「万引きしてこい!」パシリだった私のエピソード7編

体調が悪い女子学生

29歳女性。

実家暮らしの、クラウドワーカーです。

 

生粋のいじめられっ子で、中学時代に出会ったいじめっ子には、今でも忘れられないトラウマを植え付けられる。

そんないじめっ子から、もらったあだ名は、「便利屋」。

未成年にして、煙草やお酒の種類に精通した、立派なパシリでもあった。

 

趣味は、(自分がいじめられないための)人間観察。

 

 

パシリだった私のエピソード1.地獄のはじまり。いじめっ子A子の恐怖政治

目立つ女子学生

 

私が入学した中学校は、ごく普通の公立校。

「荒れている生徒が多い不良校だ」という噂もなければ、偏差値も中の中で、進学校ということもありません。

本当にどこにでもあるような、片田舎の中学校なのです。

 

小学校時代に散々いじめを受けた私は、そのころにはすっかり対人恐怖症になっていて……。

中学校の入学式の際中も、周りの生徒を見渡しては、こう祈っていました。

 

「今度こそ、いじめられませんように。平穏無事に過ごせますように」と。

しかし、その祈りは届かず、とんでもないいじめっ子に目をつけられてしまったのです。

 

そのいじめっ子は、私と同じクラスになったA子。

当時中学1年生にしては、ほかのクラスメイトよりも、垢ぬけた印象のある子でした。

 

髪を染めている訳でも、スカートが短い訳でもありません。

不良生徒ではなく、どちらかといえば、優等生なA子。

そんな彼女は、すぐにクラスの人気者に。

 

いつしか「A子の言うことは絶対、A子が気に入らないクラスメイトはイジメていい」

そんな風潮になっていました。

 

私がA子に目をつけられたきっかけは、A子の前の席だったからでしょうね。

入学式から1週間経っても、友だちもおらず、ぼっちで過ごしていたせいで、悪目立ちしていたのかもしれません。

 

A子グループから放課後呼び出され、こう宣言されました。

「ぼっちで過ごしたくないなら、うちのグループに入れてあげる。でもその代り、私らの言うことは絶対だからね」と。

 

私は本当は嫌でしたが、A子のグループには、派手なギャルっぽい子もいます。

なので、怖くて断ることができなかったのです。

 

パシリだった私のエピソード2.パシリの扱いも上手な、優等生A子

自動販売機

 

はじめにやらされたパシリは、「ジュース買ってきて」でした。

漫画なんかでも、よくある光景です、

授業と授業の合間の、小休憩の10分間で、「私たち(A子グループ)に飲み物を買ってこい」というもの。

 

通っていた中学の正門近くには、自販機がありました。

なので、休憩中にこっそり買いに行く生徒も多くいましたが、バレたら生活指導の教師に怒られます。

 

私が「でも、先生に怒られるから」と、A子に言いました。

すると、A子は「大丈夫、私もついていってあげるから」と言うのです。

 

A子グループは、私以外のほかのクラスメイトもいじめていましたが、皆見てみぬフリ。

それは、A子たちがしていたいじめが、そのころはまだ、「本人に聞こえるように、悪口を言う」くらいだったからです。

それに、A子も「自分が優等生である」と自覚しているのか、目立つようないじめはしませんでした。

 

このときも、A子は本当に、正門の前までついてきてくれたのです。

私はA子がついてきている(正門まで、半ば無理やり連れていかれたのですが)ことで、あとに引けなくなってしまい……。

A子グループの飲み物を買いました。

 

合計5本のペットボトル、当時は確か130円だったと思います。

ですが、このとき払った650円は、私のお小遣いからです。

 

A子たちは、当然のようにジュースを受け取り、ニヤニヤ嫌な笑顔を浮かべて、私に「ありがとう」と、お礼を言いました。

お礼を言われたことで、私もそれ以上なにも言えません。

ですが、A子たちも私が言うことを聞けば、仲間に入れてくれます。

 

仲間といっても、休憩時間にA子グループの席の近くに、座らされるだけ。

ときどき「○○(私の苗字)さんってほんとにキモイね、なんとかしたほうがいいよ」など、駄目だしをされることもありますが……。

当時の私は、「それでもいい」と思っていました。

 

A子は成績も良かったのですが、パシリの扱いも上手だったのです。

 

パシリだった私のエピソード3.クラス公認のパシリになってしまった中学時代

中学校の教室

 

A子グループのパシリの内容は、大抵が「○○買ってきて」や「○○貸して」です。

どれも1000円以内の少額ですし、物ももともと持っていたCDなどでした。

買った物のお金や貸した物は返ってきませんが、当時の私は「これくらいで済むならいい」と、思っていたのです。

 

私のクラスには、A子グループの次に厄介な、ちょっと粋がっている不良グループがいました。

すると次第に、その不良グループも、「お金貸して」と、パシるようになってきたのです。

 

とにかく怖かった私。

それに、A子たちにも「えー、貸してあげなよ、○○さん(不良グループ)困ってるじゃん」と責められて、断れません。

1000円貸して、3000円貸して、最終的には2~3万のお金まで貸しました。

 

そうすると、今度は傍観者であった、あまり目立たないグループのクラスメイトたちまで、こう言ってくるように。

「ノート、代わりにとっておいてくれない?」、「自転車貸して、明日返すから」と。

 

私はいつの間にか、クラス公認のパシリになってしまったのです。

 

 

パシリだった私のエピソード4.中学卒業。しかし、パシリは続くよどこまでも

ショックを受ける女子高生

 

