41歳男性。在宅勤務。
北国の田舎町に生まれ、さまざまな職業を経験しつつ結婚し、4児の父に。
しかし、収入が安定せず、離婚にいたる。
一念発起し、通訳案内士の資格を取得するも、自分の人生の哀れさに気づき、心が折れる毎日。
今日も、自宅を警備中。
理不尽と思ったエピソード1.おじさんから迫られる
今までの人生で、理不尽と感じたことはいくつもあります。
自分なりに一生懸命生きてきたつもりだが、たどり着いた今を見ると、そうではなかったのかもしれません。
そうやって、反省してしまうひかえめな性格が、原因かもしれませんね。
人生を振り返りながら、私が遭遇した理不尽なできごとを思い出していこうと思います。
私は、北国のさらに田舎のほうで、生まれました。
具体的にいうと、車で最初の信号に出会うまで、20分かかります。
最寄りのコンビニまで、30分。
電車で30分かけて、公立の中学に通い、高校は下宿生活でした。
高校で下宿生活を送っていたときのこと。
実家が田舎過ぎて、進学校に通うため下宿しました。
その下宿先での、できごとです。
高校は、人口5万人ほどの田舎町にあり、さらに田舎から進学してくる学生を対象に、下宿が何件かありました。
私が入った下宿には、同じ中学出身の先輩が二人おり、別の中学出身の同級生が一人、計4人がお世話になっていたのです。
当時60代のご夫婦がやっておられました。
下宿のおじさんは男前で、おばさんは小柄で優しそうな笑顔の一見、とても感じのいいご夫婦。
後に分かったことですが、おじさんはファミコンのソフトの不正偽造販売の罪で、刑務所生活の経験があったのです。
そこで覚えたことだと思うのですが、男色のご趣味をお持ちで、たまに部屋まで入ってきて、迫られました。
必死に断って、なんとか操は守りましたが、一度熱を出して、寝込んでいたときに、こられたときには、本当に危なかったです。
今思うと、先輩のうちの一人も迫られていた気がします。
実は、地元では、おじさんが怪しいというのは有名であることを、地元出身のクラスメートから、あとになって聞きました。
うちの親もそうだと知っていれば、そんなところへ預けたりはしなかったでしょうが。
このことは今でも話せずにいますし、今後も話すことはないでしょう。
世のなかには、知らないほうがいいこともあると思います。
私が受けた理不尽な扱いは、おばさんからでした。
毎日、下宿生にお弁当を持たせてくれるのですが、いつの日からか、お弁当のなか身が真っ黒になっていったのです。
茄子とか、昆布とか、海苔とか、とにかく黒い食材で、埋め尽くされるようになりました。
私はそういう事には、鈍いたちで気つかなかったのですが、ある日、もう一人の同級生と弁当を取り違えて、持って行ったとき、はじめてきづいた私。
いつもの弁当とは全然違いカラフルでした。
そのことを同級生に話すと、「今日はなぜか弁当が真っ黒だった」と言うのです。
このとき、おばさんの冷たい態度の理由が分かりました。
そう、嫉妬ですね。
ただ、田舎の高校生である私に、元犯罪者である下宿の主人の行いについて、「なにかできたことがあったか」と考えても、41歳になった今でさえ、なにもなかったと思います。
おばさんは、おじさんにこそ、その怒りをぶつけるべきだったでしょう。
結局、3年生のときに、別の下宿に移ることができました。
理不尽と思ったエピソード2.子どもをおろされた
二つ目の大きな理不尽経験は、29歳のときの失恋。
12歳年下の女子高生と、別れたことです。
当時、私は地元から1000km離れた街の大学を卒業し、田舎へ戻っていました。
高校、大学と地元を離れた私にとって、行った先の友だちが、自分の幼馴染たちと話す姿がまぶしく感じるように……。
その結果、自分の地元に帰りたくなったので、仕事がないのはわかっていましたが、実家に戻りました。
地元では、地域のボランティア活動に参加し、新聞に活動を取りあげてもらったこともあったのです。
そんななか、地元のお祭りで、近所の女子高生と知り合い、お付き合いをしました。
自分の感覚としては、罪の意識はありませんでしたが、いけないことだったのでしょう。
この子が妊娠し、そのことが原因で、両家の両親が入ってきて、子どもをおろすことに。
別れることが決められてしまいました。
愛し合う二人を引きはがすほど、不幸を呼ぶことはありません。
誰も幸せになりません。傷は一生、残ります。
また、子どもをおろされたこともショックでした。
まるで、遺伝子そのまま否定されたような気持ちです。
悪いことは重なるもので、同じ時期、車で信号待ちをしているときに、追突事故に遭い、後遺症が残りました。
身も心も弱っていた私は、周りからの圧力に抵抗できなかったのです。
ただ、今となっては、当時の周りの反応も理解できます。
別の解決方法もあったかとは思いますが。
結果、私は地元に戻って、築いた仕事も信頼も将来の家族も、すべてを失いました。
理不尽と思ったエピソード3.ブラック企業に就職してしまった
三つ目の理不尽なできごとは、仕事を求めて、上京したときのことです。
私は田舎に戻ってからも、働きながら勉強し、英語を身に付けていました。
それを活かした仕事を探し、ある輸入商社に就職。
切り花を海外から輸入し、国内の結婚式場や花屋、市場におろすのを生業とする会社でした。
しばらくして、そこの東京支社勤務となった私。
最初の私の職務内容は、主に海外産のバラを手入れして、東京の市場に出荷することでした。
未経験の仕事であり、不慣れでしたが、一生懸命頑張る日々。
一か月350時間以上働き、月給が額面で80,000円でした。
あまりの安さに、ワンルームでじっと、給与明細を見つめていましたね。
「きっと修業期間中という事で、安いのかな」と思い続けて働きましたが、東京で一人暮らしで80,000円はきつかったです。
のちに、ブラック企業という言葉を知りました。
今、その会社はもうありません。
まとめ
今まで生きてきて、いろいろな理不尽なことを経験しましたが、そのおかげか、よほどのことでない限り、落ち込まない性格に。
これまで体験してきた理不尽なことが、少なからず、私の人生に役に立っているようです。
これからは、今まで受けてきた理不尽なできごとを、二度と経験しないよう、しっかり生きていきたいと思います。