20歳で結婚しモラハラにあい、バツ2シングルマザーになったエピソード6編

シングルマザー

31歳。女性。

バツ2シングルマザーとして、現在は子どもたちと仲よく、平和な生活を満喫中。

 

元夫との最悪な毎日から現在に至るまで、とても大変でした。

しかし、過去の辛いできごとはプラスに変えて、子どもたちの幸せのために、一生懸命頑張っています。

 

 

バツ2シングルマザーになったエピソード1.出会いは夜の店

水商売

 

現在、私は3人の子どもを育てているシングルマザーです。

最初の結婚は、20歳のときでした。

 

18歳の頃、夜のお仕事をしていた私は、お店で出会ったお客様と、2年後に結婚。

2人の子を持つ、幸せな家庭を持っていました。

 

しかし、7年後に離婚してしまいます。

原因は、夫婦関係のすれ違いでした。

 

そして、離婚後働いた、パチンコ店の店長と出会い、再婚します。

この男性は、私の人生のなかで、一番と言っていいほど、本当に最低なモラハラ男でした。

「こんなひどい人が、世のなかにはいるのか」と、思ったほどです。

 

仕事の上司だったこの再婚相手は、仕事に対してはとても熱心で、従業員の方にも信頼されている優しい方でした。

途中で恋仲になり、「この人なら、子どもたちのことも本気で考えてくれる」と思い、再婚したのです。

 

それから私の人生は、史上最悪の生活を迎えます。

 

バツ2シングルマザーになったエピソード2.束縛がはじまる

恐る恐る電話をかける女性

 

最初は束縛・暴言からはじまりました。

すでに3人目の子どもを妊娠していた私は、仕事を辞め、専業主婦に専念。

 

ある日、夕方に子どもたちを連れて、夕ご飯の買い物に出かけていたときのこと。

夫から、何回も不在着信がありました。

 

たくさんの荷物を持っていた私はすぐに出れず、荷物を置き、すぐにかけなおします。

すると、形相を変えたような声で、こう言ってきたのです。

「どこにいる?」「なんで、夕方に買い物なんだ」「男といるんだろ」「尻軽が!」などと。

 

いくら否定しても、何度も何度も、暴言を吐かれましたね。

最終的に、いくら言っても、私の言葉を信じてもらえず、「お前は浮気をした」と決めつけてきました。

 

それ以降も、怪しいことはなにもしていないのに、何度も何度も「尻軽が」と、責められたのです。

 

バツ2シングルマザーになったエピソード3.性欲を押し付ける

疲れる女性

 

妊娠をしていた私は体調が優れず、夜になると、早い時間帯に、子どもたちと寝ていました。

仕事のため、夜中に帰ってくる夫は、夜中に熟睡している私を無理やりに起こし、お酒のつまみをつくらせます。

そして、お酒を飲んだあと、性的欲求をしてくるのです。

 

私は妊娠しているため拒否しますが、そのたびに、暴言を言われ、浮気を疑われます。

寝させてくれない夫に疲れ果て、体をゆだねるしかありませんでした。

 

 

バツ2シングルマザーになったエピソード4.息子に暴力をはじめる

暴力

 

夫が、子どもに対する「しつけ」という名の暴力をはじめます。

このことが一番許せなかったです。

 

私の2番目の息子(当時3歳)に対して、私の膝の上に乗ってきた息子に対し、長々と説教をしはじめた夫。

私が止めると、「男の子は厳しく育てないと。しつけのためだ」というのです。

「いいから、俺にまかせとけ」と。

 

別の部屋に息子を連れて行った夫は、息子にビンタをし、息子は倒れました。

これがしつけでしょうか。

 

「しつけ」という名の説教は、毎日続いたのです。

 

バツ2シングルマザーになったエピソード5.お金を管理されるようになる

ゴルフ

 

相当ケチな夫は、夫の給料も私に預けることなく、生活費をその都度、私に渡していました。

100キロ級の元夫はよく食べますので、食費もかかります。

 

無駄なものなんて、一切買っていません。

それなのに夫は、「使い過ぎだ。本当はなにに使ったんだ」「なにか隠してるだろ?」と言ってくるのです。

 

私はあきれるしかありませんでした。

子どもの水筒(1,980円くらい)を買ったときには、「100均の水筒にしろ」と、1時間くらい説教されましたね。

 

ちなみに、夫の年収はいいほうです。

そんなケチなのに、自分に対しては甘いんですよね。

いきなり、400,000円くらいするゴルフ用品買ってきたり。

 

もうため息しか出ませんでした。

むしろ、呼吸もできないほど、辛かったです。

 

私の精神は、もう限界にきていました。

 

バツ2シングルマザーになったエピソード6.公営住宅に応募し、無事に離婚

離婚

 

精神的にも追い詰められていた私は正気になれず、妊娠していたこともあり、辛い日々を送っていました。

「なんとかこの子を産むまでは、子どもたちを守りながら、耐えよう」と、必死だったのです。

 

そして、3人目が生まれ、児童手当を貯めはじめた私。

普通の賃貸には住めないため、公営住宅に内緒で応募し、落選しては応募していました。

あるとき、やっと当選したときは、子どもたちと泣きながら喜んだのを覚えていますね。

 

夫は最初は離婚を拒んでいましたが、半年間毎日、離婚届に署名してもらえるように、頼み続けました。

夜中一睡もせず頼んでいたところ、朝方にやっと離婚届けの判を押してもらえることに。

 

養育費の約束もしましたが、現在、1円も振り込まれていません。

専業主婦だった私に、引っ越し代などの金銭的援助は一切ありませんでした。

 

離婚したあと、生活を立て直すのは、とても大変で……。

子どもの保育園も決まらないため、仕事も行けず、そんなときにも、元夫からはなんの援助もありません。

最低でしたね。

 

養育費を要求すると、「金目当てか?!」と怒鳴ってきます。

そのくせ、「自分の子どもには会わせろ」と、言い出す夫。

 

子どもたちのために、何度も何度も連絡をして、養育費の要求をしましたが、結局払ってもらえませんでした。

 

まとめ

現在は保育園も決まったので、仕事をはじめて、忙しい毎日を送っています。

決して裕福な生活ではありませんが、子どもたちと平和に安心して暮らせていることが、とても幸せです。

 

私も子どもたちも元夫のせいで、今現在もトラウマを抱えており、精神的にも完全に元気になったとは言えません。

この件で辛い思いをたくさんしましたが、この経験をプラスに変えて、過去を断ち切り、子どもたちの幸せのために、一生懸命頑張りたいと思います。