26歳、女性。今年で、介護職5年目です。
「精神疾患(パニック障害)を完全に治す」、そう意気込んでしまうと、ダメになってしまいます。
なので、のんびり上手く付き合っていくことに決めた、4歳の子どもを育てるシングルマザー。
まだまだ、人生勉強中です。
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20代で生活保護を受給したエピソード1.身寄りのないシングルマザーの生活、無理が重なり病気に
子どもが生後半年のときに、シングルマザーとなり、知識も経験も一切ない、介護業界に飛び込みました。
お給料は、2人で暮らして行くのに、ギリギリといったところ。
身寄りがないので、子どもが熱を出してしまうと、欠勤せざるをえません。
そうなると、収入面にマイナスが発生し、有休がない間は本当に苦しかったです。
仕事もうまく行かないことが多く、夜は子どもの夜中に悩まされ、心身ともにボロボロになりかけていました。
それでも、なんとか踏ん張れたのは、もともとの負けん気の強さがあったからです。
ですが、なにより、「子ども」という存在が大きかったように思えます。
そんなふうに、無我夢中で働き続け、やっと生活が軌道に乗りはじめたころに、転機を迎えるのです。
20代で生活保護を受給したエピソード2.収入がストップ、最大のピンチに
シングルマザーになり、2年目の秋を迎えたころのこと。
仕事中に激しい動悸と発汗、立ちくらみが起き、倒れてしまいました。
その日は、早退させてもらった私。
それまでに、仕事中に動悸がしたりと、思いあたる節もあったので、心療内科へ駆け込みました。
結果、「パニック障害」と診断されます。
「とにかく休息を取らなければならない」と、先生に言われた私。
ですが、休息をとると、収入が途絶えることになります。
なので、すぐに決断を出すには難しかったのですが、「いま休まず、壊れてしまうよりかは……」と、休職の選択をとったのです。
同じ症状が、また仕事中に起きてしまうことも、懸念したうえでした。
そして収入面ですが、傷病手当はもらえるものの、それだけでは足りません。
貯金もそのときはないに等しく、考えに考えた挙句、生活福祉課に足を運ぶことにしたのです。
20代で生活保護を受給したエピソード3.ケースワーカーさんとの出会い
「生活保護を申し込む」ということには、かなり勇気がいりました。
ですが、生きて行くため。
1人ならまだしも、子どもにご飯を食べさせられないなんてことは、なにがなんでも避けなければなりません。
フラフラの足で、子どもを連れて、恥を忍んで、市役所に向かいました。
面談のために、番号札を渡され、待ち続けること30分。
「うちだけじゃないんだ」
そう思わせるほど、福祉課は混み合っていました。
面談の順番がきて、緊張はピークに。
手が震えていたことを今でも覚えています。
役所の方の、家族構成などの質問に、淡々と答えるのが精いっぱいでした。
貯金通帳もすべて持参し、洗いざらい話し終えたそのとき、職員さんからこう言われたのです。
「よく、ここまで頑張られましたね」と。
その際、思わずその場で抑えきれなかった、今まで、我慢に我慢を重ねてきた涙が溢れました。
そこからの手続きとして、ケースワーカーさんに引き継がれ、生活保護需給に関しての話が進んでいきます。
担当のケースワーカーさんは男性でしたが、物腰が柔らかく、この方も同様、高圧的な印象はありませんでした。
認定調査、所在確認として、自宅にきてもらう必要があります。
日取りを調節し、その日は帰宅。
「門前払いされるのでは?」
そのように、心配していたくらいだったので、手厚く説明してくれた2人には、感謝の意しかありませんでしたね。
20代で生活保護を受給したエピソード4.生活保護とは自立支援である
「生活保護受給が確定して、一安心」
そう思いたいところでしたが、このように思っていた私。
「以前のように働いて、生計を立てるところまで戻らなければならない」と。
ですが、ひさしぶりに、四六時中愛する子どもと一緒にいられる日々。
今まで乳児のころから、仕事で日中は離れ離れになっていたので、それは幸せなものでもありました。
とはいえ、通院にしても、市役所に出向き、医療券を発行してもらわなければなりません。
それに、もちろん、貯金もできない状態です。
「そんなことではこの先ダメだ。なんとしてでも、保護解除に向けて、頑張らなくてはならない」
「これは、自立支援として、あてられてる措置なのだから」
そう言い聞かせ、自分を奮い立たせました。
休職して、3ヶ月。
薬の調節もうまくいきはじめ、少しずつ自信が取り戻せたことをきっかけに、週3から復職しました。
「なんとしてでも、自立をしなければ」
その思いで、なんとか毎日を過ごすことができましたね。
毎月の決まった日に、収入報告をするときにも、ケースワーカーさんはとても親切で……。
「無理しすぎないでくださいね」などの、労いの言葉をかけてくれたケースワーカーさん。
そのように、プレッシャーを与えられることがなかったのも救いでした。
仕事を週3から週4、時間をかけて、週5にまで復活したのが、生活保護を受給しはじめて、半年が経ったときのこと。
そこを境にして、それまでは準社員だった会社から、正社員登用の話も出ました。
収入が以前より、かなり安定するうえに、賞与も出るようになります。
「散々迷惑をかけたのに、こんなことがあっていいのだろうか」
当初は、正社員登用の話に戸惑いましたが、市役所にその旨を報告。
だからといって、すぐ保護解除に向けて、話が進むのではありません。
「あと1ヶ月様子を見て、それでも大丈夫なら、そちらで進めていきましょう」
最後まで、丁寧にフォローをしてくれました。
「頑張れなくなっても大丈夫。それくらいの気持ちをあなたは持ってください」
ケースワーカーさんに、そう言われたことを今でもたまに思い出します。
結果、受給7ヶ月で、保護解除となりました。
まとめ
生活保護とは、最後のセーフティーネットでもありますが、自立支援であるということに、本当に救われました。
どうにも立ち行きが行かなくなっても、生きていかなければなりません。
不正受給も多いのが現実ですが、こうして救われた家族もいることを知っていただければと思います。