25歳男性。大学を留年し卒業後に借りていた家を追い出された元コンテナボックス住みのホームレス。ホームレスの経験から超早寝早起き。
現在は都内の某建築設備設計会社に無事就職。月収6万円から25万円になり、安定した本業の傍らで建築系(デザイン先行)の大学を出た経験を生かしてプロダクトデザインも手がけている。座右の銘は「人生、意外にそこそこまでは這い上がれる」
見出し
若くしてホームレスになってしまった理由
理由1.大学を留年して就活に失敗からすべてがはじまった
「就活に失敗してホームレスになった?おおげさな!」なんて思われた方がいるとは思いますが、今からする話は実話なのです。
私は建築系の大学に、つい3年前まで通っていた身なのですが、卒業設計の提出に間に合わず、半年間の留年をしました。
留年が決定する前の段階では、企業の内定をいただいていましたが、もちろん取り消し。
貯金もほとんどしておらず、留年後の半年分の学費もアルバイトで稼ぎきらないといけないこととなってしまったのです。
まさに身を削って大学を卒業したのですが、留年中に就活に成功せず、そこからが悪夢のはじまりだったのです……。
理由2.入学当初から未来は決まっていたのかもしれない
さて、大学を卒業したのはいいものも、「お金はない(学費ですべてなくなる)」「働くところもない」のダブルコンボです。
アルバイトは続けていましたが、とてもふつうに生活できる稼ぎではなかったです。
ここで最初の悪夢がすぐにおとずれます。
大学時代に借りたていたアパートを卒業後2か月くらいで、家賃が払えない旨を伝えたら追い出されてしまったのです!
もともと家賃を安く済まして、4年間をすごす予定だったので、怪しげな個人経営の不動産屋に安く斡旋してもらったのです。
しかしそこのアパートはオーナーが本当に怖い人で「家賃が払えません」と電話で伝えたところ「1週間後にすぐにでていけ!でていかないと、わかっているよな?」とすごい剣幕で脅され。
まだ社会人経験も人生経験も浅い私は、素直に怖くなり荷物をまとめて、たまたま近くに住んでいた友だちの家へと逃げたのでした。
理由3.見栄を張ったのが運の尽き
友だちの家へ一時的に難を逃れましたが、もちろん長くは滞在できません。
ここで私の最大の失敗は見栄を張ってしまったことです。
「次のアパートがすぐに見つかった!就職もうまくいきそうだし、人生は転落したら上がれるものだね!」と言って、2週間後には友だちの家からでていきました。
そしてここからが人生最大の悪夢のはじまりです。
家はもちろん決まっておらず、就活に関してもとてもじゃないけど、している場合ではありません。
私のとった行動はというと、友だちの家にいる間に月5000円の倉庫として使えるコンテナボックスを借り、そこに住もうと決意したのです。
そこに持っている荷物をすべて入れこみ、約1年間の屋根と壁だけはあるホームレス生活のはじまりです。
大学時代のアパートの住所を使って契約していたり、そこに人が住んでいたりと、今となっては少しグレーな話でした。
管理会社さんにはちゃんと就職してから打ち明けたところ、こころよく許していただけました。
若くしてホームレスになって辛かったこと
辛かったこと1.夜に電気がないこと
コンテナボックスでの寝泊り生活がはじまり、最初に辛かったことは、電源の類がまったくないことです。
元々ただの倉庫としての貸し出しなので当然ですが、まったく窓がないため夜は真っ暗です。
夜になにかしようと思うと入口を開けて、近くにたまたま建っていた街灯のわずかな光か、スマホの画面の明かりだけが頼りです。
(もちろんスマホも充電できないので、なるべくスマホの使用は控えました。)
電気がないと人はどうするか?というと、寝るしかないのです!
夜は本当にやることがなく暇でしたから、本当にたくさん寝ました。
幸い公園やガード下ではなく、コンテナボックスという雨風をしのぐのだけは最強の場所ですからね!
