本当ありえない。姑が原因で離婚に至ったエピソード4編

イライラする女性

32歳女性。

派遣社員と在宅ワークで、家計を支えるシングルマザーです。

 

産後半年で、離婚。

それ以降、プチプラでインテリアを揃えたり、流行ファッションを取り入れるのが趣味となっている。

 

未就学児の子どもと、一緖に学べる習いごとを模索中。

 

 

元姑が原因で離婚に至ったエピソード1.おっとり天然な性格は、ただの無知

祖母

 

元姑はおっとりとした性格だったので、はじめは「うまくいきそう」と思っていました。

ところが、両家の顔合わせのときから、「おかしいな」と感じることがちらほらと見えてきたのです。

 

特別、気取った席ではありません。

ですが、普段着と呼ぶにはだらしがない、「部屋着」のようなトレーナーとよれよれのデニムで登場した元姑。

そんな元姑を見た瞬間、さすがに私の両親も閉口してしまいました。

 

また、元姑は自宅に送られてくる役所や銀行関係の手紙の内容や手続きも、誰かと一緒にやらなければできません。

「いったい今まで、どうやって暮らしてきたのか」

そう不思議になるくらい、物を知らない人でした。

 

この無知さが、子育てにも影響していることは言うまでもありません。

 

元姑が原因で離婚に至ったエピソード2.優しさ? 子育ては放任主義

苦しい家計

 

元旦那は男二人兄弟の長男で、結婚当時義理の弟は未成年でした。

元旦那も言っていましたが、高校退学時もたいして理由も聞かず、「うんわかった」と退学を許可。

その後の生活プランを確認したり、とがめたりすることのない、「優しいおかあさん」だったのです。

 

義理実家には古いながらも、複数の部屋がありました。

その空き部屋に未成年の女の子が何日も入り浸り、半ば同棲状態になっていても、無関心でいたそうです。

 

よその娘さんですし、なにか事件に関わっていたり、事件が起きたあとでは、すでに手遅れ。

どこに住んでいるのか、学生なのか否かすら確認せず、「○○(義理の弟)の知人だから」と、放っておける性格に呆れました。

 

また、決して叱ることがない元姑ですので、義理の弟からのお金の無心にも、たやすく応じます。

しかし、元姑には金銭的に余裕がありません。

なので、長男夫婦である私たちに「50,000円振り込んでくれないかな、ごめんね」と、頼んでくるのです。

 

息子である元旦那も、「仕方ないな」と振り込んでしまう金銭感覚のだらしなさ。

金銭感覚が狂っていたのは、元姑からの教育の賜物と言えるでしょう。

 

 

元姑が原因で離婚に至ったエピソード3.離れていても、息子の収入は世帯収入

無視するシニア世代の女性

 

私は元旦那と、低所得世帯であったことを承知で結婚しました。

仕送りがあることも、理解してのことです。

 

当然、我が家の家計を圧迫してまでの援助は約束しませんでした。

仕送りは一定額にとどめ、毎月振り込んでいましたが……。

 

元姑からのお礼の言葉を耳にしたことが、一度もなかったのです。

別居していようが、孫が生まれようが、息子の収入をあてにする姿勢に疑問を抱くことはありませんでした。

 

おそらく、同じ財布を使ってる感覚だったのでしょう。

「50,000円追加」、「税金払うから、80,000円」。

仕送りのほかにも、こちらの経済状況を気にもせず要求する無神経さに、ただ唖然としました。

 

一番大きな出費は、車や家具の購入費用です。

それを相談なしに了承してしまう元旦那も、おかしな感覚を持っていた人間と言えます。

 

しかし、子どもがお菓子をねだるように、申し訳なさのかけらもみせず、「買って」と言える元姑は論外です。

他者と、自身の財産の区分はなかったのでしょうか。

 

この金銭感覚の麻痺については、結婚後に発覚した元姑の「自己破産」により、納得いくものへ。

自分たちの収入とは不釣り合いな買い物を繰り返し、家計が赤字になるたびに、知人や親戚に借金を申し込んできたとのこと。

 

結末は「自己破産」。

お金を貸した知人や親戚は泣き寝入るしかなかったため、親戚からは冷遇されていたそうです。

それでも、正月や盆に堂々敷居を跨ぐ図太さですから、「周囲の苦労は絶えないだろうな」と思います。

 

元姑が原因で離婚に至ったエピソード4.相手の気持ちがわからない

入院

 

「ひょっとしたら、ひょっとしたら、おとなの発達障害かもしれない……」

そんなふうに思うことが重なり、「元姑も、生きづらさを感じながら暮らしているのかも」と考えながらも、接触を減らしていた私。

しかし、「もう付き合いきれない」と思った決定打が、出産後に起こります。

 

産後のトラブルで入院期間が伸び、自立歩行も禁じられていた安静時に、元姑と元舅がやってきたのです。

初孫の顔を見たい気持ちはわかります。

しかし、私は点滴も抜けず、お風呂にも入れない満身創痍。

 

そこで、「私の病室への入室はなしで、孫との対面を」とお願いしました。

看護師さんもその旨を理解してくださり、面会謝絶を指示してくださりましたが……。

孫との面会を終えた義両親がいきなり病室の扉をあけたため、私は驚いて声も出ませんでしたね。

 

部屋の前には、面会謝絶の札。

病棟入り口の受付でもそう言われたはずなのに、ずかずかと病室に入ってくるではありませんか。

 

そのうえ、ベッドサイドのソファに座って、私の昼食を眺めはじめた二人。

 

仮に元気だったとしても、無言で食事を見つめられたら、手が止まります。

 

「なぜここにいるのか、なにをしにきたのか」

そう思い、若干パニックになっていると、元姑は産後死にかけた私に対し、こう言ったのです。

「そんな何日もだらしない。動いたほうが体にいいから、帰る手続きしよう」と。

 

我に返った私はナースコールを押し、看護師さんに義両親を追い出してもらいました。

「男親のもとで産むのが当たり前」と、里帰り出産も許されなかった私。

知り合いが一人もいない土地での出産をしたばかりで、ずっと落ち込んでいたのです。

 

また、生まれた子が2500グラム弱と、やや小柄だったのですが……。

そんな孫を見て、放った初見の一言が驚き言葉でした。

「痩せっぽちだし、うちのほうに似ていないけど大丈夫?(本当に息子の子か)」と。

 

産後の恨みは深いもので、「二度と抱かせてやるまい」と思った私。

その後、元旦那の不貞も重なり、離婚へとつながったできごとになりました。

「ひとが言われて、嫌な気持ちになることをまったく想像できないのだな」と、諦めるしかありませんでしたね。

 

まとめ

この後離婚し、シングルマザーとして、子育てを続けることになりました。

しかし、「我慢せずに、離婚して良かった」と心の底から思っています。

地元に戻り、それなりの娯楽を子どもとシェアする楽しみに、毎日幸せです。

 

離婚後、元姑から「○○(元舅)が病気になった」と連絡がありましたが、孫を合わせるつもりはありません。