現実は辛いだけ!教師をやっていた辛かったこと4つ!

教壇に立つ教師

35歳男性。現在は東京都内のIT企業の経理部門に勤務。栃木県内の公立中学校で、数学担当の教師を務めていたが、理想と現実のはざまで苦しみ悩み、3年前に依願退職。教師時代は卓球部の顧問も務めた。趣味は、ロードサイクリングと読書と株式投資。

 

 

教師をやっていて辛かったこと1.部活動の指導

卓球台

 

私が赴任した栃木県の公立中学校では、教師は必ず部活動を担当することが義務づけられました。

 

私自身は、中学生・高校生の時代には野球をしていましたので野球部の担当を希望したのですが、すでに担当の教師がいたため、私はちょうどあきができた卓球部を任せられました。

 

しかし、私は卓球の経験がありませんでしたので、どのように生徒に対して卓球を指導したらよいのかわかりません。

そこで、指導用の卓球のDVDを購入し、スポーツ用品店で卓球ラケットを購入して、自宅でまずは素振りの練習をしました。

 

それから、生徒たちの早朝練習の前に早めに卓球上に行って、ひとりでサーブの練習やレシーブの練習をしました。

 

それでも、とくに卓球のうまい3年生からは「今度の先生はなんも教えられないんだな」などと、かげで悪く言われてしまったり。

地方大会の試合では、生徒に対して相手選手の弱点などがわからず、何もアドバイスできませんでした。

 

そして、団体戦やダブルス、シングルスでの1回戦敗退が続き、生徒に対してもうしわけない思いをしました。

仕事ではなんでもそうだと思いますが、指揮官の能力が低いと、そのチームはいい成績をあげられないのだと思い知らされました。

 

教師をやっていて辛かったこと2.生徒間の人間関係の把握と調整

仲間はずれのピン

 

公立中学校では男女共学ですが、思春期ということもあり、生徒間の好き嫌いの感情がはっきりしてきます。

ですから、席替えをするときや、授業において複数のグループにわけて作業をさせるときは、生徒間の人間関係を前提にして構成するように気を配っていました。

 

また、現代の生徒たちの人間関係はインターネット上で構築されている側面もありますから、席替えで失敗してしまい、仲が悪い生徒を隣同士にしてしまったり、同じグループに入れてしまったときは生徒がいがみあって大変でした。

 

いちばん気をつけたことが、いじめの発生でした。

現実では、教師の知らない場所でいじめが行われますので、毎朝生徒たちの表情をよく観察して、少しでも表情がくもってる生徒がいれば声をかけて話を聞くように心がけていました。

 

 

教師をやっていて辛かったこと3.保護者からのクレーム対応

クレーム対応する男性

 

最近の保護者は、過保護な人が多いですし、少しでも「自分の子どもが不平等に扱われた」と感じた場合は、すぐに担任教師の私に電話をかけてきます。

私の場合は、いわゆるモンスターぺアレンツと呼ばれる保護者と接する機会はありませんでしたが、それでも保護者からのクレームや要望を受けつけたことは、たびたびありました。

 

たとえば遠足のときに、「自分の子どもはバスに酔いやすいので、かならず最前席に座らせてほしい」と電話をかけてくる保護者がいました。

 

また、遠足のグループ分けについても、「自分の子どもはAくんやBくんと仲が悪いので、必ず別のグループにしてほしい」と要望を言われたこともありました。

あまりに保護者が熱心に言ってきますので、私が「AくんやBくんから、いじめられている事実があるのですか?」と尋ねてみると、そういった事実はないとの回答でした。

 

ただ、「嫌な人間とは別々のグループにしてほしい」という要望だったのです。

生徒指導の観点では、健全な人格形成の手段として、多様な人間とコミュニケーションを取らせるという考え方があります。

 

その点をこの保護者に説明したことがあるのですが、まったく聞く耳を持ってもらえなくて困りました。

ようするに、「現代の30代から40代の保護者の世代の方たちが、大人としては未成熟なのだ」と思いました。

 

けっきょく、この保護者の要望どおりに遠足のグループ分けをしました。

 

しかし、この生徒が「自分の嫌いな人間とはコミュニケーションをいっさい取りたくない」という姿勢のまま、年齢を重ねて社会人になってしまったら、おそらくビジネスマンとしては戦力として見てもらえないのではないかと思い、不安感を抱いてしまいました。

 

教師をやっていて辛かったこと4.生徒間の成績にむらができること

成績が変動

 

地方の公立中学校の場合、優秀な生徒と、かなり成績の悪い生徒をひとつの教室に配置して、授業を行います。

ここが、都会の私立中学とは異なる点です。

ですから、授業内容の水準については「中庸」を心がけていました。

しかし、そのことによって優秀な生徒に対しては、「能力の伸びしろがあるにもかかわらず、能力向上について手助けをしてやれなかった」という点がもどかしく辛い思いをしました。

 

そして、その優秀な生徒の能力向上を少しでもサポートしようとすると、今度は成績の悪い生徒にとって難しくなってしまうので大変でした。

「日本という国は資源が何もなく、人材こそが資源なのですから、やはり優秀な生徒の能力をできるだけ伸ばしてあげることを優先すべきではないか」という個人的な想いもあります。

なので、ずっとジレンマを抱えながら教育をしました。

 

まとめ

公立中学校の教師は、心身ともに安らぐ時間がありません。

「卓球の指導を本当にする必要があるのだろうか」とか、「保護者に対してお客様であるかのような対応をとる必要があるか」と悩むこともありました。

そして、理想の教育方針と実際の教育方針にはギャップがあって、大変悩みながら教師を続けていました。

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