妻が精神病になって乗り越えてきたエピソード4編

落ち込む女性

33歳男性。施設職員。

 

現在の妻とは、職場内で知り合い、1年の交際ののち結婚。

その後、妻は転職したものの、職場の上司の嫌がらせなどが原因で、適応障害と診断され、休職することになる。

 

抑うつ期間が長く、入院することも勧められていたが、二人で協力して精神病を克服していくことを選びました。

現在は、妻の病気も克服し、回復傾向にある。

 

 

精神病の妻を支えてきたエピソード1.精神病にかかる前

居酒屋

 

妻は入籍して、間もなく転職。

もともとは活発で、思い立って一緒に飲みに出歩くことも、しばしばありました。

このように、妻は毎日楽しく過ごすことをモットーとしている性格だったのです。

 

しかし、転職して2週間ほど経ったころ、これまでの活発な様子とは違い、伏し目がちになるように。

それでも、お酒が好きなのは相変わらずだったので、「新しい職場に慣れていないのだろう」と、あまり心配はしていませんでした。

 

一緒に晩酌していたある日、妻がぽろっと、愚痴をこぼします。

「職場に行くのが、朝も早くて面倒だ」と。

「それならば」ということで、次の日から、朝食は私が用意し、職場まで車で送っていくことに。

 

助手席に座ると、ため息ばかりつく妻。

なので、私は妻が好きなJ-POPを大音量で流し、気持ちを少しでも奮い立たせようとしていました。

 

精神病の妻を支えてきたエピソード2.適応障害と診断されて

診察

 

転職して8ヶ月経ち、妻の様子はどんどん変化し、笑顔でいることがほとんどなくなりました。

そしてある朝、妻が突然、わめき泣きだしたのです。

ただならぬ様子に私自身も不安になり、すぐに精神科医に連れていきました。

 

そこで診断された病名は、「適応障害からくる抑うつ状態」。

「抑うつ状態の期間が長いので、うつ病と診断してもいいくらいだ」と、医者に言われました。

 

すぐに、病気療養をすることに。

しかし、私も仕事を休むわけにはいかなかったので、これまで朝食を用意していたことに加え、昼食も用意。

 

家に妻を残したまま、仕事に行くようにしました。

しかし、それはつまり、妻が一人で、家に閉じこもる状態だということです。

 

妻は「それでもいい」と言っていましたが、用意しておいたご飯にも手をつけません。

それに、薬の副作用なのか、ずっとだるそうに横になる日々が続きました。

 

精神病の妻を支えてきたエピソード3.帰省してからの日々

複雑な姑関係

 

家にいてもほとんど食事をとらず、目に見えて痩せていったので、妻には実家に帰ってもらうことにしました。

実家でも、ずっと部屋で横になっていたのですが、両親の買い物などに付き合わせるなど、外に出す機会をつくっていた私。

 

その甲斐もあってか、これまでよりは、話すことができる状態に。

なので、「このまま実家で過ごしていれば、回復するのでは」と思っていたのです。

 

しかし、もともと妻と母は、あまり仲がいいほうではなく、元気だったころは喧嘩が絶えませんでした。

そのため、今まで実家に帰ることを避けていたのです。

ですが、案の定、療養のために帰省した結果、恐れていたことが起こります。

 

いつも暗い表情で、愚痴しか言わない妻に対するストレスがたまり、母が妻にきつくあたってしまったのです。

当時、その現場にいなかった私。

ですが、電話ごしに泣きじゃくっている妻を案じ、妻を私のほうへ連れ戻すことにしたのです。

 

 

精神病の妻を支えてきたエピソード4.回復に向けて

車中

 

妻が実家を離れ、また二人で暮らすことになった私たち。

そのため、私はまた朝と昼分の食事を用意し、掃除や洗濯などほぼすべての家事を行いました。

 

それでも、妻は相変わらず寝たきりで、私も次第に疲れがたまってしまい……。

思わず、妻に八つ当たりをしたくなってしまいました。

 

「このままでは、おたがい駄目になってしまう」

私まで悪いことばかり考えるようになってしまったのです。

 

私の気持ちまでボロボロになりかけていた、ある日のこと。

BGM代わりに流していたラジオから、二人の思い出の曲が流れたのです。

 

それは、HYの「AM11:00」という曲。

私たちは、この曲を結婚披露宴の入場曲として使っていたのです。

 

この曲を披露宴の入場曲として選んだとき、こんな話をしていました。

「『どこか遠く、誰もいない場所へ、このまま二人を連れ去ってくれたらいいのに』という歌詞がいいよね」と。

 

「本当に、二人きりで、誰も知らない場所で過ごせば、きっと元気になれるのに」

そう思えてきて、涙がこみあげてきましたね。

 

そして、妻が精神病にかかる前の元気な姿を思い出しました。

本当はお酒と旅行が好きな妻は、今では薬を飲んでいるので禁酒しているし、すっかり引きこもっています。

けれど、「そんなふうに家に閉じ込めていたのは、自分のせいだ」ということに気がついたのです。

 

すぐに、私は妻にドライブ旅行を提案しました。

近場ではあるけど、1泊2日の泊りがけの旅行です。

 

車内には、結婚披露宴のときにBGMとして使った、CD-Rを持ち込みます。

思ったとおり、車内では、披露宴の話やこれまでの旅行についてなど、思い出話に花がさきました。

 

懐かしそうに昔の話をする妻は、これまでと違い、優しい表情。

そして、旅先でも妻は笑顔を見せるようになってきたのです。

 

妻は、住んでいる街にいるだけで、辛い職場の日々を思い出し、抜け出せずにいたようで……。

だから、こうして街を離れるだけで、妻の心は軽くなっていったのです。

 

それからというもの、休日のたびに妻を連れ出し、日帰りであっても、さまざまなところへ出かけるように。

妻も次第に笑顔を見せるようになり、その表情を見て改めて、「妻のことを大事にしなければならない」と感じたのでした。

 

そうした二人での生活が半年ほど続き、妻の職場では人事異動が行われることに。

妻の病気のこともあり、妻も異動。

新しい環境に変わったことをきっかけに職場復帰することになりました。

 

幸い、その職場では同僚に恵まれ、少しずつではありますが、以前のような明るさを取り戻してきています。

 

まとめ

精神病の妻を支えることは、病気のことを分かっていても、こちらまで気持ちが擦り減ったり、ストレスがたまったりしてしまいます。

 

「病気前の姿を思い出して、出会ったころの気持ちを取り戻すこと」

そうすることで、妻を大切にサポートすることができるのだと、私は信じているのです。