32歳男性。
母と祖母の介護をしながら、農業に明け暮れる日々。
東京の某有名私立大を卒業したはいいものの、アルハラによって嫌気がさし、ド田舎である故郷にもどってきても、居心地の悪いぼっちホモ。
雨が降ろうと、雪が降ろうと、農作業はあり、介護も家事も待ってくれない生活。
見出し
ド田舎のぼっちホモで辛かったこと1.ド田舎は悠々自適の生活をさせてくれない
「風光明媚で、田舎で農業するなんて、都会であくせく働くよりも、人間らしい暮らしのほうがいい」と、思われる方もいるかもしれません。
今でも根強く、シルバー世代が地方に移住して、農業に携わるなんてはなんて話はよくありますからね。
しかし、現実はそんなドラマやアニメのように、牧歌的な暮らしをさせてくれません。
コミュニケーション能力と、ある程度の社会的地位がないと、不審者扱いです。
都市部のような気楽で、希薄な人間関係なんて存在しません。
町内会をはじめとした地域コミュニティに所属することは、もちろんのこと。
それも、ただ所属しているだけではダメなのです。
きちんとそのなかで、人間関係を築きあげ、イベントごとの雑事をこなしていかないと、白い目で見られます。
みんなが仕事をしているのに、自分だけが協力的でなかったら、壁をつくられてしまうハメに。
婉曲的な表現を使わない率直な物言いで、近所の人物評を聞かされると、思わずぞっとしてしまいました。
「お前も地域に溶け込まないと、吊しあげられるぞ」との宣言です。
自分の生活ばかり考えていられた、気楽な都会生活とは、また違った生き方が必要でした。
ド田舎のぼっちホモで辛かったこと2.結婚していない奴は人間的に問題がある
この平成の時代になんて時代錯誤なんだと思いますが、町内会に参加すると、しばしば話題になるのは独身の男女のこと。
それも、「なにか問題がある人間ではないか」と言われるのです。
目玉がポーンと飛び出るかと思いました。
しかし、これが地域の人だけのことなら、まだ我慢ができます。
満足に一人で出歩けない祖母の介助して、病院に連れて行き、待合室で待っているときのこと。
「お前が結婚しようとしないのは、母親の教育が悪かったせいだね」と、ぽつりと言われました。
嫁姑戦争はどこでも勃発しているでしょうが、孫が独身だからといって、それが嫁の問題で、教育問題に発展するとは、思ってませんでした。
しかも、こちらはホモなので、逆立ちしたって、女性との結婚は無理です。
仮にできたとしても、夜の生活が不能。
地域の会合に参加すれば、「いい人はいないのか」、「無精子症なのか」などと、あけすけもない質問をされます。
地域の付き合いから解放されれば、祖母の汚物をぬぐっているときに、「自分より一回り下だが、親戚にいい人がいるから紹介しようか」などと言われるのです。
母がアルツハイマー型認知症になる前、祖母がお見合い話をするたびに、母が押し黙ってしまい、つらそうな顔していました。
わたしは、「なんと言ってあげることができたのだろうか」と、今でも思い出します。
ド田舎のぼっちホモで辛かったこと3.ド田舎だとぼっちホモの候補すら浮かばない
大昔にはゲイ雑誌に載せることで、お仲間を探していたこともあったそうですが、今はネットはあって当たり前の時代。
お相手を探すなんて、PCからでもスマホからでも、出会い系やツイッターにアクセスすればいいのです。
ちなみにノーマル、男女だとネットでの出会いは、危ないイメージが浸透しています。
ですが、ホモの世界は身バレしたくはないけれど、お手軽にお仲間に会える方法として、メジャーです。
だがしかし、某有名私立大学でセクシャルマイノリティのサークルに入っていた時分ならいざしらず、ここはド田舎の島です。
本土に行こうとすれば、お金が必要になります。
すぐ会えるなどの文言があっても、その場所は半日はかかる場所。
「ならば、このド田舎でお相手を探せばいいのでは」と、思われるかもしれません。
ですが、相互監視社会なんて目ではない、隣近所の目が光っている地域社会です。
珍しいことはすぐに噂になります。
ここでわたしがホモであることがばれたら、社会的な死を意味するのです。
そこまで大げさなと感じるかもしれませんが、精神科に通っているという噂だけで、大事になりますから。
「テレビやネットが発達しても、年配の人のなかには、偏見や差別が根強く残り続ける」と思いました。
ド田舎のぼっちホモで辛かったこと4.ぼっちホモはご祝儀にお年玉で散財
ぼっちホモをやっているからといって、それでなにか金銭的に得をすることはありません。
これは独身の方に共通することだと思いますが、お祝いごとでお金が出ていく一方です。
「回りまわって、お金が戻ってくることはない」と噛みしめながら、お金を包みます。
人間関係を断たない限り、お祝いごとにお金を出さないということはあり得ません。
あまり親しくなくても、とりあえず参加しておかなくてはいけないのが、人と人のつながりが強いド田舎の悲しみ。
三十路のわたしの周囲も、結婚しはじめ、ご祝儀貧乏です。
大して美味しくもない披露宴の料理を食べ、やさぐれた気持ちで新郎新婦の紋切り型の出し物を見て、帰ってきます。
引き出物なんて、たまるばかりで、扱いに困って仕方ありません。
そして、お年玉も憂鬱です。
独身ホモというただでさえ肩身が狭い、親戚連中が集まる正月なんて、結婚しないことを非難された挙げ句に、金までとられる行事。
新年のすがすがしさなど、この数年感じることはなくなりました。
まとめ
ド田舎在住のぼっちホモは、ただお気楽ののんきに生活できるとは考えていませんでしたが、わたしの想定していたことより、しんどいことが多かったです。
田舎で暮らしていくには、コミュニケーション能力と結婚していることが、ことのほか大事でした。
別に独身ぼっちホモだからといって、不審者扱いしないで、なにかそこにある路傍の石扱いしてください。
都会的な人付きもさみしいですが、悪くないものですよ。