田舎で村八分状態になってしまったエピソード5編

落ち込む男性

41歳、男性。バツイチです。

離婚前に、妻の実家の上のマンションを購入。

 

離婚後、実家にも戻れず、八方ふさがりに。

子どもに会うため、交通事故の後遺症と持病のバセドー病に苦しみながらも、日々なんとか生きてる自宅警備員です。

 

 

田舎で村八分状態になったエピソード1.田舎とはなにか

田舎町

 

田舎で村八分になることを理解していただくためには、田舎とはなにかをご理解していただく必要があります。

そこでまず、田舎の社会構造についてご説明。

 

私が生まれた田舎を一言で説明すると、封建時代の制度を現代でも引きずっている地域です。

具体的には、戦国時代に各地域で争っていました。

 

その争いのなかで生き残った集団は大名となり、武家になっていきます。

一方、やぶれた集団は大名の配下になったり、帰農したりしました。

 

私の実家は、帰農した地域に当たります。

具体的には、戦国時代の城跡を中心に家が配置。

つまり、家がある場所で、格式がわかるわけです。

 

400年以上前の格式ですよ。

普通は忘れ去られているはずですが、歴然として現在でもあります。

 

二つ目の特徴は、本家と分家の存在です。

戦前は、家父長制でした。

家父長制とは遺産分配を長男が一人で行う制度です。

 

基本、生産手段が土地に依存している農業ですから、土地がないと暮らしていけません。

では、次男、三男はどうするのか。

 

長男の収入に頼って、暮らすことになります。

兄弟の家族の養育も任されるわけですから、長男は大変です。

 

長男が継いだ家を本家、次男、三男が建てた家を分家と呼びます。

この制度により、「本家はえらい」、「分家はいけてない」という漠然としたイメージが、子どもながらに両親の会話のなかで感じ取られました。

 

本家、分家にはもう一つ暗い歴史があります。

太平洋戦争時、長男は徴兵されなかったので、余裕がある家は、分家をつくったのです。

 

それによって、徴兵を逃れることができました。

それによって、「分家=卑怯者」という漠然としたイメージが残っています。

 

第三の特徴が、周りが親戚だらけということです。

なぜそうなるかというと、機械化されるまで、農業が労働力集約型であったことに由来します。

 

3つの家があり、3つの田んぼがあったとすると、1つの田んぼの田植えを3つの家の人が全員で行うのです。

そして、それが終わったら、2つ目の家の田んぼを全員で行うという方法になっています。

 

協力して生産するわけですが、協力する仲間が親戚、つまり姻戚関係にある家です。

なので、当時の家の結婚とは、「共同経営契約」と言ってもいいでしょう。

 

「移動手段が、徒歩しかないこと」「封建時代は、移転の自由があまりなかったこと」

「農業の性質上、近くに共同経営者の家があったほうが便利なこと」

以上の点から、必然的に結婚相手は近くの人になります。

 

具体的には、幼なじみの結婚式に参加したところ、集まった幼馴染の友人全員が友人席に座るつもりが、親戚というわけです。

そのため、親戚の席に案内されるということになります。

 

4人の仲良しグループが、全員親戚であるという事実。

それを東京の結婚式場で知るというのは、衝撃ですね。

 

ご理解いただけますでしょうか。

以上のように、古い歴史とごちゃごちゃの人間関係が入り組んでいる場所。

それが、私の生まれた田舎です。

 

田舎で村八分状態になったエピソード2.田舎で村八分になるまで

校舎

 

私の田舎は指折りの過疎地であったため、周りに進学校などありません。

そのため、高校は下宿して通い、大学は一人暮らしで過ごしました。

大学では過疎研究をし、「田舎の役に立とう」と戻った私。

 

田舎には、青年団という組織があります。

一種のボランティア団体で祭礼の運営、各種イベントの企画開催、もろもろのボランティア活動を行うのです。

 

青年団に参加するとともに、地元の子どもに和太鼓を教える教室を開講。

母校の空手部の後輩の練習を見に行き、スポーツ少年団のコーチをする。

このようにさまざまなボランティア活動を通じて、「地元に恩返しをしよう」と活動していました。

 

仕事は小学校の事務職員に臨時採用され、業務を行う毎日。

しかし、ある日、私の母校が児童数減少により、数年後の廃校が決まってしまいました。

 

 

田舎で村八分状態になったエピソード3.村八分になった原因

妊娠

 

村八分になった原因は、恋愛です。

29歳のときに地元の高校生と恋愛し、彼女が妊娠したので、私は結婚するつもりでした。

しかし、周囲の反対で別れることになり、汚名だけが残る形に。

 

今では、周囲の気持ちも理解できます。

しかし、当時は「恋は盲目」というやつで、理解できませんでしたね。

 

地元を離れる理由となったのは、交通事故です。

信号で右折待ちしていたら、後ろからノーブレーキで追突されました。

 

相手は同じ地元の人で、高校生の親戚。

あとになって、相手の高校生も自分の遠い親戚であったと知りました。

今思うと、地元流の制裁ということだったのかもしれません。

 

結果、「一生治らない痛み」という後遺症と、仕事や将来の家族、地元とのつながりをすべて失いました。

 

田舎で村八分状態になったエピソード4.村八分になったその後

離婚

 

事故の後遺症があろうとも、働かないわけにはいきません。

仕事を求め、上京し、ブラック企業に就職。

その後、大阪に転勤し、元妻に出会い、結婚しました。

 

4人の子どもをもうけ、家族ができましたが、最終的に離婚。

なにもかもがむなしくなり、途方にくれましたが、「なんとか生きてみよう」と頑張っています。

 

田舎で村八分状態になったエピソード5.村八分になってつらいこと

ショックを受ける男性

 

なんといっても、生まれ故郷に帰れなくなったことでしょうか。

自分のルーツを失うわけですから。

その後に築いた家族も失い、人生に嫌気がさしましたね。

 

まとめ

普通、こういうときは、実家に戻ればいいのかもしれませんが、それもできません。

でも一緒には暮らせませんが、子どもがいますので、「頑張って生きて行こう」と考えています。