A子は表面上は優等生ですから、教師たちは、私がクラス全体にパシられているとは知りません。

A子たちとは、中学2年にあがったときに、いったんクラスが分かれました。

ですが、それでも休憩時間になるたびに、「コンビニ行って、アイス買ってきて」など、私をパシるのです。

 

3年にあがって、再びA子たちと同じクラスになると、毎日パシられる日々がまたはじまりました。

中学を卒業するまで我慢して、卒業式に「これでやっと、パシリから解放される」と喜んだのです。

 

A子グループには、頭のいい子が揃っていたので、皆進学校へと進みました。

1人別の高校へ入学した私。

ですが、A子グループの人が行っていた高校と私の通う高校が近いことから、すぐに高校がバレてしまい……。

 

入学式から数日後に待ち伏せされて、携帯のアドレスと番号を無理やり交換。

また、パシリの日々がはじまったのです。

 

「どこへ行っても逃げられない」、そんな恐怖が押し寄せてきました。

 

パシリだった私のエピソード5.段々ひどくなるパシリの内容に、精神不安定に

恐る恐る電話をかける女性

 

高校生になったA子は中学時代とは変わり、ちょっとギャルっぽくなっていました。

そのせいか、進学校に通いつつ、はじめたバイト先で知り合ったらしい人たちと一緒になって、私を呼び出しては、パシらせる遊びをしていたのです。

 

たとえば、夜中の1時にコンビニ前に呼び出されて、「マルボロ買ってきてよ」などと言われます。

その当時は、タスポがなくても、自販機で煙草が買えた時代です。

なので、私服でマスクをつけて、自販機ですぐ買って渡していました。

 

「ちょっと30,000円持って○○駅(私の家の最寄り駅から片道1時間)まできて。今すぐ」

土曜の朝に、電話でいきなり、お金を要求されたり。

 

「暇だから、出会い系で誰かおっさん呼び出して」

無理やり、出会い系サイトで男性と出会うことを強いられたりしました。

 

お金に困っている訳でもないのに、こういったことを言ったりする原因はなんなのか、自分でも分かっていた私。

A子は、惨めに困っている私の姿を見るのが、楽しかったのでしょう。

 

段々とひどくなっていくパシリの内容に、私の精神は限界を迎えようとしていました。

 

パシリだった私のエピソード6.高校卒業。まだまだ続くA子の支配

カラオケ

 

高校のクラス内でも、別の人からいじめられ、一息つけるのは、高校から帰宅したときだけ。

しかし、休みの日には、A子たちから呼び出されて、パシらされるハメに。

本当に辛かったですね。

 

「○万貸して」、「煙草と酒買ってきて」、「出会い系で呼び出したおっさんから、上手くお小遣いもらってきて」。

当時は、大体こんなことを言われていました。

 

「万引きしてこい」、「(A子の)高校にうざい奴いるから、そいつの恥ずかしい写真撮ってこいよ」。

そんなものもありましたね。

 

これらの要求に、「嫌だ」と言えば、カラオケに連れていかれます。

そこでは、A子やA子の友人たちのギャルっぽい子、不良っぽい男子生徒、A子の彼氏の強面大学生たちがいて……。

「お前はクズだ」、「使えない」など言われたり、あざができない程度に、ビンタされるのです。

 

そのカラオケのお金も、私持ち。

「本当に、なにをしているんだろうか」と思いました。

 

高校卒業後は「地方の大学に進学する」と言っていたA子。

なので、「さすがにA子も、私に構っていられないだろう」と思っていました。

 

しかし、A子がいなくなっても、A子の友人たちは地元にいます。

A子は、A子の友人たちに私をパシらせて、私が泣いていたり弱っている姿の写メを撮らせ、喜んでいるようでした。

 

「もうこのまま、一生パシられるのか」、そう思っていたのです。

ですが、思わぬきっかけで、パシりの日々に終止符が打たれます。

 

パシリだった私のエピソード7.まさかの事態。思わぬきっかけで、A子から逃れる

考え事をしている女性

 

私が19歳になり、高校を卒業して1年経ったころのこと。

A子ができちゃった結婚しました。

 

A子の友だちからパシらされたときに、話しているのを聞いたのです。

「そういえば、A子でき婚したよね」、「もう大学辞めるらしいよ」と。

 

そのときはただ、「ふーん、そうなんだ」くらいの感想しかありませんでした。

なぜなら、ここまで続いたパシリ生活が、こんなことで終わるとは、思わなかったからです。

 

しかし、私の予想と反して、A子は妊娠・出産に忙しいらしく、私に構わなくなりました。

「私の友だちの言うことちゃんと聞いてる? 無視したら、今以上にひどいことになるからね」

今まで、A子と離れていても、毎日のようにきていた脅しのメールや電話も、ぱったり止んだのです。

 

A子にかわって、私をパシっていたA子の友人たちも、就職などで忙しいのか、私を呼び出さなくなりました。

このタイミングで、私は携帯のアドレスと番号を変更。

 

「怒ったA子やその友人たちから、なにか言われる」

変えた当初はそう思って、身構えていましたが、なにもありませんでした。

 

まさか、こんな形で、あっさりパシリ生活が終るとは、自分でも驚きましたね。

 

まとめ

人を平気でパシる人は、それを悪い行為だと思っていません。

最初はちょっとした罪悪感があるかもしれませんが、徐々に麻痺していくのでしょう。

 

もしも、パシりになりたくないなら、最初の要求をされた時点で断ってください。

「自分の言いなりにならない相手」と思わせないと、いつまでもパシらされ続けることになるのです。