27歳女性。自営業。
虫が大の苦手で、自分の血を吸っている蚊も潰せないほど。
学生のころの得意科目は数学、そして嫌いな科目も数学。
今は結婚して、子どもの代わりに猫を可愛がりつつ、「もし子どもができたら、優しく育ててあげたい」と夢想しています。
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父親のモラハラエピソード1.私の人格否定をする父
私の父は九州地方の田舎の長男。
根っからの九州男児である父の教育は、私が幼少期のころからとても厳しく、当時を振り返ると、明らかにモラハラである行動が多かったです。
その父のモラハラエピソードをいくつかご紹介します。
父は私が幼稚園のころから、結果と評価に強くこだわりを持つ人でした。
私が私立の小学校に入学してからは、それがより顕著になり、基礎テストは満点を取って当たり前で、ケアレスミスでさえも強く叱られたものです。
父が私を叱るときは片手間ではなく、数時間の正座は当たり前。
手こそあまり挙げない父でしたが、あらゆる方面から私の人間的なところを否定しました。
「お前はこの点数の価値しかない人間だ」と言われても、子どもの私にとっては「ごめんなさい」と言うことしかできません。
計算の公式がいつまでも覚えられなかったときは、父は私を風呂場に連れて行って公式をとなえさせ、間違えるたびに洗面器で私の頭を叩きながら、「馬鹿野郎!」としかりました。
父が医者だったので、とくに勉強に対する教育は、異常といえるものだったと思います。
父親のモラハラエピソード2.泣き方や耐え方さえ叱られる
そんな説教を受けていると、悲しい気持ちと悔しさで、どんどん涙が溢れてきました。
しかし、私が声をあげて泣くと父は、「泣き声を出せば俺が甘くなると思っているのか」とさらに叱ります。
こちらにはそんな意思はないのに、思ってもいないことを言われ、さらにそのうえから人格否定。
その結果、もうなにも言えなくなってしまいます。
それが続くと「もしかしたら自分は、父の言うとおり、そう思っていたのかもしれない」という気持ちになってくるのです。
心のなかで「そんなことない、思ってない」と言って人知れず戦うよりも、説教の受け方すら、父の思ったとおりの自分でいることのほうが楽な気がしていた私。
そう思っているうちに、父の説教の最中は、口からは謝罪の言葉しか出せないようになりました。
言いたい言葉が喉のうえまではきてくれても、飲み込むしかなく、息が細く苦しくなり、息切れがしてきます。
そんな私を見て、父は「お前はいつも過呼吸のふりをするな」としかりました。
そうして耐え方さえも否定され、精神的に耐えられなく私。
いつの間にか父に説教を受けている間は、もう1人の自分が受けているということにして、1歩後ろで客観的に眺めているような気持ちになることが増えました。
父親のモラハラエピソード3.バイク雑誌を読んでいたら
今でも覚えているエピソードは、私が父の書斎に勝手に入り、バイク雑誌を読んでいたときのことです。
その書斎が「自由に入っていい」と言われていて、たまに出入りしていました。
父はバイクに乗りませんので、病院の待合室にあったものが、そのまま置いてあっただけ。
私はバイクに憧れはまったくなく、ただ見慣れないものなので、図鑑のような気持ちで読んでいました。
そのときに父が書斎に入ってきたのです。
私は悪いことをしているつもりはなかったので、焦りもしませんでした。
しかし、バイク雑誌を見ている私を見た父は大声で、「なに見てるんだ!」と怒鳴ったのです。
私はびっくりしつつも、「これはきっと、バイクが父からしたら悪いことなんだ」思って、とっさにバイクという単語を隠し、「ここに置いてあった雑誌」とだけ答えました。
しかし、その中途半端な誤魔化しほうが余計に父の怒りの琴線に触れ、父のなかで私は「駄目なものだと分かっているのにやった」となってしまったのです。
父は止める母を差し置いて、私の襟を引きずりながらガレージに連れて行き、車の後部座席に投げ込み、自分は運転席に座り車を発進。
どこに連れて行かれるのか分かりませんでしたが、さすがにそんなことを聞ける雰囲気ではなく、ただおびえて、後ろに座っていました。
父親のモラハラエピソード4.車に乗せられ行き着いた先は
そして15分ほど車を走らせて到着したところは、夜の墓場でした。
時間はだいたい午後7時ごろで、当時長野の田舎のほうに住んでいたので、周りは街灯もほとんどなく真っ暗。
「ここで正座して迎えにくるまで、反省していなさい。そのときに足を崩していたら、もう迎えにこない」と、その時間も言わずに私を置いて、父はまた車でいなくなりました。
その日は7月の蒸し暑い日で、蚊やアブも多くいました。
私はお墓自体の恐怖はもちろん、足の痛みと虫たちと戦わなくてはなりません。
虫におびえてうっかり足を崩したときに、「父が迎えにきたらどうしよう」と思いながら、必死に手で払い続けたことを今でも覚えています。
そんな姿を誰かに見られるのも恥ずかしいため、泣き声もあげられず、父が迎えにくる3時間ほどあとまで、ずっとそれが続きました。
私はそれがきっかけで大人になった今でも、虫が怖くて触れず、夏の訪れの匂いをかぐと、その光景を思い出してしまうのです。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
私の家の場合は母の影響力が弱かったのが大きく、父の絶対王政となっていたからこそのモラハラでした。
もしも今、親からモラハラを受けている人がいるならば、その恐怖心に負けずに、ぜひ誰かに相談してみてください。
無料の電話相談などもありますので、1人で抱え込まないでほしいと願います。