26歳女性。
現在は、「携わることがない」と思っていた介護関係の仕事に勤めて、早いもので5年目が経ちます。
現在は、なんとか収入も安定し、いくつもの困難を子どもと乗り越え、決して裕福とは言えないが、子育てシングルライフを満喫中。
見出し
大学生で破局したあと、出産したエピソード1.学生時代に妊娠したため、諦めなければならないことが多すぎた
その当時、付き合っていた男性との間に、妊娠が発覚しました。
学生でもあったため、当初は産んで育てる自信など、どこにもなく、心が張り裂けそうに。
なので、「子どもを堕ろそう」と考えたこともありました。
ですが、お腹のなかに宿った命をエコーで一目見た瞬間に、こう思い、考えを改めたのです。
「そんなことができるわけない」と。
小さな小さな、それはもう粒のようなエコー写真でしたが、それでもそこには命がありました。
大学二年生の夏。
成人しているとはいえ、子どものようなものでした。
「学校はどうしよう」
休学するにも、その分をまかなう費用が必要です。
今まで奨学金は受けつつも、自力で通っていた私。
休学すると、その先の授業料を払う目処が立たなくなるので、学業を諦めました。
「ここで諦めず、なんとかして続けられたらよかったのに」
学歴を書かなければならない場面に、立ち会うたび、そう思います。
「なにかを諦めなければいけない」
ここから、そんなことの連続でした。
大学生で破局したあと、出産したエピソード2.相手男性の覚悟が足りなさすぎた
女性側は自分の身体に新しい命が宿るわけで、日に日に胎児も成長します。
そのため、自ずと母親としての自覚、覚悟が生まれてくるものです。
「男性も同じように」とは、難しいようで……。
当時付き合っていた男性は、そこが大きく足りませんでした。
後の離婚の大きな原因にもなるのですが、わたしは退学届を出し、覚悟を決めます。
にも関わらず、彼は定職につくことさえ渋っていたのです。
これが、とても辛かったです。
もちろん、彼だけに生計を任せるつもりはありませんでした。
ですが、身重のため、せめて産まれてひと段落するまでは、頑張る姿勢をみせてほしかったですね。
実家や義実家からの支援も、そもそも反対されていて、得られなかったことも大きかったです。
彼に「大切に思っている」と、言葉だけかけられても、嬉しく思えなかったのは、このころからでした。
大学生で破局したあと、出産したエピソード3.もう一度諦めかけた瞬間
エコー写真を見て思いとどまったはずなのに、すれ違いが生じてからは、何事も上手くいかなくなりました。
「わたしだけが、間違ってしまったんだろうか」
そんな思いも抱きはじめ、なにもかもが嫌になってしまった私。
「いっそ、お腹の子と一緒に死んでしまおうか……」
今思えば、本当に馬鹿な考えが浮かんでしまったこともありました。
このときが、一番辛かったように感じますね。
そこを止めてくれた彼には、今になってもそこだけは感謝しています。
毎月の検診で、確実に成長し、スクスク育ってくれている我が子が見ていると、生きる希望をもらいました。
「今、死んでしまってはいけない」
そう思えることができたのです。
このときになっても、彼はまだフラフラしていました。
このときで妊娠5ヶ月ごろだったと思います、もう堕ろすことはできません。
大学生で破局したあと、出産したエピソード4.周囲からの声が辛かった
周りの友だちはそろそろ就職も視野に入れ出すころ。
「本来であれば、わたしもそうであった」と、感じてしまうのは仕方ありません。
「どうして諦めなかったの?」
そんな声が「選択を間違えている」と言われているようで、とても心に刺さりました。
今思えば、「無計画だった」。これに尽きると思います。
ただ、わたしにとって家族といえる存在が今までなかったので、そのときの彼の存在が大きなものだったことは確かです。
妊娠が発覚したときも、「どうしよう」と不安がかき立てられたのは、言うまでもありません。
しかし、マイナスな気持ちばかりではありませんでした。
それでも、周りから「絶対に幸せになれない」と、言われているように聞こえてしまい……。
ただでさえ、つわりがなかなか落ち着かず、精神的にも不安定だったため、周りとの関係を遮断しかけていたときもありましたね。
「近い未来、この子にはそんなことがあった経緯を知られないようにしたい」
「『望まれて……』ではなかったにしても、なかったからこそ、大切に育てたい」と感じました。
義実家からは、まるで被害者のように立ち振る舞われ、それも辛かったです。
大学生で破局したあと、出産したエピソード5.産まれたからには、喜んで欲しかった
幾多の困難を乗り越え、生産期を迎え、無事に出産しました。
産まれてきてくれた瞬間は、これからも忘れることはないでしょう。
今までの葛藤や、苦悶がすべて浄化されるようでした。
しかし、「喜べない」という意見や、「これからどうしていくのか」などと、近しい人からの声が聞こえます。
彼も彼で、「やっと実感を抱いてくれるか」と思いきや、そこからも仕事が続けられず、離職を繰り返す始末。
「経済的な不安から、精神的に安定できない」
「我が子だけが頼りだけれど、そんな我が子による夜泣きで、寝ることも食べることもままならない」
「なにもかもが間違っていたのだろうか」と自問自答する日々。
この辛さから、離脱するためにも、こんな不安定な状況を打破したかった私。
子どもから父親を奪ってしまう形になることに悩みましたが、離婚を決意しました。
まとめ
子どもが6ヶ月ごろに職をみつけ、新しい家を見つけ、2人で飛び出しました。
もちろん、離婚届にはサインをもらって。
「こんなに呆気ないものか」とも思いましたが、その決断をあのときにしておいて、本当に良かったと思います。
あれ以上、辛い思いをしていたら、「自分が壊れていた」と思ったほどなので。
これからも、ときに初心にかえりつつ、頑張っていこうと思います。