26歳、女性。
現在は、介護業界で、正社員として働いています。
紆余曲折を経て、一児のシングルマザーでもある。
数年に及ぶ、一人暮らし時代に得た忍耐と負けん気を武器に、職場で日々、揉まれ悩みながらも、負けることなく奮闘中。
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未成年で、一人暮らしをしたエピソード1.家庭環境が最悪なものであった
裕福だった、幼少期。
しかし、実父が急死してからというものの、打って変わって、生活難に陥ります。
それが、小学校高学年だったころのこと。
今でも、生活環境が急激に変化したことは、ハッキリと覚えています。
もとから、母との関係はいいものとは言えず、今思えば、同性だからこそ分かり合えない面もありました。
当時の母は、私を病的に束縛し、言葉の暴力、精神的な虐待も繰り返す人。
なにかと理由をつけて、母は働かなかったので、生きている世界が狭すぎたのかもしれません。
そのうえ、恋愛依存症でもあった母。
男性と縁が切れてしまうと、大暴れすることを繰り返します。
そんな母に嫌気がさし、救いの手を差し伸べるどころか、こう思う毎日が続きました。
「早いうちに、この家を出たい」と。
あれこれ起こる日々に、限界を感じながらも、過ごす毎日。
高校生のころは、受験勉強そっちのけで、バイトに励み、ひとり立ち資金を貯めました。
自分でまかなうにしても、母は大学進学には猛反対。
一刻も早く就職するように、釘を刺されていましたが、金ヅルになるのはごめんだったので、拒否しました。
今まで育ててきてもらった恩もありますが、それ以上に、「ありがたい」とは到底思えない日々を過ごしてきたからです。
奨学金の手続きも終え、もうそれは夜逃げに近い形で、18歳の春に家を飛び出しました。
あの日のことを忘れることはないでしょう。
未成年で、一人暮らしをしたエピソード2.1人で生きていくということ
晴れて、一人暮らしを開始。
大学は入学金や授業料を考えても、生活費を稼がなければなりませんから、働く必要があります。
そう考えると、夜間にしか通えませんでしたが、それでも十分でした。
平日はほぼ毎日、朝から病院の受付で働き、夕方から学校。
そして、夜中はファミレスで働いて、生計を立てていました。
そんなことはできたのは、「体力的にも、10代だったからだな」と思いますね。
稼ぎは、かけ持ちしていたこともあり、学費は奨学金から降りていたので、1人で暮らすには十分でした。
家賃も、水道費込みの40,000円のワンルーム。
ですが、比較的、リーズナブルなところに住んでいました。
光熱費もそこまで高い出費ではなかったです。
電気代に関しては、ほとんど家にいなかったので、1,000円を切った月も。
母には、住所も教えていなかった私。
保証人にこっそりなってもらった叔母からも、金銭的援助は、一切受けていませんでした。
生活がうまく回りだすと、「案外、がむしゃらに頑張れば、なんとかなるものだ」と感じるように。
今でも、そのハングリー精神的なものは、役に立っています。
未成年で、一人暮らしをしたエピソード3.同世代との差
私が通っていたのは、夜間の学部でしたが、大学自体は、一応私学でした。
そのため、いわゆる「お金に困った子ことがない人たち」が、多く見受けられましたね。
夜間でしたが、どうしても日中に出なければならない、必修の授業もあります。
なので、週に1回は、3限や4限も履修していました。
ある日、「見慣れない顔だ」と話しかけられたことから、友だちになり、サークルに誘われた私。
「ほとんどバイトに明け暮れてるから、あまり参加はできないけど、それでもいいのなら」
私は、その条件で、サークルに入ることになったのです。
それからというもの、飲み会などにも、誘われるようになった私。
サークルの人たちのなかには、実家暮らしの人もいれば、一人暮らしはしているが、親から仕送りをもらっている人など、さまざまでした。
私のように、自分で学費を工面して、生活しているタイプは一握り。
それどころか、その場では、私だけでした。
なんだかそのときは、疎外感すら感じましたね。
ですが、「自分で選んだ道なので、ひがむことはよそう」と、何度も自分に言い聞かせました。
それでも、「そんな学生生活を全力で楽しんでいる人たちが、羨ましくなかった」といえば、嘘だと言えます。
ただ、そんな生活の差があっても、そのなかで、気の合う仲間はできるものです。
助けられたことも、たくさんあります。
未成年で、一人暮らしをしたエピソード4.「帰る場所がない」ということ
年末年始になると、一人暮らし仲間も、実家に帰っていきました。
「どうして、帰らないの?」と、不思議がられることも。
飛び出しておいて、戻ることはできませんし、当時は、連絡も取り合っていませんでした。
ときに、「私には、帰る場所がない」ということに、寂しく思うこともありましたが、すべては自分から動いた結果。
「そんな寂しさよりも、あのときに戻りたくない!」
その気持ちのほうが、勝っていましたね。
なので、そんな年末年始のシーズンには、派遣の仕事なども入れて、働いていた私。
今でも、当時のことをたまに思い出します。
「どんな形にせよ、母を1人にさせてしまった」
きっと、そんな後ろめたさを、かき消したかったのかもしれません。
まとめ
血のつながった親子だからといって、一緒に暮らしていくことが難しくなるパターンもあります。
このときから、10年近く経った今でも、いまだにギクシャクしているのが現状です。
「一人暮らし自体は、その気があれば、誰にだってできるのでは」
自分の経験を踏まえて、そう感じます。
自由すぎるほどに、自由です。
だからこそ、自分を大切にしなければなりません。