「この世に生まれたくなかった」と思ったエピソード3つ

不安

29歳、男、クラウドワーカー。幼少期より両親に虐待され、成長してからもなお迫害が続く。その後、関係が改善されたように見えたものの突然に家を追い出され、ろくなことがなく、ついには最低限の仕送りまで止められる。
なんとかまだ生きているが、正直もう死んでもいいかなと思いはじめている。極端に出不精なため、仕事を含め一年のほとんどの時間を、自宅ですごしている。買い物は、主にAmazon、楽天、ネットスーパー。音楽鑑賞、PC、PCゲームなどのほかに、ファッションが趣味で服を大量に所持するも、極力外に出ない。

 

 

「この世に生まれたくなかった」と思ったエピソード1.両親からの虐待

虐待

 

小学生時代までは両親から、中学生時代は、父親から虐待されていました。

なんの理由もなく、母親に顔面をぶん殴られ鼻血が出たことも。

 

殴られすぎたため、大量に出血しており、失血死するんじゃないかと思いながらひとりで止血していました。

母親は、ストレス解消がすんだのか、それ以上は殴ってこなかったものの、止血の手伝いなどはしません。

 

中学生時代は、期末試験前に勉強していたところ、父親と弟が騒いでいてあまりにうるさかったことがありました。

「勉強中だから静かにしろ」と、言ったところ、「集中してないから、うるさく聞こえるんだ」と、言われました。

 

「うるせぇから集中できねぇんだろうが!」と返したら、「親に向かって、なんて口きいてやがるんだ!」と。

まさかの馬乗りになって、ぶん殴られたんです。

 

思わず蹴り返したものの、当時の私は身長150代のチビで、父親にかなうわけもなく。

翌日には、あざだらけで登校したんです。

 

その姿を見て、同級生たちにも驚かれましたが、担任から準備室に呼び出されました。

正直に事情を話したところ、担任から親に連絡が行ったら、それに逆上した父親に再びボコボコにされたんです。

 

この2つが、親からの虐待で最も印象に残っているできごとでした。

ほかにも、日常的に虐待を繰り返されていました。

 

高校生になるころ、急に身長が伸びはじめ、体も頑丈になって虐待がなくなりました。

そんな父親を見て、「小物だなクソ親父!」と思いましたが、それからも迫害は続くことになります。

 

「この世に生まれたくなかった」と思ったエピソード2.病気

病気

 

親からの執拗な虐待と迫害のせいか、高校生になるころから、体調不良を感じるようになっていきました。

それは年々ひどくなっていき、一日中感じる異様な眠気、倦怠感、無気力などが襲います。

 

高校生としての日常生活を送るのにも、支障が出るようになり、留年しそうになったこともありました。

なんとか高校を卒業し、19歳のころ、両親に「働け、働かないなら出て行け」と、迫害され病状は一気に悪化。

 

このままでは、どうにかなってしまうと思った私は、親には言わずに自腹で精神科に通院しはじめました。

親にそれがバレとき、責任がくるのを恐れたのか、親は通院代を出すようになったのです。

 

さらに、「働け」なども言わなくなりました。

しかし、またしても不幸なことに、行った先の精神科医はヤブ医者だったのです。

 

誤診され、さらに極端に体質に合ってない薬を出され、強烈な副作用に苦しみました。

病状も悪化していき、一時期は自ら命を絶つ計画を綿密に立て、近辺の整理をしていたこともあります。

 

のちに転院したことにより、症状の悪化が止まりましたが、あのとき本当に死んでいたほうがよかったかもしれません。

高校のころのみならず、20代という貴重な時間を大幅に病気につぶされたんです。

 

母親による迫害から、もう1つの病気が発生したのです。

昔から母親は決して、私にエアコンを与えようとしませんでした。

 

「ほしかったら自分で買え、電気代も請求するから」の一点張り。

実家が引っ越す前は、すきま風でエアコンの風が自室に入ってきました。

 

しかし、引越し後は地獄そのものでした。

毎年、夏は気温40度以上、湿度100%というサウナのような部屋で気が狂いそうになったものです。

 

自室内で、熱中症になったこともありました。

その環境で、5年間すごした結果、自律神経がいかれてしまったのです。

 

自律神経失調症と双極性障害(躁うつ病)、この2つは、今でも完治しておらず、一生完治することはないでしょう。

 

 

「この世に生まれたくなかった」と思ったエピソード3.友人たちの裏切り、失踪

友達

 

それでも、私は友人関係にだけには、恵まれていました。

親友と思える友人も、ひとりいましたし、高校のころの同級生を中心に親しい友人もなん人かいました。

 

しかし、私の人生に恵まれていることなど、あるはずがなかったのです。

親友は失踪、その次に仲が良かった友人も失踪したんです。

 

さらには、お金を貸した親しかった友人が、平然と踏み倒してきたため絶縁したことも。

その友人をとおして知り合った友人が、実はゲイで、私のことを狙っていたなんてこともありました。

 

気付いたら、友人などひとりも、いなくなっていました。

今でも0人ですし、友人などいないのが当たり前になっています。

 

0人からは、減ることがないから、それでいいんじゃないかと思うことさえあります。

 

まとめ

いかがでしたか。

「生きてれば、そのうちいいことがある」なんて、甘ったれた幻想でしかないのです。

 

かといって、自ら命を絶つ勢いも勇気もなく、体調不良が多いなか、惰性で生き続けています。

この先も、ろくな人生じゃないでしょうし、地球に巨大隕石でも衝突しないかなとか考えています。