摂食障害持ちのシングルマザーの波乱万丈な人生のエピソード4編

人生

39歳女性今は専業主婦です。18歳で出産、離婚をして摂食障害の闘病しながら、家族の力を借りて、必死で育児とホステス業を両立しながら頑張る。息子が非行に走り、なん度も警察のお世話になりながらも、更生し、定時制から地方の大学へ。私は再婚をし、息子を見守りながらも次のステップを探し求めています。

 

 

シングルマザーの波乱万丈な人生エピソード1.18歳で息子を産んでから

入院

 

私は、18歳で息子を産みました。

摂食障害になり、入退院の繰り返し。

 

週に1度、日曜日に親が息子を連れて面会に来てくれてました。

人見知りされ、泣かれたときは本当に辛かったです。

 

家族とずっと一緒に居る息子に、嫉妬したときもあります。

退院してからは、ホステスの仕事をはじめました。

 

親の近くに家を借りて、送り向かえして、実家に預けてから仕事く毎日。

小学生の低学年のころ、私の携帯に「お母さん、帰って来て」と、なん度も泣きながら電話をしてきたこともありました。

 

私の胸は、張り裂けそうなくらい辛かったです。

とても育てやすい子で、夜泣きもない、いい子でした。

 

よく、ふたりで、いろいろなところへも出かけたりしました。

 

シングルマザーの波乱万丈な人生エピソード2.息子の非行と卒業まで

非行

 

でも、息子は中学生にあがると反抗期に入り、学校へ行かなくなりました。

1日中家に引きこもり、私が夜仕事に行ったら、遊びに出かけたり。

 

なん度も補導されて、私の父が引き取りに行くこともたくさんありました。

中学3年生のある日、息子は窃盗で逮捕され鑑別所に行くことになったんです。

 

このときほど、「父親がいたら」と思ったことはなかったです。

学校の先生も、頻回に面会に来てくださっていました。

 

そんなこんなしているうちに、ホステスは辞めました。

あるとき、息子からの手紙が2通届いたんです。

 

自分のしたことを深く反省していると。

昔の楽しかったときに、戻りたいとも言っていました。

 

私の病気のことも、心配してくれていた息子。

面会のときは、息子の好きなジュースをいつもしのばせました。

 

裁判の結果、実家で息子を引き取ることになり、私たちは同居をはじめたのです。

保護観察も2年ほど付きましたが、卒業式に出席することはできました。

 

 

シングルマザーの波乱万丈な人生エピソード3.「お母さん」と呼んでくれた

おかあさん

 

高校も定時制ではありますが、休むことなく4年間通いました。

息子は、中学から私を「お母さん」と呼ぶことはありませんでした。

 

18歳のころ、当時付き合ってた彼女を妊娠させてしまい救いを求めてきたんです。

私も息子を生んだのが18歳でしたし、息子の父親も鑑別所に入ってたこともありました。

 

「同じ運命をたどってるなぁ」と、しみじみ。

息子は彼女と話し合い、堕胎することに決めたようです。

 

3ヶ月すぎていたため、入院が必要です。

相手の親もシングルマザーらしく、怒られる覚悟してました。

 

しかし、怒りもせずかといって、なにかしてくれるわけでもなく。

ほったらかしだったので、私が手続きなどすべてしました。

 

退院後も、家で彼女を預かっていました。

そのとき、息子がいきなり「お母さん」と、呼んでくれたんです。

 

シングルマザーの波乱万丈な人生エピソード4.息子の将来と希望

試験

 

あるとき息子は「弁護士になりたい」と、言いだしました。

息子の裁判で出会った、国選弁護士さんのように「誰かの役に立ちたい」と、思ったようです。

 

本当は、我が家としては高校卒業後は就職してほしい気持ちもありました。

うちは塾に通わせるお金もなく、本人もわかっていたようです。

 

「それでも大学へ行きたい」と、独学で勉強して、見事に地方ですが法学部に合格しました。

奨学金の手続きもして、ひとり暮らしをしながら、バイトしながら大学へ行っています。

 

本当にいろんなことがありました。

なん度も非行に走る息子に耐えられず、自ら命を絶とうとしたこともありました。

 

息子は必死で更生し、悪友も断ち、寝る間も惜しんで頑張ってる息子は私の自慢です。

ここまでこれたのも、支えてくれた家族のお陰ですね。

 

私ひとりでは、無理だったでしょう。

今、私の病気も落ち着いています。

 

息子も20歳になったので、再婚をしました。

息子も祝福してくれました。

 

まとめ

男の子なので、必要なこと以外連絡はしてきません。

でも、「小さいころからの、アルバムがほしい」と、言ってきてくれて本当にうれしかったです。

 

「便りがないのは、元気な証拠」だと思って、見守っています。

寂しい思いをバネにして、立派な弁護士になってほしいです。

 

私のかけがえのない、息子です。