自分が産んだ赤ちゃんがブサイクすぎて辛かったこと4つ

頭を抱える女性

40歳女性。専業主婦。

はじめての妊娠に浮かれ、母親ドリーム全開で、まだ見ぬわが子への愛情を募らせていた私。

 

しかし、出産後に夢を打ち砕かれ、シビアな現実に直面しました。

以後、シビアな現実と向き合いつつ、慣れない育児に奮闘中。

 

娘と仲よく、ショッピングや海外旅行をするのが夢です。

 

 

赤ちゃんがブサイクすぎて辛かったこと1.可愛い名前がつけられない

驚く女性

 

結婚して数ヶ月、はじめて子どもを授かって、うれしくて幸せな気持ちでいっぱいでした。

「うまれてくる子への、はじめての親からのプレゼント」

そんな言葉に感銘を受け、はりきって名づけの本を購入して、たくさん名前を考えましたね。

 

性別は女の子とわかっていたので、とびきり女の子らしく、可愛らしい名前がたくさん候補にあげます。

果物にちなんで、「いちごちゃん」、「まいかちゃん」、「ももかちゃん」、「ゆずねちゃん」。

お花にちなんで、「さくらちゃん」、「さくらこちゃん」、「ひまわりちゃん」……などなど。

 

はじめての子どもで舞いあがっていたのもあって、とびきり可愛らしい響きの名前しか考えませんでした。

そして出産。

 

待ちに待った、生まれてきたわが子と感動の対面です。

しかし、妊娠中から浮かれていた母親ドリーム、名づけドリームが一気に冷めました。

わが子の顔をみて、名づけの候補がどれも吹き飛んだのです。

 

「どれも、合わない!! あまりに合わない」

生まれる前に考えていた名前が、どれも顔に合いません。

 

名前のイメージと、実際の顔がかけ離れていたら、あまりにかわいそうです。

赤ちゃんの名前を記入して提出する出生届は、2週間の提出期限があるので、慌てて考え直しました。

 

はじめての妊娠、出産は誰もが夢見るもの。

愛しいわが子を産んですぐに、浮かれた気持ちが吹き飛ぶとは、思いもしませんでした。

 

頭のなかがサーっと引いて、冷静になりましたが、名づけのタイムリミットが迫っています。

最終的に、焦りながらの「顔に合った」名前を付けましたが、当時のことは今でも思い出せるほど、衝撃的でしたね。

 

赤ちゃんがブサイクすぎて辛かったこと2.授乳のときに、幸せな気持ちになれない

授乳

 

産後、すぐに授乳がはじまりました。

「はじめての授乳」

妊娠中は、幸せな光景を思い描いていた私。

 

「わが子を腕に抱きながらの授乳。母として幸せな気持ちになるんだろう」

まるで宗教画のように、幸せで崇高な、神々しく美しい光景を思い描いていたのです。

今思えば、母親ドリーム全開でした。

 

ところが、実際はおっぱいに食らいつこうとする、わが子の顔にびっくり。

乳首を目指して口を開けるのですが、まだ上手に口が開けられないので、口もとがゆがんでいます。

ほとんど開いてないその目は、あまりに目つきが悪く、眼光の鋭さはさながら、殺し屋かスナイパーのようです。

 

ニヤリと口もとをゆがませて、スナイパーのような眼光の鋭さで、おっぱいに食らいつく子ども。

思い描いていた、可愛い赤ちゃんの授乳姿とは、かけ離れていました。

 

生まれる前は、天使のようなわが子しか、想像していませんでしたからね。

「天使」と「スナイパー」の落差は、母親ドリームを粉々にする破壊力で、大変ショックを受けたものです。

 

 

赤ちゃんがブサイクすぎて辛かったこと3.用意したベビー服が似合わない

ベビー服

 

はじめての出産、うまれてくる赤ちゃんが楽しみで、ベビー服をたくさん用意しました。

女の子用のベビー服は、たいていピンクが基調で、とても可愛らしいデザインのものが多いです。

 

ふんわりとしたパステル調のものから、ビビッドでポップなデザインのものまで。

とにかく、たくさんのテイストのものを揃えた私。

 

「わが子には、どれが似合うだろう?」

「赤ちゃんは、どれも着こなしちゃうものなのかな?」と、ウキウキしていました。

 

ところが、出産後、用意したベビー服を着せても、どこかしっくりきません。

はっきり言って、似合わないのです。

 

服があまりにラブリーすぎて、顔が浮いていました。

写真を撮っても、服が可愛いがゆえに、顔のブサイクさが際立ってしまいます。

結果、なんとも微妙なできあがりに。

 

結局、買い足したのは、ユニセックスで控えめなデザインの、ベビー服ばかりでした。

 

赤ちゃんがブサイクすぎて辛かったこと4.わが子の将来が心配で、憂鬱になってしまう

落ち込む女性

 

わが子の性別は、女の子。

女の子は、男の子のように、成長期に顔が大きく変わることはほぼありません。

 

「この顔のまま思春期を迎え、そして大人になったら……」

そう想像すると、憂鬱な気持ちになります。

 

わが子は一重まぶたで目が細く、まるで糸のようでした。

メイクもできない子どものころは、目の大きさをごまかせません。

 

「パッチリお目目のお友だちと比較して、落ち込むことはないだろうか」

「自分の容姿にコンプレックスを持って、卑屈な人間になるのではないか」

 

「結果、充実した学校生活が、送れないのではないか」

「仮に中身が素敵な女の子に成長したとしても、この見た目じゃ将来、幸せな恋愛、結婚はできないのではないだろうか」

「『なぜ、自分は母親に似なかったのか』と、責められるのではないだろうか」

 

いろいろな将来の姿を想像しては悲観して、親として重大な責任を感じてしまいました。

解決策として、簡単に二重がつくれるというアイプチや、一重から二重へのプチ整形などを真剣にネットで検索。

 

「母親自ら、娘の整形について検索するなんて、親失格ではないのか」

「生まれたままの姿を、愛せてないということなのか」

このように私は、己の行動に自己嫌悪したものです。

 

まとめ

はじめての妊娠・出産は、誰もが夢見るものです。

それでも、生まれてきたわが子があまりにブサイクだと、夢見る気持ちも一瞬で冷め、辛い現実に直面します。

 

「わが子は、愛しい大事な存在。それでも、あまりにブサイクだと、ぶっちゃけ辛い」

そんな複雑な母親の気持ちを、分かっていただけたら嬉しいです。