32歳女性。
収入は増えたが、貧乏性が抜けず、友人と同居。
仕事は、ブログの記事作成など、主に自伝やサバイバルに必要な知識書いたり、物造りの楽しさを伝えるブログを書いている。
将来は、自分でつくった家具をネットで販売したいため、物造りの腕も磨いています。
貧乏を楽しむ方法1.自給自足で楽しいサバイバル生活
私は長年、趣味に没頭し続けていたので、ほとんど収入がなく、家の家賃を払うだけで精一杯でした。
食材はもちろん、調味料もほとんど買えません。
なので、いかに安く食べ物を購入できるかが、生きていくうえで重要な課題でした。
最初は市場や激安スーパーで、安い食材だけを狙って、買いだめしていた私。
しかし、食費が底をついて、一銭もなくなってしまったときもあったのです。
それで、同じ貧乏仲間の友人と「これからどうしようか」と、いつも相談しあっていました。
そんなとき、テレビの「無人島生活」という番組を見て、思いつきました。
家の近くに山があるし、自転車で少し走れば、海もある。
「そうだ! 自給自足できるじゃない!」と。
すぐに友人に「山菜取りに行こう!」と言うと、「それいいね!」と一緒にやることに。
それ以来、山菜取りに行くのが日課になり、タダで食材を手に入れる喜びを感じました。
はじめて山菜を採ったときは本当に嬉しくて、テンションがあがって、一日中採っていましたね。
山道は結構な急斜面なので、一歩足を踏み間違えたら、崖から転落してしまうような場所です。
そこには大きく立派な「行者ニンニク」が生えていて、「これは絶対持って帰りたい!」と燃えました。
危険な山道でしたが、そんなスリルもドキドキして楽しかったです。
次の日、どんなに筋肉痛になっても、美味しい食材が採れたので、全然平気。
山菜採りに行ってきた話を職場の先輩に話すと、みんな笑いながら、こう言っていました。
「すごいねー。よくやるねー」「同じ女だと思えない、たくましさだね」と。
「貧乏すぎて、自給自足してます」ということは、別に恥ずかしくなかったです。
むしろ、貧乏なことを同情されたくなかったので、なんでも楽しんで取り組んでいました。
山菜採りの次は、海釣りにハマったのですが、最初は全然釣れません。
コツを掴むまで、ひたすら竿を見つめて待っている毎日でした。
一匹、二匹と少しづつ釣れるようになってきて、毎日魚が食べられるようになってきたことに、また楽しさと喜びを感じた私。
釣れない日ももちろんあったけど、その分釣れた日の喜びは倍増でした。
そして、なにより嬉しかったのは、タダでお刺身を食べられることです。
自分でさばけなかったので、友人宅に持っていき刺身にしてもらったり、天ぷらにして揚げてもらいました。
友人には、貧乏のくせに「贅沢すぎる!」と言われたので、「分かったよ! みんなで食べよう」と私が提案。
すると、満面の笑みでお酒をたくさん買ってきてくれました。
ビールなんてめったに買えなかったので、すごく嬉しかったです。
たくさん採れた日は、職場の先輩たちにもおすそ分けをしました。
その次の日、「これ安かったから、スーパーでいっぱい買ったんだー」と、先輩がやってきたのです。
おすそ分けのお返しにと、普段私が買えない野菜や果物を持ってきてくれて、「また交換しようね」と言ってくれました。
それから、「山菜・魚」と「野菜」の物々交換がはじまります。
そのやりとりも、「なんか昔の人みたいだね」と笑って、話していました。
「人間、お金がなくても、自給自足と人との交流で、なんとか生きていけるんだなー」と思いましたね。
貧乏を楽しむ方法2.廃材と流木でなんでもつくれるようになりました
自給自足で食べ物はどうにかなりましたが、私の家にはテレビと冷蔵庫と洗濯機、必要最低限の家電しかありませんでした。
テーブルはもちろん、イスやソファー、棚や収納なども一切ありません。
ほんとに部屋のなかは、空き家のようにガラーンとしていました。
布団もなく、友人からもらった折り畳みの簡易ベッドで、毛布をかぶって寝る生活。
布団はなくても、どこでも寝れる体質なので平気でしたが、「せめて、テーブルや収納棚が欲しい」と思い、手づくりを思いついたのです。
小さいころから海が大好きで、よくキレイな石や木の棒を拾っていたのを思い出した私。
そのとき、「流木や廃材で、オシャレな家具がつくれるんじゃないか」とひらめきました。
それ以降は、毎日本屋さんで、手づくりハウスの本を立ち読みして、ワクワク。
休みの日、早速海へ行ったのですが、時期が悪かったのか、小さな枝くらいしかありませんでした。
ネットで調べると、ダムに大きな流木や廃材がたくさんあり、しかも無料配布中となっていたのを発見。
友人の彼氏に車を出してもらい、流木を大量に積んで持ち帰ることにしました。
お風呂場で汚れをキレイに落とし、天日干し。
何本も何本もそれを繰り返していくと、キレイでしっかりした流木がたくさんできました。
それをとんかちと釘を使ってうまくくっつけて、不格好ですが、オシャレなハンガーラックが完成。
早速、つくった写真を友人に見せると、「いいなー、かっこいい!」「私にもつくって!」と、すごく評判が良かったです。
褒められたことがすごく嬉しくて、それから毎日仕事が終わっては、棚やラックやテーブルなど、つくれるものはなんでもつくりました。
真っ直ぐな木じゃないのでうまくいかず、何度も失敗したことも。
それでも、またつくり直すのも楽しくて、どんどんハマっていきましたね。
しばらく続けていると、それが趣味のひとつに。
棚を一つつくるのに、前は一週間もかかっていたのが、二、三日でつくれるようになりました。
ただの木ですが、「何本も組み合わせていくと、立派で丈夫な家具に変身するんだな」ということを理解した私。
そのうえ、「もしかして、これをネットで売ったら儲かるんじゃないか」と思いつき、もっと腕を磨こうと、ヤル気がわいてきたのです。
まとめ
私はこんな生活を20代のころに、8年間も送っていました。
その結果思ったことは、「どんなに貧乏でも、考え方次第で、人の何倍も楽しく生きられるんだ」ということ。
それに、周りの支えもあり、人の温かさをたくさん実感しました。