成人してもうるさい親。うるさいエピソード4つ

ショックを受ける女性

50歳女性。自営業です。

子どものころから、両親が「しつけ」という厳しい体罰を行ってきたので、反論ができない性格に。

 

その結果、成人してからも、親の声の大きさや威圧感にびびりながら、生活をしています。

それは、結婚してからも変わらず、父の私への支配は、いまだに続いている状態です。

 

 

成人してもうるさい親のエピソード1.仕事をはじめても、門限9時、お泊り禁止

怒っている男性

 

仕事をはじめて成年してまで、門限を決められ、20代も半ばを超えても、門限は変わらず21時。

仕事が終わるのが19時だったので、まっすぐ帰っても20時になります。

 

なので、友だちと夕飯すら食べることができない状態が長く続きました。

もし門限を過ぎて帰宅してしまった場合には、玄関の内側からチェーンをかけられてしまうのです。

 

「そのまま締め出しか」

そう思いきや、その音で父親が玄関にきて、怒りの表情のままドアを開けます。

しかし、そのあと、私は玄関たたきに正座させられて、お説教されるのです。

 

雨でたたきが濡れていようと、関係ありません。

たとえ、冬で冷たかろうとお構いなしだったので、とても嫌でした。

 

「帰りの時間が、今になったのはなぜか」

とりあえず、状況説明をする時間をつくられるのですが……。

なにを話したところで、許してもらえるわけではありません。

 

「日が変わって、早朝の時間帯になるまで、父親の怒りに任せた『説教』という名の暴言を聞き続けるしかない」

結局、このような状態になるのでした。

 

そんな父親なので、もちろん、外泊などはもってのほか。

なので、友だちと旅行すらできなかった私。

「温泉」、「スノボ」、「海外」などと、友人が楽しそうにしている話にも、参加することさえできませんでした。

 

成人してもうるさい親のエピソード2.電話は必ず、親が取り次ぐ

電話機

 

私が若いころは、まだ携帯電話が今ほど普及しておりません。

ですので、電話はだいたい家の電話で済ますことになっていました。

しかし、かかってくる電話には必ず親が出ます。

 

相手が女性で私から名前を聞いたことがあれば、素直に取り次いでくれましたが……。

女性でも知らない名前だと、相手に「○○(私)とどういう関係か」と尋ねていましたね。

 

もちろん男性ならば、追及はもっと厳しいものになります。

「どんな関係」か、「どんな用事でかけてきたのか」など、うるさく相手に聞くのです。

 

そして、時間が10時を過ぎていようものなら、「一体何時だと持っているんだ」と怒り出す始末。

終いには、電話を取り次いでもらえなかったうえに、「どういう関係なのか」と、再び私に聞くのです。

 

そこで話しが一致すれば、伝言を伝えてもらえるという、今考えると本当におかしなシステムになっていました。

 

 

成人してもうるさい親のエピソード3.結婚したら新居に月1で訪問され、部屋の状態を確認される

マンション

 

結婚して、「やっと、うるさい親から解放される」と思い、安心していた私。

しかし、夫と二人で暮らしているアパートに月1で両親揃ってやってきては、部屋の掃除の状態をチェックされるようになりました。

 

共働きだったので、隅々まで念入りに掃除ができておりません。

なので、親に汚いところをチェックされて、その場で掃除をするハメになるのです。

 

もちろん、くる日にちは前もって教えられるわけではありません。

朝「今から行くから」と電話が入って、10分以内に到着するので、ときには寝起きというときもありました。

 

掃除をしている間ずっと、両親にチクチク嫌みや小言を言われ続けるので、両親がくると、知らぬ間に出かけて行った夫。

それも気に入らなかった親は、「あいつは、ダメな奴だ」と言っていましたね。

 

せっかくの休日に、朝早くから妻の両親が押しかけてくるような環境です。

「掃除のことでごちゃごちゃ言われたら、逃げたくもなるでしょうよ」

私はそう思ってはいたのですが、言えるわけもなく……。

 

結局、両親が帰ってから、帰宅した夫に謝罪するように言い、許してもらうようにはしていました。

 

成人してもうるさい親のエピソード4.子どもが生まれたら、子どものしつけに口を出す

文句を言う男性

 

子どもが生まれると、親の口出しはさらにヒートアップしました。

理由は「お前のような子どもにしてはいけないから」とのこと。

 

両親からしたら、私は失敗作だったようですね。

「その失敗作が育てたら、まともな孫にならないだろう」

そう思っていた両親が、毎日電話をかけてきていました。

 

そして、不幸なことに、うちの子はなぜかよく泣く子です。

なので、電話がかかってきても、大体泣いているような状態になります。

 

それが原因で、両親から止まらぬ勢いで質問されるのです。

「なぜ泣いているのか」、「今日のミルクは何時だったのか」、「うんちやおしっこの状態はどうだったのか」と。

 

一応ひととおり説明して、納得させたら電話は終了。

寝ていても電話で起きてしまうこともしょっちゅうだったので、苦労しました。

 

保育園に入れ、仕事に復帰してからは、このようなことをさんざん言われました。

「なぜ、仕事を続けるのか」「他人に預けて平気なのか」と。

しかし、私も子どものころ保育園に行っていたので、質問の意図がわかりませんでしたね。

 

その過干渉は小学校入学しても続き、小学校の行事の大半は私の両親も一緒に参加。

しつけの方法にも、こと細かに口を出してきていたので、自分らしい子育てをするのは大変でした。

 

結局、子どもへの過干渉は、母が体調を崩したのをきっかけに終わりを遂げます。

しかし、子どもは私の父親のことを嫌いになってしまったのです。

 

もちろん、夫も結婚してから、私の両親の横暴ぶりに嫌気をさしていたのですが……。

ある日子どもが、両親がこなくなったあとで、ようやく心のうちを私に話してくれたのです。

「毎回目の前で、母親である私が祖父である父に怒られているのが悲しかった」と。

 

父親の説教がはじまると、独身時代だろうが、子どもがいようが関係ありません。

とにかく、どんな場面でも長くなります。

最低2時間は覚悟が必要でしたね。

 

口答えをすればさらに長くなるので、結局なにも言えず、聞いているだけになります。

 

まとめ

私の親、とくに父親は娘の私を支配していたかったのか、なにかにつけてガミガミと、うるさい人でした。

とにかく私を監視して、管理していたい人だったようです。

それは、子どもに「お母さんの自由を奪った人だよ」と言われるほどですから、「相当なものだった」と今でも思います。