしたのは、ご飯を炊いて入れたことだけです。
お昼食べるのに、前の日の夜にはつくって、それを冷蔵庫に入れていたので、私がお昼を食べるときにはカピカピのご飯でした。
「ないよりマシ」と思い我慢して食べてましたけど。
妻が憎く、許せないエピソード4.たまる妻への不満、憎悪
正直そんな生活我慢の連続で、結婚して1ヶ月で爆発寸前。よく愚痴を友人にぶちまけていました。
「もうだめやわ、離婚するわ」となんども相談したりしていましたね。
でも実際は自分の両親も、私が結婚したことにとても喜んでおり、三兄弟の長男として期待もされています。
今まで女の子がうちにいなかったので、本当の娘のように可愛がってたのも知っていたので、「その期待を裏切ってはいけない」と私は思い、両親には結婚生活の話しは一切しませんでした。
「子どももまだいないのに社会復帰はしない」と言った妻は、お昼は友だちとランチ、私の弁当は冷凍食品、夜はお店のお惣菜。
こんな生活ならキッチンも綺麗なもんですよね。
妻が憎く、許せないエピソード5.絶対に働かない妻
こんな生活が1年が過ぎ私の会社の業績が悪化して、会社が月に何日か休業することになりました。
もちろん休業するのですから、前と同じ給料がもらえるわけではなく生活は苦しくなります。
「社会復帰をしない」と断言してるので、妻は働きませんでした。
それでも「生活のために働いてくれるかも」とかすかな希望をもって、さりげなく求人雑誌を買ってテーブルの上においたりもしたのですが、やはり働くことはありません。
お金がないと生活できないわけですから、「私がやるしかない」と思って、逆に生活費を稼ぐために、夜間私がバイトをすることになりました。
仕方ないことです。
妻が憎く、許せないエピソード6.新しい出会いと恋
夜間のバイトをはじめたのが、私の人生のターニングポイントでした。
バイト先に1人の女性がいて仕事もでき、とても話しやすく、とても私を気にかけてくれて、私はその女性と一緒に仕事できる時間がとても楽しいと思うように。
冗談半分で「今度ご飯でもご馳走するよ」と言ったら即答で「行きたい」と返事がきて、ご飯にいきました。
その時間はとても楽しく、会話もはずみ、あっという間の時間で、私はそのときに、というかその前からその女性を恋をしてしまっていたようです。
実は女性のほうもその気がありまして、私たちはつき合うことになりました。
不倫です。やってはけしていけないことです。でも私の結婚生活、不満、我慢、爆発寸前の日々。
それでも結婚してる私ですからいけないことです。でも我慢できず交際。
彼女との時間、癒し、一緒にいるだけで幸福感。本当に幸せでした。
妻が憎く、許せないエピソード7.妻の狂気
バイト終わりに弁当をつくってきてくれて、どれも手づくりで愛情たっぷりの弁当は本当においしかったです。
でもそんな幸せな時間は長くつづきませんでした。
携帯を前々から妻はチェックしていたみたいで、私はそれすらに気づいてなく、そこから妻の嫌がらせがはじまりました。
妻と私はもうすでに仮面夫婦の状態だったので、おたがい愛情がないというのはなんとなくおたがいわかってたのです。
しかし、「妻は働らなくても生活できるから」と、私に離婚の話しは一切してきませんでした。
使えるものは使おうみたいな考えです。
私が家にいないとき、バイトのときに限って非通知のワンコールの電話が100件くらい毎日着信。
でも家にいるときは一切鳴らず、外に出てるときにだけ鳴っていました。
最初は誰がしてるのかもらわからず、「ただのイタズラやろうと」しか思ってませんでしたけど、何日もつづくので彼女にふと相談。
そしたらなんと、実は彼女の携帯にも同じことがおきていたのです。
しかも彼女のほうは1日300件くらい。そのときに私は気づきました。
「やったのは、妻や」と。
それからの妻の行動は、まわりの友だちとぐるになり、どんどんエスカレート。
非通知の電話や、しまいには彼女の車に私の名前を石かなにかで車のボディーに、でかでかとキズをいれて書いたりともう最悪でした。
浮気をした私が悪いのはわかってましたけど、彼女をキズつけるのは許せなかったです。
妻が憎く、許せないエピソード8.妻への不満が爆発
そんななか、妻の友だちから妻がそういうことをやってると聞き出すことに成功。
妻に今までたまってたこと、私たちへのイタズラ、嫌がらせをすべてぶちまけてやりました。
妻はしらを切り続け、私も妻がやったという確実な証拠もありませんでしたが、私が浮気してしまったのが事実。
結局妻は私に最終的には「浮気された」と自分の両親や妻の親、まわりに泣きつき、私はあきれていう言葉を失いました。
しまいには彼女も妻からされたと嫌がらせで、円形脱毛症になり、私と「一緒にいられない」といい、別れることになったのです。
もちろん妻とは離婚しました。あとあとわかったことなんですが、妻も浮気をしていたそうです。
あのときに両親、まわりに泣きつき被害者ぶってた妻の顔は演技だったのかと思うと、本当に離婚してよかったと思います。
まとめ
あらためて振り返ってみても、恐怖でしかありません。
おたがい浮気をしてたのに、悪者にされたのは私だけ。
許せません。でも決してもう関わりたくありません。
この件に関しては、これ以上考えずに、私は自分の幸せに付いてもっと考えてみようと思います。