50歳女性。自営業です。
子どものころから、両親が「しつけ」という厳しい体罰を行ってきたので、反論ができない性格に。
その結果、成人してからも、親の声の大きさや威圧感にびびりながら、生活をしています。
それは、結婚してからも変わらず、父の私への支配は、いまだに続いている状態です。
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成人してもうるさい親のエピソード1.仕事をはじめても、門限9時、お泊り禁止
仕事をはじめて成年してまで、門限を決められ、20代も半ばを超えても、門限は変わらず21時。
仕事が終わるのが19時だったので、まっすぐ帰っても20時になります。
なので、友だちと夕飯すら食べることができない状態が長く続きました。
もし門限を過ぎて帰宅してしまった場合には、玄関の内側からチェーンをかけられてしまうのです。
「そのまま締め出しか」
そう思いきや、その音で父親が玄関にきて、怒りの表情のままドアを開けます。
しかし、そのあと、私は玄関たたきに正座させられて、お説教されるのです。
雨でたたきが濡れていようと、関係ありません。
たとえ、冬で冷たかろうとお構いなしだったので、とても嫌でした。
「帰りの時間が、今になったのはなぜか」
とりあえず、状況説明をする時間をつくられるのですが……。
なにを話したところで、許してもらえるわけではありません。
「日が変わって、早朝の時間帯になるまで、父親の怒りに任せた『説教』という名の暴言を聞き続けるしかない」
結局、このような状態になるのでした。
そんな父親なので、もちろん、外泊などはもってのほか。
なので、友だちと旅行すらできなかった私。
「温泉」、「スノボ」、「海外」などと、友人が楽しそうにしている話にも、参加することさえできませんでした。
成人してもうるさい親のエピソード2.電話は必ず、親が取り次ぐ
私が若いころは、まだ携帯電話が今ほど普及しておりません。
ですので、電話はだいたい家の電話で済ますことになっていました。
しかし、かかってくる電話には必ず親が出ます。
相手が女性で私から名前を聞いたことがあれば、素直に取り次いでくれましたが……。
女性でも知らない名前だと、相手に「○○(私)とどういう関係か」と尋ねていましたね。
もちろん男性ならば、追及はもっと厳しいものになります。
「どんな関係」か、「どんな用事でかけてきたのか」など、うるさく相手に聞くのです。
そして、時間が10時を過ぎていようものなら、「一体何時だと持っているんだ」と怒り出す始末。
終いには、電話を取り次いでもらえなかったうえに、「どういう関係なのか」と、再び私に聞くのです。
そこで話しが一致すれば、伝言を伝えてもらえるという、今考えると本当におかしなシステムになっていました。
成人してもうるさい親のエピソード3.結婚したら新居に月1で訪問され、部屋の状態を確認される
結婚して、「やっと、うるさい親から解放される」と思い、安心していた私。
しかし、夫と二人で暮らしているアパートに月1で両親揃ってやってきては、部屋の掃除の状態をチェックされるようになりました。
共働きだったので、隅々まで念入りに掃除ができておりません。
なので、親に汚いところをチェックされて、その場で掃除をするハメになるのです。
もちろん、くる日にちは前もって教えられるわけではありません。
朝「今から行くから」と電話が入って、10分以内に到着するので、ときには寝起きというときもありました。
掃除をしている間ずっと、両親にチクチク嫌みや小言を言われ続けるので、両親がくると、知らぬ間に出かけて行った夫。
それも気に入らなかった親は、「あいつは、ダメな奴だ」と言っていましたね。
せっかくの休日に、朝早くから妻の両親が押しかけてくるような環境です。
「掃除のことでごちゃごちゃ言われたら、逃げたくもなるでしょうよ」
私はそう思ってはいたのですが、言えるわけもなく……。
結局、両親が帰ってから、帰宅した夫に謝罪するように言い、許してもらうようにはしていました。
成人してもうるさい親のエピソード4.子どもが生まれたら、子どものしつけに口を出す
子どもが生まれると、親の口出しはさらにヒートアップしました。
理由は「お前のような子どもにしてはいけないから」とのこと。
両親からしたら、私は失敗作だったようですね。
「その失敗作が育てたら、まともな孫にならないだろう」
そう思っていた両親が、毎日電話をかけてきていました。
そして、不幸なことに、うちの子はなぜかよく泣く子です。
なので、電話がかかってきても、大体泣いているような状態になります。
それが原因で、両親から止まらぬ勢いで質問されるのです。
「なぜ泣いているのか」、「今日のミルクは何時だったのか」、「うんちやおしっこの状態はどうだったのか」と。
一応ひととおり説明して、納得させたら電話は終了。
寝ていても電話で起きてしまうこともしょっちゅうだったので、苦労しました。
保育園に入れ、仕事に復帰してからは、このようなことをさんざん言われました。
「なぜ、仕事を続けるのか」「他人に預けて平気なのか」と。
しかし、私も子どものころ保育園に行っていたので、質問の意図がわかりませんでしたね。
その過干渉は小学校入学しても続き、小学校の行事の大半は私の両親も一緒に参加。
しつけの方法にも、こと細かに口を出してきていたので、自分らしい子育てをするのは大変でした。
結局、子どもへの過干渉は、母が体調を崩したのをきっかけに終わりを遂げます。
しかし、子どもは私の父親のことを嫌いになってしまったのです。
もちろん、夫も結婚してから、私の両親の横暴ぶりに嫌気をさしていたのですが……。
ある日子どもが、両親がこなくなったあとで、ようやく心のうちを私に話してくれたのです。
「毎回目の前で、母親である私が祖父である父に怒られているのが悲しかった」と。
父親の説教がはじまると、独身時代だろうが、子どもがいようが関係ありません。
とにかく、どんな場面でも長くなります。
最低2時間は覚悟が必要でしたね。
口答えをすればさらに長くなるので、結局なにも言えず、聞いているだけになります。
まとめ
私の親、とくに父親は娘の私を支配していたかったのか、なにかにつけてガミガミと、うるさい人でした。
とにかく私を監視して、管理していたい人だったようです。
それは、子どもに「お母さんの自由を奪った人だよ」と言われるほどですから、「相当なものだった」と今でも思います。