私は放置子だった。記憶に残ってるエピソード2つ

寂しい

32歳男性。フリーエンジニア。子どものころに、両親と出かけた記憶は数回。「ほとんど自分でやってきた。誰も助けてくれなかった」と、感じながら成長。その影響か、現在でも人の力を借りずに生きるためのすべを追求。結果、あまり働かずに生活できる環境を手に入れ満喫中。

 

 

記憶に残っているエピソード1.自転車の練習は、大人用の自転車でひとり

自転車

 

私が自転車に乗れるようになったのは、6歳のころでした。

当時の身長は、正確には覚えていませんが、平均的な身長よりも少し低いくらいだったと思います。

 

今でこそ180cm近い身長ですが、小学校4年生くらいまでは、身長順に並んだときには前のほうにいました。

そんな体格だったので、当然ながら自転車も子供用のものでなければ、安全にのることはできないはずです。

 

しかし、私が自転車の練習で使っていたものは、近所のお兄さんからもらった大人用の自転車でした。

私が子どものころにも、変速機(ギア)付き自転車はたくさんありましたが、今ほど一般的ではありませんでした。

 

私がもらった自転車は、フレーム部分に大きなコントローラーがついた、古い映画で郵便局員がのっているようなものでした。

この自転車が気にいって、譲り受けたというのではありません。

 

たまたま、使わなくなった自転車があるから「あげる」と、言われてもらったものです。

当然、26インチの自転車になど、乗れるような体格ではないので、足は地面にまったくつきません。

 

縁石を頼っても、まだつかないくらいで、ガードレールくらいの高さがないと体を支えることができませんでした。

そんな状況なら、普通は親などの大人が付き添って練習するでしょう。

 

もっとも、体格にあった自転車に、補助輪を付けて練習し、一般的なのです。

しかし、私はその自転車を使って、補助輪を付けることなく練習をしました。

 

「体格に合わない自転車で練習をした」と、いうだけならまだ良いのです。

私の両親は、基本的に放任主義だったために「誰の力も借りずに練習した」と、いうのが強く印象に残っています。

 

すでに説明しているような状態であれば、すぐに投げ出してしまっても良いようなところでしょう。

でも、私は自転車の練習をすることが本当に楽しく感じていました。

 

さしずめ、「まったく歯が立たない難問に直面した冒険者」のように、心のなかで闘志が燃え上がっていたことを覚えています。

最初のころは、自転車にまたがることすら、ままなりませんでした。

 

でも、数十分もすれば、またがるコツを覚えて、多少は進めるようになりました。

結局、3日目にはある程度乗れるような状態になりました。

 

それを両親に報告したとき、「おめでとう」と言われたことが、うれしかったと記憶しています。

 

 

記憶に残っているエピソード2.誰もいなくて窓をはずして入る

家

 

小学校4~5年生くらいのころ、学校から帰宅すると「家に誰もいない状態」だったことがありました。

普段、我が家は家業の関係で誰かしら人がいるのです。

 

しかし、その日は休業日で、私が帰宅したときに誰もいない状態でした。

以前にも、同じような状態になったことがあったので、私は「そのうち帰ってくるだろう」と、簡単に考えていました。

 

ところが、1時間たっても、2時間たっても一向に帰ってくる気配がありません。

「これはまずい」と、考えはじめ暗くなりつつある空を見上げながら、途方に暮れていました。

 

そのままの状態で、7時が近づいてきたとき、私は「どこかに、入れそうなところはないか」と探しはじめました。

多少、無理をしてでも家のなかに入ろうと思いました。

 

可能性がある場所は、居間の窓、キッチンの窓、トイレの窓の3か所でした。

トイレの窓に関してはサイズが小さく、地面から高い場所にあったので無理です。

 

残りの窓を見てみたものの、しっかりと鍵がかかっていました。

そこで、「2階ならばもしかしたら」と思い、家の壁をよじ登りはじめました。

 

漫画などで見るように、近くに木や電柱などがあれば、上りやすかったのかもしれません。

でも、とくにそういったものはなかったので、電気メーターや換気扇などをつかみながらよじ登っていきました。

 

「絶対に無理だ」と思いましたが、それ以外に状況を打開できる方法が、思いつかなかったのです。

渾身の力を振りしぼって登りました。

 

なん分たったかは分かりませんが、なんとか2階に登って窓をチェックしました。

壁沿いにある小さな窓には、鍵がかかっていないことがわかりました。

 

ところが、引き窓になっていて、1つの窓を開けただけでは体が入りそうにありませんでした。

体格が小さければ、入れたかもしれません。

 

でも、そのときの体格ではどうやっても、体を入れられそうにありませんでした。

軽く絶望を感じましたが、そうもいっていられず、その窓を無理やり外してなかに入りました。

 

家のなかに入ってから、1時間もしないうちに家族が帰って来ました。

事情を話すと大笑いされてしまいました。

 

ちなみに、外出の理由は「兄弟を連れて、買い物に行っていた」と、いうものでした。

 

まとめ

ほかにも、小さなエピソードはありますが、私にとってこの2つは、本当に強い印象を持って覚えているエピソードです。

その経験が、今に生かされているかどうか。

 

「やろうとすれば、なんでもできる」といった、考えかたで生きられているのは、おそらくこれらの経験があったからだと思います。