辛かったこと2.どこにいくにも早起きが必須ですし、早起きになってしまう
見出しを見て「なぜ?」と思われた方もいるでしょう。
理由としては「コンテナから人が真昼間から出てくると怖がられる」、「朝の時点でスマホの充電量が非常に怪しいため、朝の某ハンバーガーショップにいって充電」などがあります。
もちろんご飯もコンテナボックス内ではつくれないので、なけなしのお金を払って栄養補給するためにも早起きは必須です(お昼ご飯と夜ご飯は当時抜いていました。)
秋冬時期のアルバイトがある日は、とにかく早く起きておいて、シフトの時間も当分先なのに「遊びにきた!」という体裁を装って暖を取り行っていたりしました。
そもそも雨風しのげるといっても、コンテナは鉄でできていますので、夏は暑く、冬は尋常ない冷えがきますので、朝方ゆっくり寝てはいられません。
嫌でも前述したとおりに超早寝!早起き習慣にならざるを得なかったのです。
辛かったこと3.ライフラインがないのが本当に辛い
コンテナでのホームレス生活も半年をすぎると、昼間はアルバイトしたり図書館にいって本を読んだりと、今のご時世ではいろいろとできますので、日中は暇もなく生きていけます。
しかし、やはりライフラインがまったくとおらない場所に住んでいると、とくに辛いのは水がないことです。
夜にのどが乾いたら近くの公園の水が飲めますが、冬場に公園の水を使っての洗髪は辛いものがあります。
洗髪し終えてコンテナに帰ってきても底冷えしていてまったく暖は取れませんし。
シャワーを浴びたいときは、近くの友だちの家に「シャワーがよく壊れる」という理由で借りていたり、アルバイト代が入る日は近くの銭湯に行ったりしてました。
ガスや電気がないことに関して今の時代では、朝と昼ご飯を抜いて夜だけコンビニで買ったり(ご飯はコンテナではつくれないし、2食抜くことで節約にもなります)。
公共の場所で電源を借りたりと、なんとかなりますが、人間が生きている以上、体の匂いだけはどうにもなりませんからね。
洋服の洗濯などはコインランドリーでどうにかできますが、自分の体を洗濯機に入れるわけにもいかないのがこの世界です。
辛かったこと4.若くしてにホームレスなると人に打ち明けられない
これに関しては自身の問題でもありますが「住所がない」「お金がない」「帰る場所がコンテナ」というあまりにもみじめな元大学生という肩書が付きまとい、人にまったく相談できなかったことが一番の辛いことでした。
今は文明の利器が発達していて、スマホさえつながれば人の話題についていけます。
それに日本という国は、24時間どこかしらお店が開いている国なので基本的に家がなくなっても、どうにか生きていけることは気が付けました。
しかしそれでも、「心の疲弊」や「見栄」「虚栄心」だけはどうにもなりませんでした。
友だちには家がある体裁で話さないといけない場面もありますし、約1年間、心の痛みを我慢して「よくコンテナで生活しきった!」とおもいます。
その反面、「だれにもコンテナで生活しているのが一年間よくばれなかったな!」とも思いました。
自分をほめてあげたいです。(もちろん不審者がいる!みたいな通報も一度もされていません)
まとめ
最終的に、私はとにかくお金を使わずにアルバイトで引越し資金をためました。
そして叔父に現在の状況を、泣く泣くお話をして保証人になってもらい、叔父の家の住所を借りて新しい家へと引っ越すことができました。
実は両親との仲がわるく、助けを求められなかったのが一番のホームレスが長引く原因だったのかもしれません。
今では面白い話として友人に語ることもありますが、やはり若くしてホームレスは辛かったです。
皆様も本当に困っている際には、助けを素直に求められる人をつくっておくべきだと思います。
あとは見栄を張らずに素直に自身の状況の負けを認めることですかね!
ホームレス生活が悪いとは言いませんが、ホームレスの数百倍は幸せであろう「帰る家のある日々」に感謝をしましょう!