42歳女性。団体職員。
2013年から夫の赴任でマレーシアで生活し、2016年に帰国しました。
マレーシアのゆったり生活から、やっと日本のペースになじんできた今日このごろ。
社会復帰をして、日本人の勤勉さを身に染みて実感しています。
見出し
夫がマレーシア赴任になったエピソード1、妊娠中に海外赴任決定!
私が第2子を妊娠中に、夫が海外に行くことが決定。
もともと夫の海外で働きたい願望を知っていたので、この決定は喜ばしいことでした。
しかし、私は妊娠中です。
しかも、あと3ヶ月で出産をひかえていたことから、私はひとまず、上の子と日本に残り、出産後落ち着いてから、赴任先に行くことに決めました。
着々と準備は進んで行きましたが、意外にも出産などに対する不安はありませんでしたね。
それは、夫がいても結局出産や育児に役に立たないと、第1子のときに経験済みだったからかもしれません。
ただ、「夫だけが赴任して、子どもが不安にならないかな」と思って心配をしていました。
赴任当日、お腹は大きくなっていたので、国際空港まで送っていかず、地元で見送り。
しかも夫は、高速バスという手段を選んだのです。
子どもには説明をしていましたが、まだ小さいため、よく理解ができていない様子。
「父ちゃんはバスに乗ってマレーシアにいった! バスに乗っていったから、すぐに帰ってくる」という、そぶりでいたのが印象的でした。
出産を控え、住んでいたアパートを引きあげ、実家に帰った私。
その引っ越しがたいへんだったこと!
実家の母が手伝いにきていたにも関わらず、前日は徹夜、そして引越しの車を見送ったあとは、約500キロの距離をわたしが車を運転して帰省したのです。
そのときは、もう9か月に入っていたので、「もう生まれても大丈夫」という安心感と、「これから実家に帰るから、ゆっくりできる」という気合だけで乗り切ったような気がします。
その後無事に出産を迎えました。
当然、夫は海外にいたために、帰ってくることはできません。
しかし、出産後にちょうどマレーシアで春節の大型連休にあたったため、それを利用して、赤ちゃんに会うために帰ってきました。
その際に渡航予定を決めたのです。
夫がマレーシア赴任になったエピソード2、出産から赴任するまで
「生後3ヶ月になったら、渡航をしよう」と決めました。
つまり産後1ヶ月過ぎて、渡航まで2ヶ月しかありません。
そのため赤ちゃんのパスポートを申請し、準備を整え、予防接種をしたり、本当に忙しい日を過ごしました。
また上の子は、当時4歳でマレーシアについたら幼稚園に入れようと、考えていた私たち。
夫が幼稚園をリサーチしておいてくれましたが、やはり現地校は英語のアルファベットくらいは言えるようになっていないと、入学はむずかしいということで、日本で猛特訓がはじまりました。
本当に短期間でお金もかかりましたが、自宅近くに開校した英語幼稚園に1ヶ月だけ入れて、英語に慣れるように。
また英語塾にも並行して通い、アルファベットの練習をしましたね。
娘も良く頑張ったと思います。
そうして関西国際空港からマレーシアに向けて旅立ちました。
当時、下の娘は生後3ヶ月。
まだまだ小さく不安はないとは言えませんでしたが、それでも新生活の期待も大きかったですね。
夫がマレーシア赴任になったエピソード3、マレーシアでの生活
夫の仕事は、飲食店だったので、朝から夜遅くまでありました。
また土日も勤務があったため、現地に行ってからも育児を手伝ってくれるということは、まったくありませんでしたし、私も期待をしていません。
マレーシアは温かい国です。
「はじめは衛生的にどうかな? 大丈夫かな」と心配をしていましたが、普通に生活をするには、まったく体調に問題はありませんでした。
子どもたちも、適応するのは早かったと思います。
また住むところは、社宅に指定されたマンションに住んでいました。
マレーシアのマンションは、プールやジム、そして子どもの遊び場などがついていたので、子どもたちもマンションの自室にこもることなく、ストレスを発散することができていたようです。
またマンションの下にはショッピングモールがあり、買い物にも不自由しなかったので、小さな子どもを抱えた私にとっては、とても便利なところでしたね。
ただ問題だと思ったのは、語学の問題です。
マレーシアは中華系、マレー系、インド系の人が多く、中国語、マレー語、タミル語が飛び交います。
そして共通して、英語もよく通じるのですね。
そのため英語の習得が一番大切だと思いました。
私は旅行ができるくらいのサバイバル英語はできましたが、それ以上の英語はできません。
しかし馴れるにしたがって、段々と住民と言葉を交わすことが、できるようになりました。
マレーシアにくるまでは、英語ができないので、「大丈夫かな」という心配はありましたが、マレーシア人だって、英語が母国語ではないのですね。
そのため、みんなが正しい英語を話しているとは限らないのです。
大切なのは、「人と話したい」という気持ちを持つこと。
そのコミュニケーションツールとして、英語が使えたらいいということがよくわかりました。
まとめ
私たち家族の海外赴任は、約3年半におよびました。
その間にマレーシアの人に助けられることばかり。
普通は語学の問題や生活の問題があるため、なかなか海外で生活をしたいと思っても、実現できることではありません。
異国で過ごしたこの3年間は、人生の宝物ともいえる貴重な時間でした。