51歳、女性。
飲食店で働いています。
20代で結婚し、第一子を設けましたが、その子が身障者一級の認定を受けました。
そのため、毎月の病院通いや本人の入退院などで、若いドクターや看護師さんよりは、医療知識、技術ともに備えていると自負。
今では、第二子の成長を楽しみに人生を満喫中です。
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障害がある子どもを出産したエピソード1.上の子の障害
今からさかのぼること30年前に、第一子が生まれたので、上の子は若くして授かった子どもになります。
なので、その子に障害があるなんてことは、まったく気が付きもしないで、毎日を過ごしていました。
数ヶ月が経ち、保健所の検診に連れて行ったときに、異常が発覚。
その際、「大きな大学病院を紹介するから、そちらで精密検査をするように」と、勧められました。
とはいっても、若さゆえ、あまり深刻に考えることもなかった私。
予約を入れた日時に都内の大学病院を訪れ、一通りの検査と診察を受けたのです。
あとでわかったことですが、担当のお医者様は、その大学病院の小児科の教授にあたる方。
日本国内のみならず、海外の学会にも出席するほど、権威のあるドクターでした。
障害がある子どもを出産したエピソード2.いろいろ勉強
さまざまな検査の結果、「小頭症という病気で、脳波に癲癇があらわれているので、今後痙攣を頻繁に起こすことになる」とのこと。
また、「今は見た目にはわからないが、成長にしたがって、健常者との差が出てくる可能性が大きい」とも言われました。
しばらくして、顕著にあらわれたのは、首が座らないという現象です。
さらに立つことも歩くこともできずに、寝たきりの状態が続きました。
それでも、「身体が硬くならないように」と、リハビリの訓練センターに通った私。
月一で、都内の大学病院での治療に専念していました。
障害がある子どもを出産したエピソード3.18年でバトンタッチ
「10歳までは、生きられないだろう」と、言われていた私の子ども。
その間25回もの入退院を繰り返し、癲癇、肺炎、骨折、胃瘻、気管切開手術など、さまざまなトラブルがありました。
しかし、そんなあらゆるトラブルを乗り越えながら、それでも可愛い我が子と、ともに生きてきた私。
上の子の介護で手一杯でしたので、2人目のことは考えていなかったのです。
しかし、この子が18歳になったころに、奇しくも2人目を妊娠していることがわかりました。
もちろん、「産もう」と決意し、来春の出産を楽しみに。
障害児である上の子に、「いよいよ、お姉ちゃんになるよ」と話していました。
しかし、その年の年末に、上の子は肺炎をこじらせて、亡くなってしまったのです。
人生で、こんな辛いことはありませんでした。
だけど、「お腹の子にバトンタッチしたんだ」と思うと、次への希望を感じることができたのです。
障害がある子どもを出産したエピソード4.なぜ、うちの子ばかり
年末に葬儀を終えて、年が明けた1月の中旬ごろ、産婦人科に受診に行きました。
いつものように、血圧や血液検査、エコー検査などを終えると、診察室に呼ばれます。
しかし、なぜか深妙な感じで、担当の先生から経過のお話が。
その内容は、お腹のなかの2人目の子どもに、脳室拡大が見られるということでした。
一瞬頭のなかがパニック状態になった私。
ですが、いい話ではないということは、直感的に理解できました。
「上の子に続き2人目まで、なぜうちの子ばかりがこんなことになるのだろう」
悔しさで、泣きじゃくりました。
障害がある子どもを出産したエピソード5.落胆しながらも、祈る毎日
詳しく聞いた話をあとで整理すると、頭蓋骨と脳には隙間があるそうで……。
そこの隙間が正常な状態よりも大きく、今後も出産までに、さらに大きくなる可能性が高いとのこと。
当然、脳に障害が出てくるということです。
亡くなった上の子も、お腹にいる2人目の子も、「脳に異常が見られた」ということに、恐怖と落胆の感情を抱いた私。
でも、「産んで育ててあげたい」という気持ちが複雑に入り混じりながら、毎日毎日祈るような日々が続いたのです。
予定日が4月中旬ということもあり、くよくよしている間もなく、最終の受診日に。
そのときに大事をとって、帝王切開で産むことになりました。
障害がある子どもを出産したエピソード6.いよいよ出産
普通でしたら、陣痛が起こってから病院に行き、出産となるのです。
ですが、帝王切開出産の予定日よりも、5日前から入院。
あらゆる検査や複数のドクターとの打ち合わせを行い、当日を迎えました。
ちなみに出産した病院は、上の子が生前毎月通っていた都内の大学病院です。
そのまま、産婦人科受診もお願いしていた私。
そのため、産婦人科と小児科のつながりから、情報が共有されていて、あらゆる面でスムーズにことが進みました。
出産のときなどには、上の子のときから診ていただいていたドクターにも、立ち会っていただけたのです。
障害がある子どもを出産したエピソード7.やっぱり障害が
帝王切開での出産ということで、障害のあることがわかっているときは、普通分娩よりも安全だとのこと。
なので、安心していました。
しかし、予定より30分ほど余分に時間がかかった今回の出産。
より慎重に対処していただいたんだと思います。
すぐに子どもの検査がはじまり、なにかの目印だと思うのですが、おでこの真んなかにサインペンでばってんを書かれました。
最初の写真には、ばってんが付いた状態で、今でも残っています。
もちろん、普通に生まれてきた子と同じくらいに退院できるわけもなく……。
子どもだけ居残りになりました。
障害がある子どもを出産したエピソード8.やっと退院
居残り入院も、2週間が過ぎました。
「いつになったら、家に帰れるのだろう」と不安になりながら、こちらから病院に通う毎日。
すると、いきなり、「明日退院OK」とのことで……。
嬉しいやら慌ただしいやらで、家に戻り、急いで準備して、翌日無事に退院。
久しぶりに、家に帰ってきました。
上の子のときのさまざまな不安を払拭すべく、病院で言われた注意事項を守ります。
それプラス、なんとなく頭をかばうような抱き方をしながら、我が子と自宅で過ごせることの喜びを噛みしめたものです。
障害がある子どもを出産したエピソード9.病院通い
月一回の都内の大学病院での受診が、かかせない状態が続きます。
思えば、上の子が1才のときから、毎月この病院に通っているので、いつになっても縁のきれない病院になってしまいました。
2人目の子も、3才のお誕生日まで、毎月通い続けることに。
しかし、今回は脳外科と小児科と発育検査みたいなものを一日がかりで受けるので、帰ってくるとみんなぐったりです。
それでも上の子のときのような、痙攣や呼吸器系の病気がなかった下の子。
ですので、比較的元気に、毎日を過ごして行きました。
まとめ
2人目も「脳に障害がある」というショッキングなできごとから、10年以上が経過。
今では、元気な中学生の男の子に成長しています。
もしあのとき、上の子の障害の事実を引きずり、2人目の子を産むことを諦めていたら……。
おそらく、今の我が家の幸せを手に入れることはできなかったでしょう。
生きている以上なにがあるかわかりません。
ですが、前に進むことがなによりも大事だと、痛感する今日このごろです。