42歳女性。兼業主婦。
馬面女として生まれ、その時点で、人生の負け組が確定している私。
人生の約80%は、辛いことだらけでした。
それでも「好きだ」と言ってくれる夫と、残り20%の幸せの質の高さを満喫しながら、「これでいいのだ!」と暮らしています。
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馬面女として生きてきたエピソード1.多感な高校生時代、いじめや陰口に苦しめられた
中学のころまでは、どちらかというと、田舎のほうに住んでいました。
なので、道徳教育が行き届いていたからか、見た目のことでいじられたりすることは、あまりなかったです。
また、私の両親は、一人っ子の私を溺愛していました。
そのため、正直高校に入るまでは幸か不幸か、自分が馬面であることをあまり意識したことがなかったのです。
高校受験で少し失敗をして、思っていた公立に入ることができなかった私。
ちょっと柄の悪い子が集まっている、私立高校に入学することに。
そこで、私の不幸ははじまりました。
ある日、別のクラスのヤンキー女が、すれ違いざまに「すっげー馬面!」と、指をさして笑ってきたのです。
はじめて自分に向けられた、「馬面」という言葉。
それまでまったく自覚もしていなかったのですが、自分でも鏡を見るたびに、馬に似ていることを否定できない自分が、悔しくて仕方ありませんでした。
それからはほぼ毎日、そのヤンキー女が、私の馬面をいじってくるようになったのです。
歴史の教科書のナポレオンのページに、どこで手に入れたのか、私の顔写真を貼ったものを廊下に貼られたりしました。
それからというもの、なるべく顔を隠せるように髪を伸ばして、ワンレングスにしていた私。
そのことで、顔にかかる髪が顔を刺激します。
その結果、吹き出物がたくさんできてしまい、見た目の悪さに拍車をかけてしまうように。
「馬面でも、明るく生きて行けばよかった」と思います。
しかし、「隠したい!」という思いが強く働いて、できるだけ目立たないようにしていたので、状況がさらに悪化。
「馬面のうえに、暗くて気持ち悪い女」という印象がついてしまったようで、高校3年間は、ほとんど友だちもできず辛かったです。
馬面女として生きてきたエピソード2.馬面は恋しちゃいけないの? 好きな先輩に傷つけられた
馬面の私は、いじめで辛かった高校時代をなるべく目立たないように、大人しく勉強ばかりして過ごしていました。
そのため、成績だけは結構よく、希望する大学に入学。
でも、どこにでも、性格の悪い人っているもので……。
学食で仲よくなった子とお昼を食べていると、「馬のくせに、草食べなくていいの?」なんて、からかってくる男の子とかはいました。
大学生ともなると、社会性ができている人のほうが、圧倒的に多くなります。
なので、私の周りには、かばってくれる友人も多くいました。
そのことは、唯一の救いでしたね。
高校のときのことがあったので、心ないことを言われても、「なるべく明るく過ごそう」と努めていました。
そんなふうに、自分では「自分の馬面を受け入れて、前向きに生きて行こう」と思って努力。
しかし、それを阻止しようとするかのような、意地悪な人が必ずあらわれるのです。
馬面を指摘してきて、さらに馬面として、前向きに生きようとしていることを全否定してきます。
「傷つくことに慣れる」ということはなく、いろいろな言われ方をするので、本当に傷をえぐられるように辛いんです。
そんななか、すごく優しくしてくれたのが、大学のボランティア活動で出会った、1年先輩のYさんでした。
彼は、私の人生のなかで、はじめて馬面であることをまったく気にせず、近くにいてくれた、唯一の異性。
異性ということをそれほど意識させないくらい、気さくなYさんに、私はどんどん惹かれていきました。
なんでも話しやすかったので、私はYさんに、思い切って馬面のことを相談したのです。
Yさんは本当に優しくて、こう言ってくれました。
「みんなはそうかもしれないけど、俺はそうは思わないし、そんなこと気にしていても、人生楽しくないから、あまり考えないほうがいいよ」と。
そう言ってくれたのが、本当に嬉しくて、ますますYさんに惹かれていった私。
ボランティア活動の打ちあげで隣になったとき、酔ったYさんが、私の肩を抱いてきたのです。
そこで、私もお酒が少し入っていたので、思い切って告白してみました。
そのときは、みんながいたし、うやむやに。
次の日、ボランティアで使っていた研究室に行ったときのこと。
Yさんと数人の男子が固まっていて、私を見るなり、一斉に吹き出しました。
びっくりして、部屋をすぐに飛び出した私。
そのあと、それはひどい言葉で、大騒ぎしているのが聞こえたのです。
「ありえねー! 馬面のくせにー」、「よく言えたよな、あの馬面で」と。
「やめろよー」と、笑って言っていたYさん。
「Yさんがみんなに言わなければ、こんなことにはならなかったんだ」と思うと、すごく傷つき、辛かったです。
馬面女として生きてきたエピソード3.率直にものを言う子どもが恐怖
私が今でも恐怖なのは、子どもに会うことです。
「馬面でも好きだ!」と言ってくれている、今の夫との間には子どもはいません。
私自身、子どもがあまり好きではないのです。
それに、晩婚だったこともあり、おたがい子どもはつくらないことに合意し、結婚しました。
でもふと、最近思うことがあります。
「私の馬面人生のなかで、一番辛かったのは、いつでも率直に見たままのことを口に出して言う、子どもとの接触だった」と。
彼らは人ごみであろうと、こちらの立場も考えず、自分が見て、思ったことをそのまま口に出します。
「お姉ちゃんお馬さんに似てるねー」とか、「ママー、おうまさん!」とか。
あと、ほかに言われて辛かったのは、私の顔を指さして「ヒヒーン! ヒヒーン!」と何度も言われたことです。
これらは、こちらがまったく意識していないときに、ふいに言われることが多々ありました。
なので、びっくりするのと同時に、周囲の注目を集めるので、より傷ついてしまうのです。
また、それをフォローしようとするお母さんも、一緒に吹き出して、笑っていたりします。
こちらも子ども相手に怒ることもできず、ただただ辛いです。
こういう経験から、無意識に子どもを避けるようになりました。
でも、親戚などの集まりでは、避けることはできません。
姪や甥には会うたびに、「馬のおばちゃん」と言われています。
まとめ
馬面女として生きてきて、辛かったことは山のようにあります。
ですが、それゆえに、いいこともいくつかあったのです。
辛いことが山のようにあったからこそ、数少ない良かったことが、とても光り輝いている人生なのだと思います。