耐えられない!田舎は排他的だと実感したエピソード3つ

田舎町

37歳女性。

現在は所有している薬剤師資格を活用し、ドラッグストアでの調剤担当として勤務。

 

22歳のときに当時の同級生と結婚し、翌年には子どもを出産しながらも、元主人との間の生活の不一致などから、26歳のときにはじめての離婚を経験。

以後、仕事と家庭を両立しながら、男の子を育てるシングルマザーとして活動中。

 

 

田舎は排他的だと実感したエピソード1.どれだけ打ち解けても、よそ者には常に壁をつくる気質

ウォーキングをするシニア世代

 

自然豊かな田舎暮らしに憧れる方が多いです。

実際に私の周りの友人のなかにも、「将来は田舎で生活したい!」という方が少なくありません。

 

けれど、そんな想いを持つ友人に対して、実際に田舎暮らしの経験がある私は、絶対におすすめしません。

その理由の1つに掲げているのが、田舎特有の監視社会の存在なんです。

 

田舎の人たちは、自分たちのコミュニティ以外から入ってくる、よそ者に対して、とにかく冷たいのが特徴。

田舎に住む人ほど、端から打ち解けようとしません。

そんな排他的な考え方を持つ人が多いのです。

 

実際のところは、自分たちのテリトリーに新しく入ってくる新参者に対して、常に監視します。

それは、ある程度打ち解けるまでの間、ずっと続くのです。

 

実際、私も結婚生活を送るなかで、どうしても田舎での生活に迫られたことがありました。

移り住んだ田舎のご近所の方と、ある程度ふれ合えるようになるまでは本当に大変でしたね。

常に周りから、視線を感じるような意識を持たされることが多々あったのです。

 

それに、自分たちがあらかじめ決めたルールに対して、少しでも従わなかったりすると、態度を急変。

途端に徒党を組んで、文句を言いにこられたときには、さすがに田舎の怖さを感じてしまいましたね。

 

それでも、生活をしなくてはいけません。

なので、「ちょっと理不尽な内容だな」とは思いつつも、その地区でのルールをしっかりと守って生活。

 

にもかかわらず、ちょっとでもその地域以外のことを話題に挙げてしまうと、話をすぐに否定。

そのうえ、途端に現地に住み続けている人から嫌味たらしく、こう言われるのです。

 

「そんなに都会がいいなら、帰ればいいのに」と。

また、ことあるごとに「これだから都会の人間は……」、なんて言い方をされます。

 

とにかく、自分たちの地域で生まれ育った人以外には、本当に冷たいのです。

まるで、どれだけ打ち解けても、絶対に見えない壁を、1枚以上隔てた感じで接してきます。

そんな田舎特有の考え方に、強い閉鎖性を感じてしまいましたね。

 

田舎は排他的だと実感したエピソード2.決して、よそ者には参加させない祭りなどのイベント

悪口を言うシニア女性

 

たとえば、都会に住んでいて地元の自治会にちゃんと入っていたりすると、いろいろなメリットがありますよね。

そのうちの一つが、その地域でのイベントごとがあったりするたびに、声をかけてもらえること。

けれど、こういう都会では当たり前な行為も、閉鎖性の強い田舎だと、一気に変化を見せてくるんです。

 

なかでも、実際に田舎に住んでいて排他性を実感したのが、その地域で実施されている、お祭りに関するできごと。

毎年、特定の時期になると、その地域の五穀豊穣を祈るためのお祭りが開催されます。

しかし、はじめてその地域に移り住んだ私たち夫婦にとってみれば、そんなお祭りが開催されるとはつゆ知らず。

 

当たり前ですが、そのお祭りあくまでも、地元だけで実施しているものなのです。

都会の祭りのように、あらかじめポスターや広告が、張り出されているわけでもないので、知らなくて当然。

 

けれど、当然ながらその地域にずっと住んでいる方にとっては、毎年開催する当たり前のイベントになります。

なので、もちろんお祭りに向けて、事前に協議したり準備をしたり、場合によっては準備後に、飲み会や寄り合いをしてるんです。

 

ですが、外の環境から田舎に移り住んできた私たちは、彼らから見て、あくまでも「よそ者」。

ですので、お祭りが開催されること自体はもちろん、その準備や寄り合いにも、一切声かけしてもらえません。

 

