47歳女性。結婚22年目の主婦です。アパレルメーカー勤務後社内恋愛で結婚。現在高校2年になる娘と3人家族です。趣味は一人で楽しめる読書。図書館は自分の家より落ち着ける空間です。人生の楽しさを本から学んでいます。
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孤独で辛いと感じることその1.保護者会で気軽に話せるママ友がいないこと
子どもの保護者会などで学校に行ったときに、いわゆるママ友と呼べる人がいないときに、とてもさびしさを感じます。
保護者会の全大会では体育館に集まった母親たちが、友だち同士で子どもの話で盛り上がっています。
そんななか、ぽつんと一人で黙って椅子に座って会がはじまるのを待つのはつらいもの。
なので孤独を感じなくていいように、自然と保護者会にははじまるギリギリの時間に行くようになりました。
子どもの年齢は一緒でも母親の年齢はかなり幅があります。
私は一人っ子である長女を30歳のときに産みました。
保護者会などで学校に行くと、同年代の母親もいますが、割と自分より若い母親が多くてその輪のなかに入っていけません。
保護者会が終わると、しばらく仲の良いママ友たちがグループでお話ししているのですが、ママ友がいない私はすぐにそそくさと保護者会から帰ります。
一人で学校の廊下を歩いて帰るときは、なんとも言えない寂しさを感じてしまい、切なくなります。
それと同時に自分の娘がきちんとクラスになじめているのかも心配です。
母親の私と同じように気の合う友だちがクラスにいなくて、切ない思いをしていないか?学校で楽しくすごせているのかな?など思考が負のスパイラルにおちいってしまいます。
学校に友だちがいないということは母親にとっても子どもにとっても辛いことです。
孤独で辛いと感じることその2.ただでさえ少ない年賀状の枚数が年々減っていること
子どものころは、年賀状が届くのはお正月の楽しみの一つでした。
しかし主婦になると、自分に届く年賀状の枚数をみて毎年のように寂しくなります。
これは年末に自分が年賀状を出す枚数からして少ないので分かっていることではあります。
それでも分かってはいるけれど、自分宛の年賀状が30枚、あまりにも少なくて本当に年明け早々寂しくなります。
結婚する前から年賀状は少ない方でした。
友だちが少なかったですからね。
そして主婦になってからは年賀状を出すような間柄の友だちはそうそう増えません。
パート仲間とかママ友も、年賀状を出す感じではないので、主婦の私には年賀状が増える要因がありません。
最近ではメールで新年の挨拶を済ませてしまうこともあります。
そして年賀状だけの付き合いだし、そろそろこの人には出さなくてもいいかな、と思って切ってしまった友だちがいたりして、年賀状は減る一方です。
それに対して子どもは同じように年をとっているのに、小中高と成長していくたびに、友だちが増えるという、うらやましい環境のなかにいます。
年末年始にお友だちに住所を聞いて、たくさんの友だちに年賀状を出しています。
元旦に届く年賀状を旦那、私、娘に仕分けするのですが娘は50枚と圧倒的にもらう年賀状の枚数が多いです。
自分は年賀状をくれる友だちも少ないのだと感じて辛いというより切なくなります。
孤独で辛いと感じることその3.コンサートに一緒に行こうと誘える友だちがいない
友だちが少ないのは昔からなので、ずっと音楽は大好きでした。
寂しくても歌を聴いて、歌詞に励まされてすごしていましたね。
そういう感じで大好きになった歌手や海外のアーティストが来日してコンサートをやるとなったときに、「一緒に行こうよ」と誘える女友だちがいないのが辛いです。
音楽の趣味も人それぞれなので、誰でも誘えるわけではないので、当たり前といえば当たり前かもしれません。
でも私の知り合いの主婦の方は、しょっちゅう福山雅治さんや嵐のコンサートに友だちと行っています。
たとえば、そんなに好きでなくても誘われたらコンサート行ってみたい、と思えるようなアーティストっていますよね。
ドリカムとかサザンとかそれこそジャニーズもそうです。
そういったメジャーなアーティストのコンサートでも声をかけて誘える友だちがいないのです。
仕方がないので一人で行ったコンサートもありました。
「世界に一つだけの花」の槇原敬之さんのコンサートです。
もちろんコンサートでは大感動でした。
しかしその場で感動を共有できる相手がいないっていうのは、やはり辛かったですね。
孤独で辛いと感じることその4.高校の同窓会はいつも欠席
友だちが少ないのは、なにも主婦になってからの話ではありません。
親友をつくるのが苦手だったり、人との距離感をどう保ったら良いかが分からないのは、学生のころからのことでした。
私の卒業した高校では、ここ10年ほど前から学年の同窓会を仕切ってくれる、まめな人が現れて、オリンピックイヤーに同窓会をするようになりました。
4年に一度高校の同窓会の案内が来るのですが、いまだに出席したことがありません。
高校の友だちとはお互いに主婦になっても、年賀状などで連絡を取り合っています。
しかしみんなそれぞれほかのグループの友だちと一緒に同窓会に出席しています。
友だちがいない寂しさというのは2種類あると思います。
一人でいるという孤独を、自分自身が辛いと思うこと。
もう一つは孤独な自分の姿をまわりの人に見られている辛さです。
誘い合う友だちがいない私は、同窓会の会場で一人、ぽつんとたたずむ自分の姿を想像してしまい、どうしても出席する勇気が出せないのです。
高校がある地元と、結婚して今住んでいる場所はそれほど離れていません。
同窓会に出席するのに可能な距離です。
槇原敬之さんの歌の「遠く遠く」にあるように、地元が遠くて同窓会に出席できないとかではないのです。
それなのに同窓会の案内状、欠席にまるをつける自分が悲しいですね。
現在主婦になっても友だちがいない、昔の学生のころにも友だちがいないと、寂しさがダブルになって襲ってくるので、オリンピックイヤーは私にとっては辛い年でもあります。
孤独で辛いと感じることその5.娘とも子離れしなくてはならない
子どもが小さいうちは子育ての忙しさにまぎれてしまって、自分に友だちがいない寂しさは感じませんでした。
休みの日には子だもと一緒に遊びに行っていれば、楽しかったですからね。
それが子どもの成長とともに、子離れしていって、休みの日も別々の行動をとるようになりました。
娘の方は友だちと一緒に、いろいろなところに遊びに行っています。
私の方は旦那と一緒にどこか行くくらいなら一人ですごした方が、ストレスもなく気楽なので、一人ですごすことが多いです。
笑点やサザエさんを一人で見ていると、違った意味で日曜日の夕方にブルーになってしまいますね。
まとめ
人は友だちが多くても少くても、人生のなかで一人ですごす時間が結構たくさんあると思います。
「人生を楽しくすごせるかどうか」というのは「ひとりの時間を楽しくすごせるかどうか」だと思うのです。
友だちが少ない私ですが、一人の時間を凛として楽しくすごせています。
友だちが少ないことは悪いことだけではないと思います。