25歳女性。年子の幼稚園児の母です。妊娠を機に仕事を辞め今は専業主婦。
結婚後はじまった姑の嫁いびりや暴言に悩まされ、それが原因でなんども離婚も考えましたが、なんとか今は可愛い子ども達と主人とそれなりに幸せな生活を送っています。
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姑を無視するに至ったエピソード1.交際中と結婚後の姑の態度の変化
交際中は一切干渉もせず、家に行っても優しく出迎えてくれた姑でしたが、結婚を機に態度が急変。
新居が決まるまでの間、主人の実家でお世話になることになったのですが、そこで数々の言葉の暴力がはじまりましたね。
当時の私の仕事は時間が不規則でお昼ごろに出社し、日付が変わるころに帰宅することが多かったのですが、私のやりたい仕事だったので交際中のときから姑も主人も理解し応援してくれていました。
しかし、ある日主人が仕事に行ったのを見計らい姑がノックもせずに鬼の形相で部屋に入ってきたのです。
私の帰宅時間が遅いことが気に食わなかったらしく「今月中で仕事を辞めろ」「息子より帰宅時間が遅いのはおかしい」「こんな不規則な仕事で子どもをつくる時間があるのか」「息子が一人で寂しい思いをするので仕事を続けるのなら近くに引っ越せ」と言われました。
交際中はあんなに私の仕事を応援してくれていた姑が、仕事を辞めろと言ってきたことがとても悲しく、しばらくの間寝ぼけていたのではないか、夢だったのではないかと信じることができず、出社時間まで泣きながら過ごしたことを今でも覚えています。
姑を無視するに至ったエピソード2.孫が欲しいと言われ続けた日々
姑との同居中姑の姪が妊娠したらしく、以前から孫を欲しがっていた姑はそれをキッカケに今までよりも孫の催促が酷くなりました。
結婚してまだ間もない私たちは子どものことは考えておらず、二人だけの時間を大切にしたかったのですが、「若いうちに出産するべきだ」「子どもは3人は産むべきだ」「不規則な生活で子どもを作れるのか」など、ことあるごとに姑の孫の催促がはじまったのです。
なんども今はまだ二人でいたいと伝えましたが聞き入れてもらえず、孫の催促を受け続け姑のことで夫婦喧嘩にもなり、毎日またいつ孫の催促をされるのか考えるだけで疲れ果てていました。
「早く新居を探して姑から離れたい! 」そればかり考えていましたね。
姑を無視するに至ったエピソード3.姑からの心無い言葉涙の妊娠生活
新居に引越し、姑との同居も終わり、夫婦二人幸せな日々を送っていた矢先、妊娠していることがわかりました。
安定期に入るまでは姑には黙っているつもりでしたが、悪阻が酷く体調を崩したため実家に帰ることになり、姑にも報告。
姑には主人が報告したのですが、その日のうちに家にきて「悪阻で実家に帰るなど甘えだ」「実家に帰るくらいならこっちに帰ってこい」「今すぐ仕事を辞めろ」と責め立てられました。
ただでさえ悪阻でしんどいなか、姑からの言葉攻撃は精神的にも辛く、主人も反論してくれたものの聞き入れない姑に本当に嫌気がさし、嬉しいはずの妊娠を素直に喜べませんでしたね。
結局実家には帰らず、仕事を辞めて家で安静にする日々。
妊娠中は検診日には必ず姑から連絡があり、次の検診日の確認やお腹の子の性別を聞かれ続けました。
「男の子を産め」なんども姑に言われ続け、楽しみのはずの検診の日が怖くなり、性別なんて気にしてなかったはずなのに「女の子だったらどうしよう」そればかり考えるように。
それからというもの[お腹の出方 性別][性別 いつわかる][男の子 悪阻]などインターネットで調べる日々がはじまりました。
インターネットで調べても性別が分かるわけではないと分かっていたのですが、「お腹の出方が男の子かもしれない」「悪阻が酷いと男の子」少しでも自分に当てはまることがあれば、「大丈夫お腹の子は男の子だ」と自分自身に言い聞かせ、安心したかったのです。
そして、ある検診日お腹の子が男の子だとわかり、その途端涙が溢れました。嬉し涙ではなく、自己嫌悪の涙です。
「これで、姑に男の子を産めと言われる日々がなくなる」ホッとしたと同時に、「もしもお腹の子が女の子だったなら私はどう思っただろう。最低な母親だ」そう思うと涙が止まりませんでした。
姑を無視するに至ったエピソード4.姑に奪われた自分らしさ
妊娠中、姑からの言葉により大切なことを見失っていました。今思えば姑からの「洗脳」だったと思います。
「男の子を産め」と散々言われ続け、私自身「男の子を産まなければならない」と思っていましたね。
しかし、本当は私は性別なんてどちらでもよく、元気で産まれてくれればそれでよかったのです。性別が判明してから、私は母親として「最低な母親だった」と気付きました。
「このままでは自分が自分でいられなくなる、笑顔で赤ちゃんを迎えたい」そのためには姑との関係を断つしかないと思ったのです。
頻繁に連絡もなしに家にくる姑。引っ越したばかりだったのですが、姑と距離を置き、自分らしく生活するため、そして産まれてくる子どもを姑に触らせないために姑に内緒で引っ越しを決意。
姑に内緒でこっそりと引っ越してから数日後、姑から電話がありました。電話越しにも怒っていることはすぐにわかりましたが、なにも怖くありませんでしたね。
淡々と「引っ越ししました。場所は教えません。お腹の子はあなたの子どもではありません。私の子です。今のあなたは私にも産まれてくる子どもにも必要ありません」と説明し、すぐに電話を切りました。
主人にも電話があったみたいですが主人も理解していたので同じ対応をしてくれましたね。
産院も変えて住所も変えて、姑との繋がりは主人と姑との電話のみの関係になりました。
姑と会うことがなくなってからは、お腹の子どもに話しかけたり散歩したり、マタニティ生活を笑顔で過ごせるようになり、今まで姑が原因のストレスがどんなに大きかったのか改めて自覚。
姑からの電話や抜き打ちで家にこられることがなくなり、自分らしく毎日を過ごせることがなにより嬉しかったです。
姑を無視するに至ったエピソード5.姑が大切なのは孫と息子
出産が近づくと、主人の携帯に姑からの電話が多くなり、「孫が産まれたら会いたい」「孫を連れて帰ってきて欲しい」たとえ子どもが産まれても会わす気はまったくありませんでした。
姑に言われた言葉の数々は今でも私のなかで生きています。思い出すだけで腹が立つのです。
交際中はとてもいい姑で、いつも優しく迎えてくれて、私のことを気遣ってくれました。しかし、結婚し妊娠してからは私にとって最悪の姑。
「結婚しなければよかった」となんども「離婚」の文字が頭によぎりましたが、やっと解放され、楽しい毎日を送れるようになりました。
姑から私にもたまにメールがきますが、「孫に会わせてくれ」「息子に会いたい」そんな内容で、私を気遣う言葉や、謝罪などは勿論ありません。
これからも一切関わる気もないので連絡がきても無視しています。
まとめ
嫁姑問題は難しい問題だと思いますが、嫁だからといって姑の言いなりになる必要はありません。
やはりおたがいに実の親子以上に気遣いや思いやりがないと、嫁姑問題が解決することは難しいです。
姑は選べませんし、変えられません。なにを一番大切かを考えれば、自ずと答えが出てくるのではないでしょうか。