そのまま時間も経過し、実際にお祭りが開催される当日になってはじめて、祭りの存在を知った私。

そこで、私も参加しようとしたところ、いつもは野菜を分けてくれたりするご近所の方が、近づいてきてこう言ったのです。

「おたくは、お祭りの準備に一切参加してなかったでしょ? だから、残念だけど参加できないわよ」と。

 

そう言われた私は、準備に参加できなかったことは謝罪。

そのうえ、お祭りがあること自体が知らなかったことや、声かけしてもらえれば、お祭りの準備に率先して参加した事を伝えました。

 

すると、その方から意外な発言が飛び出したのです。

「よそからきた人に、うちらの大事なお祭りへたずさわらせること自体、絶対に無理だから、誘わなかった」と。

 

要するに、祭りの参加者は、その地域で生まれ育った人、あるいはその地域の人が認めた人物限定。

どれだけ努力しても、「よそ者は、自分たちのコミュニティやイベントには参加させない」と言うのです。

 

こう言われたときには、私のなかで怒りを通り越した悲しさが、うずまいてしまいましたね。

排他的というか、よそ者を決して、自分たちの輪のなかに組み入れようとしない頑なさに、辟易したくらいです。

 

 

田舎は排他的だと実感したエピソード3.よそ者と仲間に対する常識や行動の矛盾

路上駐車

 

田舎の人って、いい意味でも悪い意味でも、とにかく自分たちの仲間を大事にする傾向が、とくに強い集団ですよね。

実際に田舎という地域に住んでみると、それが痛いほどよく分かります。

 

とにかく、よそからきた人間に対する考え方や常識と、自分たちの仲間に対する考え方や常識に大きな矛盾だらけ。

そのうえ、それをさも当然のように考えているところがあるんです。

 

私が田舎に住みはじめてすぐのころ。

引越祝いを兼ねて、都会から友人が車できてくれたことがありました。

 

そのとき、友人は車を私の家の前の私道に、路上駐車していたんです。

それから30分ほど経ったころ、怒り心頭な表情で怒鳴り込んできたのは、ご近所に住んでいるおばさん。

「車が邪魔」、「路駐とか常識がない」など、とにかく文句を言ってきました。

 

実際、私道なので「路駐自体は問題ない」と思いつつも、邪魔な可能性は否定できなかった私。

なので、平身低頭で謝り、その場は許してもらえました。

 

ところが、それから数週間後でしょうか。

今度は、私の自宅の対面辺りに住んでいる地元の方の家の前に、大きな車が2台ほど路駐していたんです。

 

それを見た私は、「ああ、またあのおばさんが怒鳴り込むのかも?」と、少し同情的な思いで見ていました。

すると、タイミングよく、例の文句をいってきたおばさんが、買い物から帰ってきたんです。

 

その方に、激しく文句を言われた経験がある私。

なので、そのおばさんへ挨拶がてら、「あそこの家も2台路駐してますよ?」と、さりげなく伝えたのです。

 

そしたら、なんとおばさんはこう言いました。

「ああ、あそこの家はいいのよ」と。

 

思わず「え? なんで?」と私は思ったんですが、それを知ってか知らずか、おばさんはさらにこう続けるんです。

「あそこの家の人は、ずっとここに住んでる地元の方だからいいのよ」と。

 

これを言われた瞬間、私のなかで「ああ、やっぱり田舎だな」という、諦めの気持ちでいっぱいになりましたね。

仲間内であれば許せることも、「あくまでも、うちはよそからきたよそ者なので、許せない」という考え方に基づいた行動。

 

結局、こんな感じで「よそ者」というレッテルは、最後までぬぐい去ることはできません。

それが理由に、田舎特有の排他的な仕打ちを繰り返し受けたことは、言うまでもないことです。

 

まとめ

都会は、無関心とよく言われます。

しかし実際のところ、田舎は逆におたがいに対する関心の強さやつながりが強すぎて、住みづらい環境です。

実際に住んだ経験のある者として、そう言わざるを得ません。

 

もちろん、すべての田舎がそうというワケではありません。

ですが、これが改善されない限り、田舎には二度と住みたくないですね。