28歳。女性。
職業は転職活動中で、ライターをしています。
泣き寝入りして、「不幸だ」という思い出のままだったが、人生を変えることに成功。
趣味は、映画鑑賞や音楽鑑賞、執筆。
会社に見捨てられたが社会は私を見過ごさなかった
私の人生バラ色エピソード1.転職に出会ったけれど
私は2年前に、とある会社で契約社員として働きだしました。
深夜帯なので、担当部署の職場は9割男性。
女性が苦手だったため、「天職」だと思いました。
そのため、教育係として私に教えてくれる先輩は、全員が男性。
そこの職場には、少し癖のある先輩がいました。
典型的な仕事熱心タイプの人間で、「仕事を頑張る、仕事ができる人」を好む方。
1年後くらいを境に、私がそのタイプの枠に入ってしまい、異様に好かれるようになりました。
それがきっかけで、私の人生を左右するできごとが起こってしまったのです。
私の人生バラ色エピソード2.先輩に頼られることでやりがいを見つけれた
その先輩は長年その職場で働いていたので、リーダー的な存在で職場を回していました。
敵にすると怖いタイプの人ですが、一度信頼関係ができたら、頼り頼られの関係になれる先輩。
私が仕事に対して、適応力をあげていくにつれ、彼自身の態度が急変したのです。
社会通念上許されるコミュニケーションから、密接なスキンシップに、ゆっくりと発展していきました。
教育係かつ先輩という立場にある先輩。
先輩のそういったコミュニケーションに対して、今後の仕事に影響が出ることが怖くて、「嫌です」とは言えなかったのです。
一般的に女性は、おそらく職場の上司に対して、嫌な思いをしてもはっきりと「NO」と言える人は、少ないのではないでしょうか?
私の人生バラ色エピソード3.相談したことによって会社は助けてくれると思ってしまった
我慢に我慢を重ねた結果、胃炎をおこし、体調も全般的に崩してしまい、余儀なく会社を退職することとなってしまいました。
退職の際に、副部長に退職理由を聞かれた私。
私はそこでやっとはっきりと「セクハラを長期的に受けていました」と、第三者に向けて、言うことができたのです。
会社側はそこで、監視の甘さを謝罪することもなければ、私を引きとどめることなく、退職を受理。
何事もなかったかのように、その先輩を雇い続けました。
取捨選択として守られたのは、定年間近のベテランで、切り捨てられたのは私。
その結果、経済的困窮になり、転職を余儀なくすることとなりました。
そこで私はあらゆる機関を利用して、無料相談をして結果、弁護士の無料相談にたどりついたのです。
私の人生バラ色エピソード4.人生を逆転させるその一手
はじめてお会いしたその弁護士の雰囲気や物腰の柔らかさに安心して、すべてを話すことができて、1時間の無料相談を終えました。
結果として、「彼をこらしめなければならない」という判断を弁護士が持ってくれたため、私も人権を守りたく、その場で契約。
この日から、私と弁護士による、彼との交渉のための戦いがはじまりました。
和解交渉のすべての内容通知を彼は無視をして、舞台は裁判所に。
すでにお察ししたと思うのですが、彼は裁判所からの呼び出しにも、答弁書の提出すらも、無視を続けたのです。
第1回口頭弁論は静かにその日で終結し、判決が1週間後に出ました。
民事裁判で初の全面勝利、こちらが提示した慰謝料額が裁判官によって、まるまる認められ、これは異例だそうです。
こちら側は誠意に和解から申し立てていたことに対しても、それだけ悪質で、誠意が見られなかったことが原因でした。
私の人生バラ色エピソード5.もしも相手の一手が違ってたら
「もし彼が、和解の段階で反応していたら……」
「もし彼が、2度目の和解に反応していたら……」
「もし彼が、裁判所の呼び出し、答弁書の返答などに応じていたら……」
「請求額はもう少し下げられた可能性があったのに、馬鹿だな」と思ってしまいました。
まとめ
彼の自業自得さには同情しますが、謝罪など一切ないことに関しては、「大人としてどうかな」と思っていました。
そのため、今回全面勝利して、判決内容文で彼がけちょんけちょんに言われていたのを見て、ものすごくスカッとしましたね。
私が受けた長期的な嫌な思いはこれで消化され、現在、会社に対しても彼に対しても、「逆転勝利した」と思い、バラ色人生に変わりました。
彼のおかげで、「人権」「会社」「社会」「人との関り」を見直すこともできたのです。
昔から夢だったことが叶った
私の人生バラ色エピソード1.普通の人生を送れてない分、文章にしてこの社会に残したかった
20代前半のころ、ある出版社に自分の半生を書いたノンフィクションの原稿を送ったことがあります。
その原稿に目を通してくれた方から、逆にスカウトされ、熱心に出版の依頼がきました。
しかし、初回作品のためなど、いろいろな契約条件で費用も確保できずに、夢は叶えることができなかったのです。
諦めてお断りをしましたが、翌日以降も電話が鳴って、あらゆる手段で、いかに費用を抑えて、出版するかなど、提案していただけました。
しかし出版費用と自分が書いた原稿との対価を考えたとき、「私の原稿には、そこまでの価値がない」と思ってしまったのです。
その日から、物書きをやめてしまいました。
私が2年前に働いていた職場で、教育されたことをメモしたものを正書して、わかりやすく書いたものが役に立つことがあり、また少し、物書きに対して自信がついてきたのです。
私は「自分には、ちらかった情報をまとめる力があるのではないか」と思えるようになりました。
私の人生バラ色エピソード2.人生の転機が再び起こった
ブログ記事の依頼などを淡々とこなしていくなかで、執筆の難しさも痛感。
日々勉強を重ねていたある日、出版会社からスカウト依頼がきました。
私の答えは即答で、「ぜひ書かせてください」と答え、契約をむすぶことに成功。
それから、納品期日の1週間前に原稿が完成して、検収してもらい、見事採用されることとなりました。
それだけで終わることはなく、もうすでに2作目の依頼を考えてもらっていたようで……。
また新たに契約を結ぶことができ、昔叶えることができなかった夢を実現させることができたのです。
まとめ
私が持っている障害上、「文章の不備が多いのではないか」と、不安がありました。
ですが、さまざまな方からアドバイスをもらい、勉強していくなかでも自信がついて私は、「自分の夢をはじめて実現できた」と思うと、本当に幸せです。
諦めてしまっていたはずの執筆活動が、やっぱり好きだった私。
私は「ずっとどこかで、諦めきれてなかった」と気付き、その点でも私の人生は変わって、自分の手で幸せを掴むことのうれしさを初体験中です。
諦めきっていたらきっと、人生のこの転機をまた逃していたと思います。