私は、今年で40歳になる専業主婦です。
17歳のときに妊娠し、周りから「子どもが子どもを産んで」と、陰口叩かれたりしながら、「立派に育ててみせる」と心に誓います。
しかし、そんななか、摂食障がいを患ってしまい、それでもお腹にいる子どもとともに生きてくのですが、結果的に早産。
子どもは元気に巣立ち、現在、摂食障がいを乗り越えている途中です。
見出し
病気を患いつつ、出産したエピソード1.できちゃった婚からの不安
私が「摂食障がい」だと診断されたのが、18歳の妊娠後すぐでした。
摂食障がいにもいろいろありますが、私の場合、拒食症から過食嘔吐への移行したタイプ。
妊娠して、結婚して、いわゆる「できちゃった婚」ですね。
親もとを離れて、当時の旦那と2人で暮らしはじめた私たち。
しかし、1人っきりの時間が多く、寂しかったからなのか、お酒を飲むと人が変わったように暴れ出す、旦那への恐怖が募っていきました。
また、ストレスのせいなのか、段々「食べる」という行為が苦痛に。
1週間の間で、バームクーヘンを1個食べるのが精一杯でした。
病気を患いつつ、出産したエピソード2.実家に帰ってからの生活
そうしていくうちに、もちろん体重も、お腹の子が大きくなるにつれ、私の体重は1kgずつ、落ちだしました。
そんな状態を気にも止めず、お酒を飲んでいる旦那。
何度も親に電話をして、「家に帰りたい」と言っても、「ダメだ。我慢しなさい」と言われたのです。
ですが、親がうちにきたときに、どんどん痩せていく私を見るにみかねて、実家に連れて帰ってくれました。
精神科にも通い、お腹の子どもに影響の出ない安定剤など出してくれましたが、産婦人科の先生からこう言われます。
「つわりでしょう。吐いてでもいいから、食べてください」と。
そこから1日10,000円分の食料を好きなだけ買って、家で食べては吐き、また食べては吐きを繰り返す日々。
「きっと、つわりだろう」と、私もそう思っていました。
毎週、栄養剤の入った点滴をしに行った私。
見た目も妊娠してるお腹には見えず、当時マタニティーマークなどなかったので、席も譲ってはもらえなかったです。
産婦人科の先生に性別を聞いても、「母子ともに、命のほうが大切だから」と、教えてはくれませんでした。
でも、なんとなく、私は男の子のような気がしていたのです。
病気を患いつつ、出産したエピソード3.切迫早産
ある日の朝、私は2階で寝ていたので、1階におりようとしました。
すると、丁度お腹の子どもが8ヶ月のころだったため、貧血で、階段から落ちてしまったのです。
母がすぐ駆けつけてくれました。
怪我はなかったのですが、念のために病院へ行くと、前駆陣痛(はじめの陣痛の段階)がはじまっていたのです。
先生は「まだ、成長しきっていないから、産むのは早すぎる」と、陣痛を抑える点滴をしたり、陣痛を抑える薬を出してくれました。
その副作用で、心臓がばくばくしたり、のたうち回るほど、しんどかったのを覚えています。
「なんで、こんなにひんどい思いをしなきゃいけないの? 普通に産んでる人たくさんいるのに」
そう思うと、「逃げられない」という苦しみと一人ぼっちという孤独感に襲われ、泣きわめいてしまったときも。
そんなとき、お腹の子どもが動くんです。
「私にはこの子がいるし、血のつながった家族もいる」
そう思いなおして、辛い日々を過ごしていったのです。
そのころ、「バージンロード」というドラマが放送されていました。
主人公がシングルマザーとして生きていく話で、自分とかぶせてみたりして、バージンロードを見るのが、唯一の楽しみでしたね。
病気を患いつつ、出産したエピソード4.陣痛のはじまり
その陣痛を抑える薬を1ヶ月ほど、飲み続け、それでも陣痛がおさまらなくなり、病院に電話をしたら、こう言われました。
「陣痛が、30分間隔になったらきてください」と。
そのため、一晩中寝ずに、陣痛が30分間隔になるまで、時計とにらめっこ状態。
朝方に陣痛が30分間隔になり、病院に電話をすると、「きてください」とようやく受け入れをしてくれることに。
病院へ行くと、まず診察をし、産道が開いて少し出てきてるとのことで、急遽、陣痛をおこす点滴をし、分娩台へ運ばれました。
そのときの私の体重は、35kgだったのです。
病気を患いつつ、出産したエピソード5.出産
先生は「母子ともに危険なので、そのときは母体を優先にします」と、家族に伝えていたらしく……。
いざ、分娩台で力もうとしても、そんな力もなく、意識までもなくなっていきました。
助産師さんにほっぺたを叩かれ、しまいにはお腹の上に乗ってきて、押したりしてくれていましたね。
でも、赤ちゃんがなかなか出てこず、最終的に吸引分娩に変更。
そして、およそ8時間かけて、ようやく産声が聞こえてきました。
助産師さんに「〇〇さん、元気な男の子ですよ」と見せてもらい、自分の子どもを見て、涙を流す私。
「ありがとうございます」と何度も言いながら、意識を失ってしまいました。
赤ちゃんの体重は2045gで、保育器に入らないといけませんでしたが、五体満足で、産まれてきてくれた我が子。
あとから家族に聞くと、何度も厳しい顔をして、分娩室から出たり入ったりする先生を見て、半分諦めていたそうです。
病気を患いつつ、出産したエピソード6.摂食障がい
私は無事に退院し、子どもは体重が3000gになるまで、入院でした。
「子どもも産まれたし、つわりもないだろう」と思ってたのですが、吐くことが治らなかった私。
精神科の先生に、内分泌の先生を紹介してされ、内分泌の先生に診てもらうと、驚きの診断結果が。
「あなたは摂食障がいです。その若さでは子育ては無理です。里子に出したほうがいい」と言われたのです。
でも、私は命がけで産んだ子を手離したくなかったので、「頑張って、育ててみせます」と言い切りました。
まとめ
まだまだ続く、摂食障がい。
旦那とは離婚をし、シングルマザーで家族に手助けをしてもらいながらも、病気と闘いながら、17年かけていろんな治療をしました。
今でも吐いてしまうときもありますが、かなりよくなっています。
病気と闘いながらの出産は一生忘れられないですが、五体満足に産まれてくれた息子には感謝しているのです。