私は欠陥人間です。欠陥人間だと感じたエピソード4つ

苦手な女性

32歳、女性、結婚後は専業主婦。
幼いころから生きにくさを感じていたが、それが自分の容姿と性格のせいだと気付いたのは大人になってから。
よく結婚できたなとは自分でも感じている。
趣味は読書。家族以外とはできる限り関わりたくない今日この頃。

 

 

欠陥人間と感じるエピソード1.他人と円滑にコミュニケーションがとれない

会社の会社員たち

 

私には親友と言える人がいません。

ただの友だちならいますが、今も付き合いがあるのは、学生時代からの仲間たちと、趣味関係で知り合ったネット上でしかやりとりのない人だけです。

というのは、私は他人とのコミュニケーションが苦手で、自分をさらけ出しながら人と接することができないからだと思っています。

 

私は小さいころから、暇さえあれば本ばかり読んでいました。

昼休みに図書室で借りた本を放課後に返却し、さらに家で読む分を借りていたくらい。

学校にいる間もずっと読書をしていたんです。

 

それは単に本が好きで、本の世界に没頭するのが楽しかった、という理由からの行動でした。

しかし、それで結局は、同年代の友だちと交流する機会を失っていたのだと思います。

 

中学生くらいからじょじょに、他人とどう喋って良いのかわからなくなり、自分のふるまい方に自信がなくなっていきました。

学校の入学式のような、ほとんどの人がおたがいに初対面という場所であっても、まわりの人とコミュニケーションをとれなくなってしまったんです。

 

そうしていつの間にか、まわりは私を除いたみんなで仲良くなっていました。

私はこれまで一度も、学校の同窓会に呼ばれたことがありません。

もし大学時代に夫と出会っていなければ、私は今もきっと、一人でまわりの目におびえながら、生活していたのだろうと思います。

 

欠陥人間と感じるエピソードエピソード2.仕事が続かない

仕事

 

バイトも含めると私はこれまでに6回、仕事を辞めています。

これは自分でもまったく理由がわからないのですが、働きはじめて、しばらくすると、どうしてもその仕事が嫌になってきてしまうんです。

 

上記のようにコミュニケーションが苦手なこともあって、バイト等の募集先に電話をしたり、面接を受けたりするのは本当に緊張します。

だけど、そこと最初の出勤さえクリアすれば、あとは楽しく仕事に通うことができるんです。

 

それなのに、早いときで3か月もすると「仕事に行きたくない。早く辞めたい」と強く考えるようになってしまいます。

仕事の内容にも、人間関係にも一切問題がないのにもかかわらず、です。

 

ひどいときは、辞めることになっていた一週間前に、どうしても出勤するのが嫌になり、そのまま連絡もせず仕事へ行かなかったこともあります。

幸い子どもが生まれてからは、家にいさせてもらっています。

 

また外へ働きに出る日がくるかと思うと、今から不安を感じてしまいます。

またすぐに仕事を変えることになってしまったら、今度は家族にも迷惑をかけてしまうかもしれないのですから。

 

 

欠陥人間と感じるエピソード3.他人を言い負かさないと気が済まない

理解してもらえない

 

他人とのコミュニケーションは苦手ですが、昔からディベートの授業だけは得意でした。

他人の論点の矛盾を突き、自分の意見を言葉数の多さと、勢いだけの力技で押し通すというやり方で、議論を有利に進めるのが好きだったんです。

 

それは社会に出てからも変わらず、人と言い争いになると、どうしても自分が勝たないと気が済まなくなってしまいました。

言葉を尽くしても、自分の意見が通らないと、ものすごく腹が立ちました。

相手の意見がどうしても、くだらないものにしか思えませんでした。

 

話し合ううちに、相手の方が正しいということが理解できても、どうしても自分から折れることができなかったんです。

できるだけ自分の意見に固執しないように注意してはいるのですが、夫と喧嘩をしたときには、よくこの部分が出てきてしまいます。

さらに喧嘩を長引かせることになります。

 

夫から「ごめん」の言葉を引き出すと、どうしても嬉しくなってしまうんです。

自分から謝れば、すぐに喧嘩は終わると思っていても、どうしてもそれができない私は、本当に欠陥人間だと感じます。

 

欠陥人間と感じるエピソード4.致命的なほどに運動が苦手

落ち込む女性

 

学生時代の勉強は、普通の人よりはできる方でした。

だけど、それと反比例するように、まったくできなかったのが運動なんです。

体育の成績は、得意な種目を扱っていた時期でも、5段階評価でせいぜい3。

 

一番得意な水泳でさえ、飛び込みをすればかならず鼻血を出していましたし、マット運動では逆立ちすらまともにできません。

球技をやれば頭や顔面にぶつけて、また鼻血を出し、大縄跳びをやればかならず縄を踏んで止める役。

運動を楽しいと思ったことは一度もありません。

 

中学時代は体育教師が担任だったこともあり、運動ができないことを毎日のようになじられていて、毎日学校が憂鬱でたまりませんでした。

今もフットサルが趣味の夫のことが、不思議な生き物に見えるくらいです。

 

運動ができないからといって、社会生活にはさほど不自由はありませんでした。

しかし、これが子どもにまで遺伝していたらと思うと不安で、自分を責めたいような気持ちになってしまいます。

 

まとめ

人間なにかしらの欠陥は抱えているもので、自分を欠陥人間だと考えている私でも、なんとか今まで生きてくることができました。

だけどやっぱり、自分の欠陥について考えると、気分は落ち込んできてしまいますね。

自覚があるだけマシだと信じて、なんとか毎日がんばってみるしかないな、と思っています。